アカイア公国

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アカイア公国の版図(紫)

アカイア公国(アカイアこうこく、: principality of Achaia, : principauté d'Achaïe)は、第4回十字軍参加のフランス騎士ギヨーム・ド・シャンリットによって南ギリシアペロポニソス半島に建国された封建国家(1205年 - 1432年)。形式上ラテン帝国テッサロニキ王国の臣下であり、また自らの臣下として12の男爵を従えていた。正式な君主号はラテン語で「全アカイア公」(princeps totius Achaiae)。

初期は建国者の一人であるジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアンの一族が統治したが、その男系が断絶すると、フランス・アンジュー家の統治下に入り、以後、複雑なフランス流血族政治の網の目が張り巡らされていく一方、1262年に半島南部を獲得した東ローマ帝国との争いに揺らぎ、様々な冒険家・戦闘集団がこの地域に入り込んでいく。14世紀後半にはナバラ軍団ナバラ王国出身の傭兵団)やイタリア系のトッコ家などいくつかの勢力に分割された。最後にジェノヴァ人貴族ザッカリア家が獲得したが、1430年にはモレアス専制公領共同統治者ソマス・パレオロゴスの手に渡り、1432年に消滅した。

歴代アカイア公

  1. ギヨーム1世・ド・シャンリット (1205年-1208年・母国帰還のため譲位)
  2. ジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアン (1208年-1228年)
  3. ジョフロワ2世・ド・ヴィルアルドゥアン (1228年-1246年)
  4. ギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアン (1246年-1278年)
  5. シャルル1世・ダンジュー (シチリア・ナポリ王カルロ1世、長子フィリップは7の夫) (1278年-1285年)
  6. シャルル2世・ダンジュー (ナポリ王カルロ2世、5の次子) (1285年-1289年)
  7. イザベル・ド・ヴィルアルドゥアン (4の娘) (共治1289年-1307年)
  8. フロラン・ド・エノー (ラテン帝国帝位継承者の近親、7の2番目の夫) (1289年-1297年)
  9. フィリッポ1世・ディ・サヴォイア (ピエモンテ公、7の3番目の夫) (1301年-1306年)
  10. フィリッポ・ディ・ターラント (6の次子) (1307年-1313年)
  11. マオー・ド・エノー (8の娘) (共治1313年-1318年)
  12. ルイ・ド・ブルゴーニュ (11の2番目の夫、ロベール2世子) (1313年-1316年)
  13. ロベルト1世 (ナポリ王、10の兄) (1318年-1322年)
  14. ジョヴァンニ・ディ・グラヴィナ (13の末弟) (1322年-1333年)
  15. カトリーヌ・ド・ヴァロワ (10の2番目の妻) (1333年-1346年)
  16. ロベルト・ディ・ターラント (10の息子) (1346年-1364年)
  17. フィリッポ・ディ・ターラント (10の息子、16の弟) (1364年-1373年)
  18. ジョヴァンナ (ナポリ女王、13の孫娘) (1373年-1381年)
  19. ジャック・デ・ボー (17の甥) (1381年-1383年)
  20. ペドロ・ボルド・デ・サン・スペラン (ナバラ軍団長) (代理総督1383年-1396年, アカイア公1396年-1402年)
  21. マリア・ザッカリア (20の妻、摂政、1402年-1404年)
  22. チェントゥリオーネ2世アサン・ザッカリア (21の甥) (1404年-1432年)