シュロイメ・アンスキー

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シュロイメ・アンスキー
誕生 (1863-10-27) 1863年10月27日
死没 1920年11月8日(1920-11-08)(57歳)
職業 作家ジャーナリスト、民族誌学者
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シュロイメ・アンスキーShloime Ansky, 1863年 ヴィチェプスク - 1920年11月8日)はベラルーシ出身のイディッシュ語作家・劇作家であり、イディッシュ民俗学者。本名はシュロイメ(ソロモン)・ザインヴェル(ザンヴル)・ラパポルト Shloyme(Solomon)-Seinwell(Zanvl) Rapoport

民話に興味を持ち続け、民俗学者として極めて活発な活動を展開。また、生涯を通じて社会主義者を通し、ロシアユダヤ系市民のための社会主義活動を行った。ロシア議会の代議士でもあり、第一次世界大戦中にはユダヤ人亡命者を助け、また「文化同盟」の設立や、ヴィルナに「民俗誌博物館」を創設したりした。

彼はナロードニキの側にあり、「民衆的で民俗的なもの」の幅広い収集を試みた。ユダヤ教徒の伝承について理論的な考察を試みたが、これはロシア・フォルマリストの影響がある。

ギンズブルク[要曖昧さ回避]男爵(ロシアの富豪)家と、ハプスブルク家の「ユダヤ歴史民俗誌協会」の支援を受け、ガリチアポドリアヴォリーニアウクライナなどの諸地方のシュテットル文化を収集・記録分析し、伝統の瓦解と消滅を防ぐため、「ユダヤ民俗誌展」を開いた。

このように、外部からの様々な影響を受けながら「イディッシュ民俗学」が進んでいった。

ロシア革命後はロシアを去り、ポーランドで死去した。

作品[編集]

1916年にSimonDubnowの新聞に掲載された。

代表作の「ディブック The Dybbuk1916年)」は、民話に題材を取った戯曲であり、現在はイディッシュ語演劇で最も多く上演される戯曲となっている。

日本語訳[編集]

  • 『ディブック/ブルグント公女イヴォナ』「ディブック」赤尾光春訳、未知谷、2015年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]