イブンベイ

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イブンベイ
欧字表記 Ibn Bey[1][2]
品種 サラブレッド[1][2]
性別 [1][2]
毛色 栗毛[1][2]
生誕 1984年3月22日[2]
死没 2012年12月10日(28歳没)[3]
Mill Reef[1][2]
Rosia Bay[1][2]
母の父 High Top[1][2]
生国 イギリスの旗 イギリス[1][2]
生産者 Lord Porchester[1][2]
馬主 Fahd Salman
相馬恵胤
[1][2]
調教師 Paul F.I. Cole(イギリス)[1][2]
競走成績
生涯成績 29戦10勝[2]
勝ち鞍
GI 愛セントレジャー 1990年
GI ベルリン銀行大賞 1990年
GI オイロパ賞 1989年
GI イタリア大賞 1987年
GII ドーヴィル大賞典 1988年
GII ジェフリーフリアステークス 1989年
GII モーリスドニュイユ賞 1989年
Listed プリドミネイトステークス 1987年
Listed シルヴァーカップステークス 1989年
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イブンベイ(Ibn Bey)[2]とは、イギリス生産の競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に1990年アイリッシュセントレジャーベルリン銀行大賞1989年オイロパ賞1987年イタリア大賞英語版(G1)など。1987年のイタリア最優秀3歳牡馬、1989年と1990年のドイツ最優秀古牡馬に選出された[3][4]

経歴

  • 特記事項なき場合、本節の出典はRacing Post[1]、EQUIBASE[5]、JBISサーチ[6]

1986年にデビューし、10月16日ヘイドック競馬場での競走で初勝利。3歳時の1987年は5月のダービートライアルステークスから始動して5着、2戦目のリステッド競走プリドミネイトステークスを勝ったのちダービーステークスに出走も13着に終わる。2戦挟み、9月サンシーロ競馬場のイタリア大賞を勝って重賞初勝利をG1競走で達成した。アイリッシュセントレジャーは6着に終わり、休養に入った。4歳となった1988年は、リステッド競走アストンパークステークスから使い出し、3着と4着を重ねたのち8月にドーヴィル競馬場に遠征してG2競走ドーヴィル大賞典で重賞2勝目を挙げた。

5歳を迎えた1989年、前年同様にアストンパークステークスを初戦として2着、1戦挟み出走のリステッド競走シルヴァーカップステークスを勝利ののち、モーリスドニュイユ賞英語版ジェフリーフリアステークスとG2競走を連勝し、9月のオイロパ賞も制してG1競走2勝目を挙げた。その後日本に遠征してジャパンカップに出走、レースでは事前予想で逃げるとみられていたホークスターをおさえて逃げの手に出るも、最後はホーリックスらに交わされ6着に終わった[7][8]

1990年、6歳となって初戦のガネー賞コロネーションカップミラノ大賞典と3戦勝てない競馬が続いたが、7月のベルリン銀行大賞を勝ってG1競走3勝目を挙げる。続くバーデン大賞を2着ののちアイリッシュセントレジャーを勝ってG1競走4勝目を挙げた。このあと、相馬恵胤に購買されてブリーダーズカップ・クラシックに出走[9]。相馬は、ブリーダーズカップで2着に来たら二度目となるジャパンカップ出走を公言していたが、レースではアンブライドルドの2着に入って二度目のジャパンカップ出走が現実となった[9]。その二度目のジャパンカップでは直前の調教で事故に見舞われて蹄を痛め、川崎競馬場所属の河津裕昭を鞍上に迎えて臨んだレースではインコースを進む競馬に撤したが、前の馬が壁になって外側に出さざるを得ず、8着[9]。これが最後の競馬となった。

引退後

引退後はビッグレッドファームに種牡馬入りし、のち上川郡清水町[10]の小野瀬晃司牧場に移った[4]。2007年に種牡馬を引退[4]するまでの16シーズンで血統登録頭数330頭、出走頭数はそのうちの261頭を数えたが、種付け頭数は8年目以降は一けた台を推移していた[11]。種牡馬引退後はビッグレッドファームで余生を送り、晩年はコスモバルクロサードと同じ馬房で過ごしていた[3][4]。2012年12月10日に、老衰のため死去した[3]

主な産駒

ブルードメアサイアーとしての産駒

血統表

イブンベイ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミルリーフ系
[§ 2]

Mill Reef 1968
鹿毛 イギリス
父の父
Never Bend 1960
鹿毛 イギリス
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
父の母
Milan Mill 1962
鹿毛 イギリス
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Virginia Water Count Fleet
Red Ray

Rosia Bay 1977
鹿毛 イギリス
High Top 1969
鹿毛 アイルランド
Derring-Do Darius
Sispey Bridge
Camenae *ヴイミー
Madrilene
母の母
Ouija 1971
黒鹿毛 イギリス
Silly Season Tom Fool
Double Deal
Samanda Alycidon
Gradisca
母系(F-No.) (FN:12-b) [§ 3]
5代内の近親交配 アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [17]
  2. ^ [18]
  3. ^ [17]
  4. ^ [17][18]


脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Ibn Bey(GB) form”. Racing Post. 2020年6月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n (馬名)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  3. ^ a b c d イブンベイが死亡”. 競走馬のふるさと案内所 馬産地ニュース. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  4. ^ a b c d イブンベイが種牡馬を引退”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd. (2007年8月5日). 2020年6月26日閲覧。
  5. ^ Ibn Bey (GB)”. EQUIBASE Horse Profile. Equibase Company LLC.. 2020年6月26日閲覧。
  6. ^ イブンベイ(GB) 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  7. ^ 【ジャパンC】2:22.2の衝撃 ホーリックスがオグリキャップを抑え勝利した1989年/JC名牝列伝”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd. (2018年11月19日). 2020年6月26日閲覧。
  8. ^ 10R ジャパンC 1989年11月26日(日)5回東京8日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  9. ^ a b c 川崎競馬厩舎訪問 ~小向トレセンにようこそ~ 2016/5 河津裕昭厩舎”. 川崎競馬倶楽部. KAWASAKI KEIBA CLUB. 2020年6月26日閲覧。
  10. ^ イブンベイが種牡馬引退、BRFで余生”. 競馬ブック. 2020年9月23日閲覧。
  11. ^ イブンベイ(GB) 種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  12. ^ タイキヘラクレス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  13. ^ スイートイブン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  14. ^ ビッググラス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  15. ^ シンドバッド”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  16. ^ ウォーターオーレ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月26日閲覧。
  17. ^ a b c イブンベイ(GB) 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月19日閲覧。
  18. ^ a b イブンベイ Ibn Beyの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年6月19日閲覧。

外部リンク