アンティオコス2世テオス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。英丸 (会話 | 投稿記録) による 2015年8月13日 (木) 03:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アンティオコス2世テオスΑντίοχος Β' Θεός紀元前286年 - 紀元前246年)は、セレウコス朝シリアの王(在位:紀元前261年 - 紀元前246年)。アンティオコス1世ソテルの子。

生涯

父の時代より広大な統治領域の分裂が始まっており、バクトリアパルティアなどが独立していった。アンティオコス2世は、父王がプトレマイオス朝エジプトに奪われた領土を奪回するべく、第二次シリア戦争 (紀元前260年 - 紀元前253年) を戦った。エジプトのプトレマイオス2世より、小アジアのミレトスエフェソスフェニキア沿岸地域などを奪回し、ミレトス神王(テオス)の称号を得た。

紀元前253年、エジプトとの和約を結び、プトレマイオス2世の娘ベレニケ・フェルノフォラス英語版と結婚した。しかし、紀元前246年にプトレマイオス2世が没すると、離婚した前妻ラオディケ1世と復縁したため、ベレニケとラオディケの対立は深まり、ラオディケはベレニケとその子を殺害し、アンティオコス2世も毒殺された。ラオディケは息子セレウコス2世カリニコスを即位させた。ベレニケ殺害は、エジプトの新王プトレマイオス3世(ベレニケの兄弟)の激怒を招き、彼のシリア攻撃(第三次シリア戦争 (紀元前246年 - 紀元前241年) )の原因となった。

参考文献

関連項目


先代
アンティオコス1世ソテル
セレウコス朝君主
紀元前261年 - 紀元前246年
次代
セレウコス2世カリニコス