カンブレー二重結婚

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エノー、ホラント、ゼーラントの3伯爵領は、1432年にブルゴーニュ公爵家領の一部に組み込まれた。

カンブレー二重結婚Dubbelhuwelijk van Kamerijk)は、1385年4月12日カンブレーにおいて挙行された、2組の夫婦の政略結婚のことである。ブルゴーニュ公国領の拡大政策において、重要な布石となった。

二重結婚はヴァロワ=ブルゴーニュ家と、エノー伯領ホラント伯領ゼーラント伯領の3伯領を所有するバイエルン公爵諸家(ヴィッテルスバッハ家)の分枝の一つシュトラウビンク=ホラント家ドイツ語版との間で結ばれた。ブルゴーニュ公フィリップ(豪胆公、ル・アルディ)と、3伯領の領主であるバイエルン公アルブレヒト1世が、互いの子女を縁組させ、同盟関係を結んだのである。2組の夫婦は以下の通り。

彼らの婚礼は欧州規模で注目された一大慶事となり、2万人を超える参列者が集まったという。ブルゴーニュ家側の兄妹の従兄にあたるフランスシャルル6世も参列し、非常に贅を尽くした結婚披露宴が催され、祝宴は8日間続いた。

この二重結婚による両家の血族関係の構築は、後にシュトラウビンク=ホラント家の相続人が絶えた際、ブルゴーニュ家が相続権を請求する根拠となった[1]。1428年、ヴィルヘルム2世夫妻の一人娘でシュトラウビンク家の最後の末裔となったジャクリーヌ・ド・エノーは、デルフトの和約英語版を結んだ際にエノー・ホラント・ゼーラントの3伯領の相続者として、ジャン無怖公夫妻の長男で従兄にあたるフィリップ(善良公、ル・ボン)を指名した[2]

4年後の1432年、ジャクリーヌが約定を破ってフランク・ファン・ボルセレ英語版との結婚に踏み切ると、フィリップ善良公は3伯領を占領し、領国の一部に組み込んだ。

脚注

  1. ^ 堀越孝一 『ブルゴーニュ家』 講談社現代新書、1996年、P52
  2. ^ 堀越、P59