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カロリーネ・マリアンネ・ツー・メクレンブルク

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デンマーク王太子妃マリアンネ

カロリーネ・シャルロッテ・マリアンネ・ツー・メクレンブルクCaroline Charlotte Marianne Herzogin zu Mecklenburg[-Strelitz], 1821年1月10日 ノイシュトレーリッツ - 1876年6月1日 ノイシュトレーリッツ)は、ドイツメクレンブルク=シュトレーリッツ大公家の一員で、デンマークフレゼリク7世の2番目の妃。夫の即位以前に離婚し、王妃にはなれなかった。

メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルクとその妻でヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯フリードリヒ(3世)の娘であるマリーの間の第3子、次女として生まれた。1841年6月10日にノイシュトレーリッツにおいて、デンマーク王太子フレゼリクと結婚した。フレゼリクは同族のヴィルヘルミーネ・マリーエ王女と離婚しており、この結婚は再婚だった。

粗暴で酒好き、かつ女たらしの夫との結婚生活は悲惨というほかなく、夫婦の間に子供が授かることも無かった。カロリーネ・マリアンネは1844年に実家を訪れた際、デンマークへの帰国を拒否して、1846年には離婚を成立させた。その後はノイシュトレーリッツの宮廷で静かに暮らした。

参考文献

  • Bo Bramsen : Ferdinand og Caroline, Politikens Förlag, Köpenhamn (1969)