クセニヤ・ゴドゥノヴァ
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5c/Nevrev_ksenia_godunova_Color.jpg/250px-Nevrev_ksenia_godunova_Color.jpg)
クセニヤ・ボリソヴナ・ゴドゥノヴァ(ロシア語: Ксения Годунова / Ksenia Godunova, 1582年 - 1622年8月30日)は、ボリス・ゴドゥノフの娘、母はマリヤ・グレゴリエヴナ・スクラートヴァ=ベリスカヤ。フョードル2世の姉。ツァレーヴナの称号を有した。
西欧文化に関心の高い父の影響で高度な教育を受け、大変な美人であったという。1600年にスウェーデン王エリク14世の息子グスタフと婚約したが、グスタフの不品行が原因で破談となり、次いで1602年にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公でデンマーク王子のヨハンを2人目の婚約者としてモスクワに迎えたが、ヨハンは結婚目前に病死してしまい、クセニヤは未婚のままであった。
ツァーリを僭称する反乱者偽ドミトリー1世と戦っていた父ボリスが1605年に死ぬと、ゴドゥノフ家の求心力は急速に衰え、偽ドミトリーがツァーリとして迎えられて、クセニヤの母マリヤと弟フョードル2世は処刑された。クセニヤは命を助けられたものの、偽ドミトリーに強姦され、5ヵ月にわたって妾として扱われ宮殿で慰み者にされた。そして偽ドミトリーの婚約者マリナ・ムニシュフヴナが到着する直前、ベロオーゼロの修道院に追放された。