クスコ王国

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クスコ王国
Curacazgo Inca
ケチュア族
ワリ
ティワナク
ワリ帝国
1197年 - 1438年 インカ帝国
クスコ王国の位置
公用語 ケチュア語
首都 クスコ
サパ・インカ
1197年 - 1230年 マンコ・カパック
1410年頃 - 1438年ウィラコチャ
面積
40,000km²
変遷
マンコ・カパックの即位 1197年
パチャクテクによるタワンティン・スウユ建国1438年
通貨なし
地図上の赤い範囲が1438年のクスコ王国

クスコ王国(クスコおうこく、Curacazgo Inca)は、アンデス山脈山中の小王国。1200年頃にケチュア族が作った小規模の都市国家として始まり、和戦両様の同化によって成長し、インカ帝国により引き継がれた。

歴史[編集]

初期クスコ王朝[編集]

インカ族=ケチュア族は、12世紀頃にクスコ地方で部族として成立し、マンコ・カパックの指揮の下、下図の赤く示された範囲に小規模の都市国家を形成した。

クスコ王国の初期王朝のサパ・インカは、順にマンコ・カパックシンチ・ロカリョケ・ユパンキマイタ・カパックカパック・ユパンキである。これら初期の統治者については、後にカパックが将軍をシンチが指導者を意味するようになったなど、わずかの情報しか知られていない。一般には、1200年頃に王朝が始まったとされている。

第2クスコ王朝[編集]

第2王朝のサパ・インカは、順にインカ・ロカヤワル・ワカウィラコチャパチャクテク(インカ帝国の最初のサパ・インカと見なされている)である。第2王朝は「下王朝」(hurin)から「上王朝」(hanan)への優越性の変遷を示している。

インカ帝国[編集]

1438年に最上位の王サパ・インカとなったパチャクテク(ケチュア語で世界を震撼させる者の意)の命令下、クスコ王国は壮大な遠征による拡大を始めた。彼による征服地はアンデス山脈のほぼ全て、およそ13植民地程度の広さとなった。

パチャクテクはクスコ王国をタワンティン・スウユ(4つの州の意、インカ帝国の正式名称)という、北西部のチンチャイ・スウユ、北東部のアンティ・スウユ、南西部のクンティ・スウユ、南東部のコジャ・スウユからなる強力な指導者に率いられた4州政府とインカを戴く中央政府とを基礎とする連邦制帝国に再編した。パチャクテクはまた、本拠地か離宮としてマチュ・ピチュを造ったと考えられている。

参考文献[編集]

この参考文献は翻訳元の参考文献であり、日本語版作成時には参考としていない。

  • (スペイン語) María Rostworowski. Enciclopedia Temática del Perú: Incas. Lima: El Comercio S.A., 2004.
  • (スペイン語) Editorial Sol 90. Historia Universal 5: América precolombina. Barcelona, España, 2002.
  • (英語) Bushnell. Peru, Ancient people and places.
  • (英語) MacQuarrie, Kim. The Last Days of the Incas. Simon & Schuster, 2007. ISBN 978-0743260497.

関連項目[編集]