カーナーヴォン伯爵
カーナーヴォン伯爵(英: Earl of Carnarvon)は、イギリスの伯爵位。これまでイングランド貴族として一度、グレートブリテン貴族として二度創設されている。なお爵位名はウェールズの町であるカーナーヴォンおよびカウンティであるカーナーヴォンシャーに由来するが、これらの地名の綴りは Caernarfon に変更されている。
最初にカーナーヴォン伯爵に叙されたのはチャールズ1世の廷臣であった第2代ドーマー男爵ロバート・ドーマーで、1628年にイングランド貴族としてであった[1][2][3]。この時チャールズ1世は加えて「アスコット子爵(Viscount Ascot)」も与えている[1][2][3]。初代カーナーヴォン伯爵となったロバートはイングランド内戦において騎士党(王党派)につき、1643年9月20日の第一次ニューバリーの戦いで戦死した[1][3]。伯爵位は一人息子のチャールズに継承されたが、2代伯爵は男子にことごとく先立たれたため、彼の死とともに断絶した[1][3]。
続いて1714年、第9代シャンドス男爵ジェイムズ・ブリッジズが「カウンティ・オヴ・ハートフォードにおけるウィルトン子爵(Viscount Wilton, in the County of Hertford)」および「カーナーヴォン伯爵」に叙され[4][5][6]、さらに1719年には「カーナーヴォン侯爵(Marquess of Carnarvon)」および「シャンドス公爵(Duke of Chandos)」へ陞叙された(いずれもグレートブリテン貴族)[7][5][6]。彼の没後これらの爵位は息子のヘンリー、孫のジェイムズと継承されたが、男子のいなかった3代公爵を最後に断絶した[5][6]。
三度目の創設は1793年、初代ポーチェスター男爵ヘンリー・ハーバートへグレートブリテン貴族として授けられたものであり[8][2][3]、以後カーナーヴォン伯爵は2013年現在までハーバート家が保持している。この時授けられた称号は正式には「Earl of the Town and County of Carnarvon, in the Principality of Wales」であるが[8][3]、通常は単に「カーナーヴォン伯爵(Earl of Carnarvon)」として言及される。初代伯爵は1780年にグレートブリテン貴族の「カウンティ・オヴ・サウサンプトンにおけるハイクレアのポーチェスター男爵(Baron Porchester, of Highclere, in the county of Southampton)」に叙されていたため[9][2][3]、現在のカーナーヴォン伯爵にはこの爵位が付属し、伯爵位の法定推定相続人は「ポーチェスター卿」の儀礼称号を帯びる。
初代伯爵となったヘンリーは、第8代ペンブルック伯爵トマス・ハーバートの五男ウィリアムの息子であった[3]。彼は初め庶民院議員であったが叙爵により貴族院へ移り、初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルの下で主馬頭(Master of the Horse)を務めた[2][3]。後を継いだ息子の2代伯爵ヘンリーやその息子で3代伯爵となったヘンリーも、庶民院議員となった後に貴族院へ転じている[2][3]。 3代伯爵の長男であった4代伯爵ヘンリーは保守党の有力政治家であり、第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーの第3次内閣とベンジャミン・ディズレーリの第2次内閣に植民地大臣として、第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルの第1次内閣にアイルランド総督としてそれぞれ入閣している[2][3]。4代伯爵が没すると、息子のジョージが5代伯爵となった[3]。5代伯爵はアマチュア考古学者であり、ハワード・カーターのスポンサーとなりツタンカーメン王の墓の発見を支援したことで知られている。続いて5代伯爵の一人息子ヘンリーが6代伯爵、6代伯爵の一人息子ヘンリーが7代伯爵となった。2013年現在のカーナーヴォン伯爵は8代伯爵となるジョージで、2001年に襲爵した。
カーナーヴォン伯爵家の邸宅はハンプシャー州のハイクレア城である。ここはテレビドラマ『ダウントン・アビー』の撮影に用いられた。
カーナーヴォン伯爵 (第1期; 1628年)
ロバート 初代ドーマー男爵 | |||||||||||||||||||||
ウィリアム | アンソニー | ロバート | |||||||||||||||||||
ロバート 第2代ドーマー男爵 初代カーナーヴォン伯爵 | ロバート | チャールズ | |||||||||||||||||||
チャールズ 第3代ドーマー男爵 第2代カーナーヴォン伯爵 | ローランド 第4代ドーマー男爵 | チャールズ 第5代ドーマー男爵 | |||||||||||||||||||
- ロバート・ドーマー (初代カーナーヴォン伯爵) (1610年 - 1643年)
- チャールズ・ドーマー (第2代カーナーヴォン伯爵) (1632年 - 1709年)
- 1709年、カーナーヴォン伯爵断絶。ドーマー男爵のみが又従兄弟のローランド・ドーマーへ相続された。
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初代カーナーヴォン伯爵ロバート・ドーマー(アンソニー・ヴァン・ダイク画)
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第2代カーナーヴォン伯爵チャールズ・ドーマー(サー・ピーター・レリー画)
カーナーヴォン伯爵 (第2期; 1714年)
ジェイムズ 第8代シャンドス男爵 | |||||||||||||||
ジェイムズ 第9代シャンドス男爵 初代カーナーヴォン伯爵 初代シャンドス公爵 | |||||||||||||||
ヘンリー 第10代シャンドス男爵 第2代カーナーヴォン伯爵 第2代シャンドス公爵 | |||||||||||||||
ジェイムズ 第11代シャンドス男爵 第3代カーナーヴォン伯爵 第3代シャンドス公爵 第7代キンロス卿 | |||||||||||||||
アン 第8代キンロス卿 | リチャード 初代バッキンガム=シャンドス公爵 | ||||||||||||||
- ジェイムズ・ブリッジズ (初代カーナーヴォン伯爵) (1674年 - 1744年)
- 1719年、シャンドス公爵に叙位。
- ヘンリー・ブリッジズ (第2代シャンドス公爵・第2代カーナーヴォン伯爵) (1708年 - 1771年)
- ジェイムズ・ブリッジズ (第3代シャンドス公爵・第3代カーナーヴォン伯爵) (1731年 - 1789年)
- 1789年、シャンドス公爵とカーナーヴォン伯爵は断絶。シャンドス男爵は保持者不詳(Dormant)となった。また3代公爵が母親から相続したキンロス卿は娘へと継承された。
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初代シャンドス公爵および初代カーナーヴォン伯爵ジェイムズ・ブリッジズ(マイケル・ダール画)
ポーチェスター男爵 (1780年)
- ヘンリー・ハーバート (初代ポーチェスター男爵) (1741年 - 1811年)
- 1793年、カーナーヴォン伯爵に叙位。
カーナーヴォン伯爵 (第3期; 1793年)
トマス 第8代ペンブルック伯爵 | |||||||||||||||||||||||
ヘンリー 第9代ペンブルック伯爵 | ウィリアム | ヘンリー 第4代カーナーヴォン伯爵 | |||||||||||||||||||||
ヘンリー 初代カーナーヴォン伯爵 | ジョージ 第5代カーナーヴォン伯爵 | ||||||||||||||||||||||
ヘンリー 第2代カーナーヴォン伯爵 | ヘンリー 第6代カーナーヴォン伯爵 | ||||||||||||||||||||||
ヘンリー 第3代カーナーヴォン伯爵 | ヘンリー 第7代カーナーヴォン伯爵 | ||||||||||||||||||||||
ジョージ 第8代カーナーヴォン伯爵 | |||||||||||||||||||||||
- ヘンリー・ハーバート (初代カーナーヴォン伯爵) (1741年 - 1811年)
- ヘンリー・ハーバート (第2代カーナーヴォン伯爵) (1772年 - 1833年)
- ヘンリー・ハーバート (第3代カーナーヴォン伯爵) (1800年 - 1849年)
- ヘンリー・ハーバート (第4代カーナーヴォン伯爵) (1831年 - 1890年)
- ジョージ・ハーバート (第5代カーナヴォン伯) (1866年 - 1923年)
- ヘンリー・ハーバート (第6代カーナーヴォン伯爵) (1898年 - 1987年)
- ヘンリー・ハーバート (第7代カーナーヴォン伯爵) (1924年 - 2001年)
- ジョージ・ハーバート (第8代カーナーヴォン伯爵) (1956年 - )
- 伯爵位の法定推定相続人は当代の息子であるポーチェスター卿ジョージ・ケネス・オリヴァー・モリニュー・ハーバート(1992年 - )
- また第8代カーナーヴォン伯爵は、2012年に第18代ペンブルック伯爵ウィリアム・ハーバートに息子が生まれるまでペンブルック伯爵位の推定相続人でもあった。
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初代カーナーヴォン伯爵・初代ポーチェスター男爵ヘンリー・ハーバート(トマス・ゲインズバラ画)
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第2代カーナーヴォン伯爵・第2代ポーチェスター男爵ヘンリー・ハーバート
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第3代カーナーヴォン伯爵・第3代ポーチェスター男爵ヘンリー・ハーバート
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第4代カーナーヴォン伯爵・第4代ポーチェスター男爵ヘンリー・ハーバート
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第5代カーナーヴォン伯爵・第5代ポーチェスター男爵ジョージ・ハーバート(ハリー・バートン撮影)
出典
- ^ a b c d Burke, Bernard, Sir [in 英語], ed. (1869). "DORMER.". A genealogical and heraldic dictionary of the peerage and baronetage of the British Empire (31st ed.). London: Harrison. pp. 354–355. 2013年11月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g Doyle, James William Edmund [in 英語], ed. (1886). "CARNARVON.". The Official Baronage of England. Vol. 1. London: Longmans, Green & Co. pp. 337–342. 2013年11月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l Gibbs, Vicary, ed. (1913). "CARNARVON". The complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom. Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 44–48. 2013年11月17日閲覧。
- ^ "No. 5269". The London Gazette (英語). 16 October 1714. 2013年11月17日閲覧。
- ^ a b c Doyle, James William Edmund [in 英語], ed. (1886). "CHANDOS.". The Official Baronage of England. Vol. 1. London: Longmans, Green & Co. pp. 351–358. 2013年11月17日閲覧。
- ^ a b c Gibbs, Vicary, ed. (1913). "CHANDOS". The complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom. Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 126–134. 2013年11月17日閲覧。
- ^ "No. 5742". The London Gazette (英語). 28 April 1719. 2013年11月17日閲覧。
- ^ a b "No. 13541". The London Gazette (英語). 25 June 1793. 2013年11月17日閲覧。
- ^ "No. 12124". The London Gazette (英語). 3 October 1780. 2013年11月17日閲覧。