コンデ=アン=ブリー
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Condé-en-Brie | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オー=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | エーヌ県 |
郡 (arrondissement) | シャトー=ティエリ郡 |
小郡 (canton) | エソム=シュル=マルヌ小郡 |
INSEEコード | 02209 |
郵便番号 | 02330 |
市長(任期) |
エリック・アシエ (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Canton de Condé-en-Brie |
人口動態 | |
人口 |
658人 (2012年) |
人口密度 | 144人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯49度00分20秒 東経3度33分25秒 / 北緯49.005594度 東経3.556958度座標: 北緯49度00分20秒 東経3度33分25秒 / 北緯49.005594度 東経3.556958度 |
標高 |
平均:m 最低:75m 最高:221m |
面積 | 4.56km2 |
コンデ=アン=ブリー (Condé-en-Brie)は、フランス、オー=ド=フランス地域圏、エーヌ県のコミューン。
地理
[編集]コンデ=アン=ブリーは、古くはガロ=ローマ時代の町であった。26のコミューンで構成される自治体間連合に属するコンデは、3つの河川の多くの深い峡谷が出会う場所で、『合流地点』(confluent)にふさわしい名称である。
コンデ城は、かつてガロ=ローマ時代のヴィラがあった場所にたてられている。
由来
[編集]フランス革命時代、コミューンはヴァロン=リーブル(Vallon-Libre)と改名させられていた[1]。
歴史
[編集]コンデ=アン=ブリーの領主は、モンミライユ家、クシー家、バル伯、リュクサンブール=リニー家、ブルボン=ヴァンドーム家、ブルボン=コンデ家、ブルボン=ソワソン家、そしてサヴォワ=カリニャン家と移り変わった。ブルボン=コンデ家の家名の由来は、コンデ=アン=ブリーである[2]。
コンデ=アン=ブリーにあったハンセン病患者病院は、1698年にシャトー=ティエリの病院に統合された。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 | 2012年 |
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623 | 592 | 653 | 609 | 591 | 626 | 633 | 658 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[1]、2004年以降INSEE[3][4]
史跡
[編集]- シャトー・ド・コンデ - ブルボン=コンデ家の居城であった。歴史文化財
- サン・レミ教会 - 13世紀。歴史文化財
- レ・アル - 15世紀から16世紀。ドーリア式の柱で縁取られている。マリー・ド・リュクサンブール=サン=ポルによって建設。歴史文化財
- 洗濯場 - 中央はジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話をもとに装飾されている
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シャトー・ド・コンデ
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洗濯場
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レ・アル