サンクトペテルブルク国立経済・財務大学
サンクトペテルブルク経済・財務大学(ロシア語: Санкт-Петербургский государственный университет экономики и финансов、愛称:ロシア語: Финэк=フィネーク)は、ロシア、サンクトペテルブルクにあった、経済・財務関係の大学である。1930年の創立に遡る大学で、様々な政府首脳関係者を輩出してきた。
短史
[編集]1930年6月、レニングラード工科学校の経済学部を中心にレニングラード経済・財務学院が創立し、同年9月から初めての学生が入学している。この学院は1934年にモスクワ経済・財務学院と合併したり、1940年にはレニングラードの他の学校とも合併したりした。
第二次大戦中にはソビエト連邦内のスタヴロポリ地方へ、その後ウズベク共和国のタシュケントへ疎開を余儀なくされた。戦後の1954年にはレニングラード計画学院を合併し、1963年には経済学者のニコライ・ヴォズネセンスキーの名称を冠することとなった。
1991年、レニングラード経済・財務学院はサンクトペテルブルク経済・財務大学と改称された。ソ連以降の時代になって一貫して、この大学はロシア教育・科学省の評価でも、ロシアで指導的な教育機関とされてきた。
学部
[編集]2012年現在で、13,000の学生(院生も含む)が11学部、40専門に分かれて学んでいる。
認可銀行
[編集]大学本部はサンクトペテルブルクの中心部、ネフスキー大通りからサドヴォエ通りに入ったところにあり、ここの建物は1769年にエカテリーナ2世の治世に「認可銀行」(Assignation Bank)が置かれ、この銀行はロシアで初めての25、50、 75、100ルーブルの「認可銀行券」(Assignation rubles、右の写真)を発行している。このため、グリボエードフ運河を渡って大学に入る裏口の橋(人道)は「銀行橋」(右上の写真)と呼ばれている。また、1799~1805年にはサンクトペテルスブルク造幣局がこの敷地内にあったなど、歴史的な場所である。
合併
[編集]2012年に次の2つの大学と合併して、サンクトペテルブルク国立経済大学となっている。
- サンクトペテルブルク・サービス業務・経済大学 (Saint Petersburg State University of Service and Economics)
- サンクトペテルブルク工学・経済大学 (Saint Petersburg State University of Engineering)
卒業生
[編集]- チグラン・サルキシャン - アルメニアの首相
- スヴェトラーナ・メドヴェージェワ - 社会団体長、ドミートリー・メドヴェージェフ首相夫人
- アリフレド・コフ
など