カーナーヴォン伯爵

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カーナーヴォン伯爵
Earl of Carnarvon
Coronet of a British Earl.svg
Herbert arms (Earl of Carnarvon).svg

紋章記述

Per pale azure and gules three lions rampant argent a crescent for difference

創設時期 1793年7月3日[1]
創設者 ジョージ3世
貴族 グレートブリテン貴族
初代 ヘンリー・ハーバート英語版(初代ポーチェスター男爵)
現所有者 ジョージ・ハーバート英語版(8代カーナーヴォン伯)
相続人 ジョージ・ハーバート(ポーチェスター男爵)
相続資格 初代伯の直系の嫡出の男系男子
(the 1st Earl's heirs male heirs of the body
付随称号 ポーチェスター男爵 (1780年10月17日創設)
邸宅 ハイクレア城
紋章標語 Ung je serviray[1]

カーナーヴォン伯爵: Earl of Carnarvon)は、イギリス伯爵位。三回創設されており、第1期の物はイングランド貴族、第2期と第3期の物はグレートブリテン貴族である。爵位名はウェールズの町であるカーナーヴォンおよびカウンティ英語版であるカーナーヴォンシャー英語版に由来するが、これらの地名の綴りは Caernarfon に変更されている。現存する第3期のカーナーヴォン伯爵位は、ペンブルック伯爵ハーバート家英語版の分流でトーリー党の政治家だった初代ポーチェスター男爵ヘンリー・ハーバート英語版1793年に叙位されたのに始まる。

歴史[編集]

第1期 ドーマー家[編集]

バッキンガムシャーの地主[2]であるロバート・ドーマー英語版(1551年-1616年)は、1615年6月10日にイングランド準男爵位の(カウンティ・オブ・バッキンガムにおけるウィング英語版の)準男爵(Baronet "of Wyng, in the County of Buckingham")に叙せられ、ついで同年6月30日イングランド貴族爵位カウンティ・オブ・バッキンガムにおけるウィングのドーマー男爵英語版(Baron Dormer, of Wyng in the County of Buckingham)に叙位された[3][4]

1616年11月8日に初代ドーマー男爵が死去した際に彼の長男サー・ウィリアム・ドーマー(Sir William Dormer)はすでに死去していたため、その息子であるロバート・ドーマー英語版(1610年-1643年)が第2代ドーマー男爵を継承した[3]チャールズ1世の廷臣であった彼は、1628年8月2日にイングランド貴族爵位のカーナーヴォン伯爵アスコット子爵Viscount Ascot)に叙せられた[5][6][7][8][9]。初代カーナーヴォン伯爵となったロバートはイングランド内戦において騎士党王党派)につき、1643年9月20日第一次ニューバリーの戦い英語版で戦死した[5][7]。伯爵位は一人息子のチャールズ・ドーマー英語版(1632年-1709年)に継承されたが、2代伯爵は男子にことごとく先立たれたため、彼の死とともに断絶した[5][7]。アスコット子爵位も一緒に廃絶したが、ドーマー男爵と(ウィングの)準男爵位については初代ドーマー男爵の次男の孫にあたるローランド・ドーマー(生年不詳-1712年)に継承された[3][10]

以降のドーマー男爵位についてはドーマー男爵英語版の項目を参照。

第2期 ブリッジズ家[編集]

第2期のカーナーヴォン伯爵に叙されるブリッジズ家は、ジョン・ブリッジズ英語版(1492年-1557年)メアリー1世からスードリー城英語版とともに1554年4月8日にイングランド貴族爵位カウンティ・オブ・グロスターにおけるスードリーのシャンドス男爵(Baron Chandos, of Sudeley in the County of Gloucester)を与えられて以降、この爵位を継承し続けた家柄である[11]。初代男爵の次男の息子であるジャイルズ・ブリッジズ英語版(1573年-1637年)は、1627年5月17日にイングランド準男爵位の(カウンティ・オヴ・ハートフォードにおけるウィルトン英語版の)準男爵(Baronet "of Wilton in the County of Hereford")に叙せられており、彼の孫にあたる3代準男爵ジェイムズ・ブリッジズ英語版(1642年-1714年)が8代シャンドス男爵を継承したことで、この(ウィルトンの)準男爵位はシャンドス男爵位の従属称号となった[11]

8代シャンドス男爵の子ジェイムズ・ブリッジズ(1674年-1744年)は、襲爵前にヘレフォード選挙区英語版選出のトーリー党庶民院議員などを務め[12][13]1714年10月19日に第9代シャンドス男爵を襲爵した直後の同年10月19日にグレートブリテン貴族爵位カーナーヴォン伯爵カウンティ・オヴ・ハートフォードにおけるウィルトン子爵(Viscount Wilton, in the County of Hertford)に叙せられた[14][15][16]。この2つの爵位には彼の父の男系男子を特別継承者(special remainder)とする規定が付けられていた(兄弟の男系男子も続かなかったので結果的にはこの規定は意味をなさず)[12]。ついで1719年4月29日にはグレートブリテン貴族爵位シャンドス公爵(Duke of Chandos)カーナーヴォン侯爵(Marquess of Carnarvon)に叙せられた[17][15][16]

彼の没後これらの爵位は息子のヘンリー(1708年-1771年)が継承し、ついでその息子のジェイムズ(1731年-1789年)に継承された。3代公ジェイムズは1747年2月10日に母方からスコットランド貴族爵位のキンロス卿(Lord Kinloss)を継承していたことが後世に確認されている(デ・ジュリ)。男子のない3代公爵の死去後、シャンドス公爵、カーナーヴォン伯爵はじめほとんどの保有爵位が断絶したが[15][16]、キンロス卿のみは娘のアンに継承されている[12]

第3期 ハーバート家[編集]

カーナーヴォン伯爵ハーバート家の邸宅ハイクレア城

第8代ペンブルック伯爵トマス・ハーバートの五男ウィリアム英語版の息子で、ウィルトン選挙区英語版選出のトーリー党所属の庶民院議員を務めたヘンリー・ハーバート英語版(1741年-1811年)は、1780年10月17日グレートブリテン貴族爵位カウンティ・オヴ・サウサンプトンにおけるハイクレアのポーチェスター男爵(Baron Porchester, of Highclere, in the county of Southampton)に叙位され、これにより貴族院に移った[18][6][7][19]。ついで1793年7月3日にはグレートブリテン貴族爵位カーナーヴォン伯爵に叙位された[20][6][7][19]。この時授けられた称号は正式には「Earl of the Town and County of Carnarvon, in the Principality of Wales」であるが[20][7]、通常は単にカーナーヴォン伯爵(Earl of Carnarvon)として言及される。以降カーナーヴォン伯爵位は2019年現在までハーバート家英語版によって継承され続けている。ポーチェスター男爵位はカーナーヴォン伯爵位の従属称号となり、カーナーヴォン伯爵位の法定推定相続人は「ポーチェスター卿」の儀礼称号を帯びる。初代伯はその後、1806年から1807年にかけて初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィル内閣において主馬頭Master of the Horse)を務めている[6][7]

初代伯の死後に爵位を継承した息子の2代伯ヘンリー英語版(1772年-1833年)やその息子で3代伯爵となったヘンリー英語版(1800年-1849年)も、襲爵前に庶民院議員を務めた後に襲爵で貴族院へ転じている[6][7]。 3代伯爵の長男であった4代伯爵ヘンリー(1831年-1890年)保守党の有力政治家であり、1866年には第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー第3次内閣植民地大臣に就任し、カナダに最初の自治領(ドミニオン)を設立させた[21]1874年から1878年にかけてはベンジャミン・ディズレーリ第2次内閣で再び植民地大臣を務め、カナダと同じ方式の南アフリカ自治領創設に努めたが、不成功に終わった[21]。第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル第1次内閣にはアイルランド総督として入閣し[6][7]パーネルとの条件付き自治の交渉にあたったが、実らずに終わった[21]。彼は植民地には開明的な思想を持っていたが、内政面では選挙法改正に「階級闘争を激化させる」として断固反対し続けた[21]

4代伯爵が没すると、息子のジョージ(1866年-1923年)が5代伯爵となった[7]。5代伯爵はアマチュア考古学者であり、ハワード・カーターのスポンサーとなりツタンカーメン王の墓の発見を支援したことで知られている。続いて5代伯爵の一人息子ヘンリー英語版(1898年-1987年)が6代伯爵、6代伯爵の一人息子ヘンリー英語版(1924年-2001年)が7代伯爵となった。2019年現在のカーナーヴォン伯爵は8代伯爵となるジョージ英語版(1956年-)で、2001年に襲爵した[19]。現当主は、2012年に第18代ペンブルック伯爵ウィリアム・ハーバート英語版に息子が生まれるまでペンブルック伯爵位の推定相続人でもあった。

カーナーヴォン伯爵家の邸宅はハンプシャー州のハイクレア城である。この城は司法長官ロバート・ソーヤー英語版からその娘マーガレット(第8代ペンブルック伯の妻)、その次男ロバート・ソーヤー・ハーバート英語版、その甥にあたる初代カーナーヴォン伯へと相続された城である[22]。ここはテレビドラマ『ダウントン・アビー』の撮影に用いられた。

現当主の保有爵位[編集]

現当主ジョージ・ハーバート英語版は以下の爵位を保有している[19]

  • 第8代カーナーヴォン伯爵 (8th Earl of Carnarvon)
    (1793年7月3日勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • カウンティ・オブ・サウサンプトンにおけるハイクレアの第8代ポーチェスター男爵 (8th Baron Porchester, of High Clere in the County of Southampton)
    (1780年10月17日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

カーナーヴォン伯爵 第1期(1628年 - 1709年)[編集]

肖像 称号の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 他の称号
1stEarlOfCarnarvon.jpg 初代カーナーヴォン伯爵
ロバート・ドーマー英語版

(Robert Dormer)
(1610年-1643年)
1628年8月2日
-1643年9月20日
アスコット子爵
ドーマー男爵英語版
(ウィングの)準男爵
Charles Dormer, 2nd Earl of Carnarvon by Peter Lely.jpg 第2代カーナーヴォン伯爵
チャールズ・ドーマー英語版

(Charles Dormer)
(1632年-1709年)
1643年9月20日
-1709年11月29日
先代の孫
1709年11月29日の2代伯の死とともにカーナーヴォン伯爵(1期)とアスコット子爵は断絶。ドーマー男爵と準男爵は又従兄弟のローランド・ドーマーへ相続された。

カーナーヴォン伯爵 第2期(1714年 - 1789年)[編集]

肖像 称号の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 他の称号
Duke-chandos-first.jpg 初代カーナーヴォン伯爵
ジェイムズ・ブリッジズ

(James Brydges)
(1674年-1744年)
1714年10月19日
-1744年8月9日
シャンドス公爵(1719)
カーナーヴォン侯爵(1719)
ウィルトン子爵(1714)
シャンドス男爵(1554)
(ウィルトンの)準男爵英語版(1719)
第2代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ブリッジズ

(Henry Brydges)
(1708年-1771年)
1744年8月9日
-1771年11月28日
先代の息子
第3代カーナーヴォン伯爵
ジェイムズ・ブリッジズ

(James Brydges)
(1731年-1789年)
1771年11月28日
-1789年9月29日
先代の息子 シャンドス公爵(1719)
カーナーヴォン侯爵(1719)
ウィルトン子爵(1714)
シャンドス男爵(1554)
キンロス卿(1602)
(ウィルトンの)準男爵
1789年9月29日の3代伯の死によりシャンドス公爵とカーナーヴォン侯爵、カーナーヴォン伯爵(2期)、ウィルトン子爵は断絶。シャンドス男爵は保持者不詳(Dormant)。3代公が母から継承したキンロス卿は娘アンに継承された。

ポーチェスター男爵 (1780年 - 現在)[編集]

肖像 称号の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 他の称号
1stEarlOfCarnarvonHerbert.jpg 初代ポーチェスター男爵
ヘンリー・ハーバート英語版

(Henry Herbert)
(1741年-1811年)
1780年10月17日
-1811年6月3日
8代ペンブルック伯の四男の子 カーナーヴォン伯爵(3期)
1793年7月3日にカーナーヴォン伯爵(3期)に叙位。以降はカーナーヴォン伯爵(3期)と継承者が同じ。

カーナーヴォン伯爵 第3期(1793年 - 現在)[編集]

肖像 称号の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 他の称号
1stEarlOfCarnarvonHerbert.jpg 初代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ハーバート英語版

(Henry Herbert)
(1741年-1811年)
1793年7月3日
-1811年6月3日
ポーチェスター男爵
2ndEarlOfCarnarvon.jpg 第2代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ジョージ・ハーバート英語版

(Henry George Herbert)
(1772年-1833年)
1811年6月3日
-1833年4月16日
先代の息子
3rdEarlOfCarnarvon.jpg 第3代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ジョン・ジョージ・ハーバート英語版

(Henry John George Herbert)
(1800年-1849年)
1833年4月16日
-1849年12月10日
先代の息子
H.H.M. Carnarvon, 1831-1890. Wellcome L0010449.jpg 第4代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ハワード・モリニュー・ハーバート

(Henry Howard Molyneux Herbert)
(1831年-1890年)
1849年12月10日
-1890年6月28日
先代の息子
George Herbert, 5th Earl of Carnarvon, reading.jpg 第5代カーナーヴォン伯爵
ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリニュー・ハーバート

(George Edward Stanhope Molyneux Herbert)
(1866年-1923年)
1890年6月28日
-1923年4月5日
先代の息子
第6代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ジョージ・アルフレッド・マリウス・ヴィクター・フランシス・ハーバート英語版

(Henry George Alfred Marius Victor Francis Herbert)
(1898年-1987年)
1923年4月5日
-1987年9月22日
先代の息子
第7代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ジョージ・レジナルド・モリニュー・ハーバート英語版

(Henry George Reginald Molyneux Herbert)
(1924年-2001年)
1987年9月22日
-2001年9月11日
先代の息子
第8代カーナーヴォン伯爵
ジョージ・レジナルド・オリヴァー・モリニュー・ハーバート英語版

(George Reginald Oliver Molyneux Herbert)
(1956年-)
2001年9月11日
-受爵中
先代の息子
  • カーナーヴォン伯爵(3期)の法定推定相続人は現当主の息子であるポーチェスター卿(儀礼称号)ジョージ・ケネス・オリヴァー・モリニュー・ハーバート(1992年 - )である。

出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 697. ISBN 0-9711966-2-1 
  2. ^ Virgoe, Roger. "Dormer, Robert (1551-1616) of Wings, Bucks.", The History of Parliament
  3. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Dormer, Baron (E, 1615)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年10月10日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Robert Dormer, 1st Baron Dormer of Wyng” (英語). thepeerage.com. 2019年10月10日閲覧。
  5. ^ a b c Burke, Bernard, Sir, ed (1869). “DORMER.”. A genealogical and heraldic dictionary of the peerage and baronetage of the British Empire (31st ed.). London: Harrison. pp. 354-355. http://www.archive.org/stream/genealogicalhera00inburk#page/354/mode/2up 2013年11月17日閲覧。. 
  6. ^ a b c d e f Doyle, James William Edmund, ed (1886). “CARNARVON.”. The Official Baronage of England. 1. London: Longmans, Green & Co. pp. 337-342. http://www.archive.org/stream/officialbaronag00doylgoog#page/n354/mode/2up 2013年11月17日閲覧。. 
  7. ^ a b c d e f g h i j Gibbs, Vicary, ed (1913). “CARNARVON”. The complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 44-48. https://archive.org/stream/completepeerageo03coka#page/44/mode/2up 2013年11月17日閲覧。. 
  8. ^ Heraldic Media Limited. “Carnarvon, Earl of (E, 1628 - 1709)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年10月10日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “Robert Dormer, 1st Earl of Carnarvon” (英語). thepeerage.com. 2019年10月10日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “Rowland Dormer, 4th Baron Dormer of Wyng” (英語). thepeerage.com. 2019年10月10日閲覧。
  11. ^ a b Heraldic Media Limited. “Chandos, Baron (E, 1554 - 1789)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年10月10日閲覧。
  12. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Chandos, Duke of (GB, 1719 - 1789)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年10月10日閲覧。
  13. ^ Lundy, Darryl. “James Brydges, 1st Duke of Chandos” (英語). thepeerage.com. 2019年10月10日閲覧。
  14. ^ The London Gazette: no. 5269. p. 2. 1714年10月16日。2013年11月17日閲覧。
  15. ^ a b c Doyle, James William Edmund, ed (1886). “CHANDOS.”. The Official Baronage of England. 1. London: Longmans, Green & Co. pp. 351-358. http://www.archive.org/stream/officialbaronag00doylgoog#page/n368/mode/2up 2013年11月17日閲覧。. 
  16. ^ a b c Gibbs, Vicary, ed (1913). “CHANDOS”. The complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 126-134. https://archive.org/stream/completepeerageo03coka#page/126/mode/2up 2013年11月17日閲覧。. 
  17. ^ The London Gazette: no. 5742. p. 1. 1719年4月28日。2013年11月17日閲覧。
  18. ^ The London Gazette: no. 12124. p. 1. 1780年10月3日。2013年11月17日閲覧。
  19. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Carnarvon, Earl of (GB, 1793)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年10月10日閲覧。
  20. ^ a b The London Gazette: no. 13541. p. 543. 1793年6月25日。2013年11月17日閲覧。
  21. ^ a b c d 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 123.
  22. ^ Highclere Castle”. www.highclerecastle.co.uk. 2019年10月10日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]