アンリ・デランドル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。影佑樹 (会話 | 投稿記録) による 2022年9月26日 (月) 13:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アンリ・デランドル

アンリ・デランドル(Henri Alexandre Deslandres 、1853年7月24日 - 1948年1月15日)は、フランス天文学者である。ムードンとパリ天文台の台長を務め、主に太陽の分光研究に貢献した。

生涯

デランドルはエコール・ポリテクニークを1874年に卒業したが、在学中は普仏戦争パリ・コンミューンの混乱のさなかであった。卒業後陸軍に入り、技官として昇進するが、物理学への興味から1881年に退役し、母校のマリー・アルフレッド・コルニュの研究室にもどり分光学の研究を行った。ソルボンヌ大学でも分光パターンの研究を続け、1888年に学位を得た。スペクトルに関する研究分野でデランドル図(Deslandres diagram)に名前が残っている。この分野の研究としてバルマーの業績に並ぶものである。パリ天文台で働き、1898年から、ムードン観測所でピエール・ジャンサンのもとで、働いた。1907年に、ムードン観測所の所長となった。第1次大戦が始まるともう60歳になっていたが軍務に戻った。1926年にはパリ天文台を合併した。

デランドルは惑星の運動の研究を行い、ジョージ・ヘールとほぼ同時期にスペクトロヘリオメーターを発明し、太陽の活動に関する研究に貢献した。1896年皆既日食の観測隊を率いて北海道を訪れている。

賞歴

エポニム

関連項目

脚注

  1. ^ (11763) Deslandres = 1992 EO17 = 6303 P-L = PLS6303”. MPC. 2021年8月13日閲覧。

外部リンク