カール・フリードリヒ・モール

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カール・フリードリヒ・モール

カール・フリードリヒ・モール(Karl Friedrich Mohr,1806年11月4日1879年9月28日)は、ドイツコブレンツ出身の化学者19世紀、彼は滴定に関する多くの重要な方法論を発展させた。モール塩は彼の名にちなんでいる。

生涯[編集]

1806年 コブレンツの繁盛している薬剤師の家族として生まれる。

1827年 21歳の時にグメリンの下で化学を勉強し始め、ハイデルベルクベルリンボンで5年間ののちPhDの学位を取って父親の店を手伝いに戻った。

1840年 父親が死ぬまでの間、店を継ぎ、1857年に定年

1863年 57歳の時に幾つかの財務上の損失により、ボンで私講師となる。

1867年 薬学の員外教授として政府に直接影響を及ぼした。

1879年 死去[1]

業績[編集]

モールビュレット

脚注[編集]

  1. ^ Chisholm 1911.

参考文献[編集]

  •  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Mohr, Karl Friedrich". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 18 (11th ed.). Cambridge University Press.

関連項目[編集]