ギヨーム1世 (ブローニュ伯)
ギヨーム1世 Guillaume I | |
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ブローニュ伯 | |
ギヨーム1世の紋章 | |
在位 | 1153年 - 1159年 |
称号 | サリー伯 |
出生 |
1137年頃 |
死去 |
1159年10月11日 トゥールーズ |
配偶者 | サリー女伯イザベル・ド・ワーレン |
家名 | ブロワ家 |
父親 | イングランド王スティーブン |
母親 | ブローニュ女伯マティルド |
ギヨーム1世(Guillaume I, 1137年頃 - 1159年10月11日)は、ブローニュ伯(在位:1153年 - 1159年)およびサリー伯(在位:1148年 - 1159年)。イングランド王スティーブンとブローニュ女伯マティルドの次男で、ブローニュ伯ウスタシュ4世とブローニュ女伯マリーの弟。英語名はウィリアム(William)。
生涯
1148年にサリー伯ウィリアム・ド・ワーレンの娘で相続人のイザベルと結婚し、サリー伯となった。
兄ウスタシュ4世は父の王位継承者とされており、ブローニュ伯を母の生前に譲位されていたが、1153年に急死した。そのためギヨームはブローニュ伯を継承した。
イングランド王位を巡っては、当時父とアンジュー伯アンリ(後のヘンリー2世、ギヨームの又従兄に当たる)の間で争いが続いていたが(無政府時代と呼ばれる)、ウスタシュを喪った父はアンジュー伯と和平協定(ウォーリングフォード協定、ウィンチェスター協定とも)を結び、自身の死後にアンジュー伯が王位に就くことで合意した。ギヨームは王位請求権を放棄し、見返りに父、本人、妻の権利によるイングランドの所領の保有を認められた。
妻イザベルとの間に子供はなく、1159年に死去した後、ブローニュ伯は姉マリーが継承した。イザベルはヘンリー2世の庶兄ハメリン(Hamelin)と再婚し、ハメリンはサリー伯となった。
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