ウィラコチャ

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ウィラコチャ

ウィラコチャ西: Huiracochaケチュア語: Wiraqucha、生没年不詳、在位1410年頃~1438年)またはビラコチャ(西: Viracocha)は、クスコ王国の8代サパ・インカ(皇帝)(上王朝3代目)である。父は7代サパ・インカであるヤワル・ワカ、王妃はルントゥ・カヤ、子にウルコ、9代パチャクテクがいる。

初名はハトゥン・トゥパックリパックと見られている。祭政一致の皇帝として神インティの別名ビラコチャにちなんで改名した。

彼は自らの民とチャンカ族スペイン語版英語版(クスコの西にある現アプリマク県に居住していた)との最終戦に関係したらしいが、年代記作者の記述は、彼が英雄であったとするものと臆病であったとするものに分かれている。『インカ皇統記スペイン語版英語版』の著者インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガなどによると、ウィラコチャの父ヤワル・ワカはチャンカ族から攻撃されたときに首都を放棄したが、ウィラコチャは敵を打ち負かしクスコを救ったという。しかしこのような記述は少数派であり、『ペルー年代記スペイン語版』の作者シエサ・デ・レオンスペイン語版英語版ホアン・デ・ベタンソススペイン語版英語版など多数の年代記作者は、ウィラコチャがクスコを放棄し、彼の息子パチャクテクが救国の英雄だとしている。

年代記作者サルミエント・デ・ガンボアスペイン語版英語版の記述によると、それまでのサパ・インカは周辺部族を襲撃し略奪するだけで満足していたが、ウィラコチャは征服した領土を統治した最初のインカ人だという。

関連項目[編集]

先代
ヤワル・ワカ
サパ・インカ
1410年
次代
パチャクテク