ガドルト地区

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Гадрутский район
Հադրութի շրջան
Һадрут рајону
ガドルト地区
アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国領内ナゴルノ・カラバフ自治州地区
1930年 - 1991年
 

ガドルト地区の位置
ガドルト地区の位置
政庁所在地 ガドルト
歴史
 - 「ディザク地区」として設置 1930年8月8日
 - 「ガドルト地区」に改称 1939年9月17日
 - 自治州の廃止とともにホジャヴェンド県アゼルバイジャン語版に編入 1991年11月26日
面積
 - 1977 700km2
人口
 - 1989 14,516[1] 
現在 アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン領のホジャヴェンド県

ガドルト地区(ガドルトちく、ロシア語: Гадрутский район, アルメニア語: Հադրութի շրջան, アゼルバイジャン語: Һадрут рајону)はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国ナゴルノ・カラバフ自治州1930年から1991年まで存在した地区ガドルトを首府とし、面積は700平方キロメートル[2]

沿革

1930年8月8日に「ディザク地区」(Дизакский район, Դիզակ շրջան, 現代アゼルバイジャン語: Dizak rayonu) として設置され、1939年9月17日に「ガドルト(ハドルト)地区」と改称された[3]1991年の「ナゴルノ・カラバフ共和国」成立に伴いアルメニア人勢力はここをその行政区画ハドルト地区」としたが、一方のアゼルバイジャン最高会議 (ru) は同年11月26日の自治州解体に伴いガドルト地区を廃止し、その領域をホジャヴェンド県アゼルバイジャン語版(旧マルトゥニ地区)に編入することを決定した (s:az)。ナゴルノ・カラバフ戦争中はソ連軍とアゼルバイジャンOMON (ru) による円環作戦英語版の対象となり荒廃したが、1993年に地区はアルメニア人の勢力下に入った[1]2020年の第二次ナゴルノ・カラバフ戦争によりアゼルバイジャン軍に占領され、そのままアゼルバイジャン領に復帰した。

人口推移

地区の民族別人口は以下のように推移している[4]

5,000
10,000
15,000
20,000
25,000
30,000
1939年
1959年
1970年
1979年
  •   総人口
  •   アルメニア人
  •   アゼルバイジャン人
  •   ロシア人

行政区分

1977年の時点で、地区にはガドルトと38の村、そしてそれらを管轄する1つの集落ソビエトタラシケヴィツァ版と13の村ソビエトが存在した[2]

1939年には48の集落が存在したが、1950年代から1980年代にかけてそのうち8か所が破壊され、3か所はアゼルバイジャン人居住区に統合されたとされる[1]

脚注

  1. ^ a b c Հադրութի շրջան”. Հայոց պատմության հանրագիտարան. historyofarmenia.am. 2018年3月22日閲覧。
  2. ^ a b Мельников, Ибрагимов (1979) С. 116—117
  3. ^ Мельников, Ибрагимов (1979) С. 7
  4. ^ Население Нагорно-Карабахской Республики”. ETHNO-CAUCASUS - Narod.ru. 2018年3月22日閲覧。

参考文献

  • Мельников С. А., Ибрагимов Ч. Г. (1979). Азербайджанская ССР. Административно-территориальное деление на 1 января 1977 года (PDF) (4-е изд ed.). Б.: Азернешр. ред. А. М. Исаев, Б. А. Будагов, Г. А. Гейбуллаев.