コーリー・ストリンガー

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コーリー・ストリンガー
Korey Stringer
基本情報
ポジション オフェンスタックル
生年月日 1974年5月8日
没年月日 (2001-08-01) 2001年8月1日(27歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オハイオ州ウォレン
身長: 6' 4" =約193cm
体重: 342 lb =約155.1kg
経歴
大学 オハイオ州立大学
NFLドラフト 1995年 / 1巡目全体24位
初出場年 1995年
初出場チーム ミネソタ・バイキングス
所属歴
ミネソタ・バイキングス(1995年-2000年)
受賞歴・記録

  • プロボウル選出1回:2000年
  • ミネソタ・バイキングス永久欠番(77)
NFL 通算成績
出場試合数 93試合
先発出場試合数 91試合
ファンブルリカバー 2回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

コーリー・ストリンガー(Korey Stringer 1974年5月8日-2001年8月1日)はオハイオ州ウォレン出身のアメリカンフットボール選手。NFLミネソタ・バイキングスに在籍中、トレーニングキャンプ中の2001年8月1日に熱中症で倒れ亡くなった。

生前[編集]

オハイオ州立大学時代にはオーランド・ペースらとのオフェンスラインでエディ・ジョージロバート・スミスのラン攻撃を支えオール・ビッグ・テン・カンファレンスに選出されたこともあった[1]。1995年のNFLドラフト1巡目でミネソタ・バイキングスに指名されて入団し2試合目から右タックルのポジションを獲得した[2]。現役最後となった2000年シーズンにはプロボウルに選出されている[2]

バイキングスではレギュラーシーズン93試合に出場(うち先発90試合)とプレーオフ9試合(全て先発出場)に出場している[3]

熱中症による死とその後[編集]

2001年8月1日、ミネソタ州南部のマンケート州立大学で行われていたトレーニングキャンプ中、脱水症状を起こした彼は救急車で運ばれたがその時体温は42.2度もあり[1]そのまま亡くなった。

2001年シーズン中、チームは彼の死を悼んで77番を永久欠番とした。彼の妻はNFLや防具メーカーのリデル(en:Riddell)などに対して訴訟を起こしたが2009年1月にNFLとは和解に達し、NFLは彼の妻の立ち上げる熱中症防止プログラムに協力することとなった[4][5]

彼の死はNFLの熱中症防止対策を大きく変えるきっかけとなった。練習ユニフォームは淡い色のものとなり、水分の補給や日影についても配慮がされるようになった。またチームドクターが常時待機するようになっている。

2001年11月、バイキングスのリング・オブ・オナーに選ばれた[2]

人柄[編集]

ユーモラスでヘッドコーチのデニス・グリーンの物まねなどをチーム内で行っていた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c HOT OFF THE GRIDIRON #56
  2. ^ a b c 50 Greatest Vikings”. ミネソタ・バイキングス. 2011年9月17日閲覧。
  3. ^ Career Highlights”. ミネソタ・バイキングス. 2011年9月17日閲覧。
  4. ^ 熱中症で死亡した元プロボウラーの妻、NFLと和解 NFL JAPAN 2009年1月27日
  5. ^ NFL, Stringer's widow settle lawsuit ESPN 2009年1月26日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代
デウェイン・ワシントン
トッド・ステューシー
ミネソタ・バイキングス
ドラフト1巡指名選手
1995年
デリック・アレキサンダー
コーリー・ストリンガー
次代
ドゥウェイン・クレモンズ