さくら屋

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株式会社さくら屋
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
326-0814
栃木県足利市通4丁目2573番地
設立 1952年4月26日
(創業1950年)
業種 不動産業
法人番号 2060001018661
事業内容 土地及び住宅、アパート・マンション等の不動産仲介および総合管理
代表者 代表取締役 島田 將行
資本金 5,000万円
外部リンク https://www.sakuraya.co.jp/
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さくら屋(さくらや)は、栃木県足利市にかつて存在した百貨店両毛地区初の本格的百貨店として注目された。2022年現在は不動産会社として存続している。

概要

「さくら屋」の入っていた建物。現在は解体済み

昭和27年にさくら屋呉服店として創業。モードセンターさくら屋として桐生前橋へも出店していたが、折からの高度成長に伴う消費の拡大や髙島屋ストアの進出(足利市通2丁目・現在は撤退)による競争の激化から「足利で東京のお買いもの」というキャッチフレーズの下、百貨店法に基づいた本格的百貨店への進出を決意。1967年11月27日午前9時30分に栃木県足利市通3丁目2600番地で開店した[1]

開店当時の店舗面積は6,060m2で、高島屋ストアなどを規模的に遥かに凌駕していた。地上8階建てで、6階には屋上遊園地・7-8階には喫茶店や子供用ジム・展望台を備えた。上りエスカレーター、エレベーター3機が設置されており、屋上遊園地の観覧車も当時としては珍しく子供たちに人気だった。

開店当初こそ両毛地区唯一の本格的百貨店として周辺地域から多くの買い物客を集め[1]、芸能人のコンサート開催や自衛隊の展示なども行われていたが、翌1968年6月5日には高崎市に本店のある百貨店「藤五」の支店として藤五足利店が開店し、両毛地区初の地下食料品売り場を完備する地下1階、地上7階の大規模店舗で挑んできた。

この状況で、さくら屋単独での百貨店経営では先行き不透明の公算が大きいことから、1969年12月に十字屋に百貨店の営業権を譲渡[1]。百貨店の建物・従業員も全て十字屋へ移籍し、さくら屋本体は不動産業に転換した[1](現在もさくら屋百貨店建設時の仮店舗であった足利市通4丁目2573番地で不動産業「株式会社さくら屋」を営んでいる[2])。公式ホームページのドメインは、かつてカメラ店・家電量販店の「さくらや」が使用していたものを譲り受けている。

なお、1993年(平成5年)の十字屋閉店後はしばらく廃墟となっていたが、更地となって足利まちづくりがパサージュ形式のイベント店舗スペースとイベントスペース (足利ドーム) を設置したビューティフル アシカガ・スクエアが2000年(平成12年)11月から2001年(平成13年)1月に開設されて足利商工会議所が中小企業庁の商店街活性化対策事業補助金を受けて各種イベントを行った[3]2003年(平成15年)5月にフレッセイ通町店が開店した[3]

開店時のフロアガイド

8階 展望台、喫茶、アイスクリーム、お子様ジム
7階 ギャラリー、お茶・お花・人形教室、展覧会場
6階 ゲームセンター、熱帯魚、小鳥、お子様乗り物、プレイランド
5階 大食堂、中華和洋食、寿司、甘味「さくらんぼ」、喫茶、宴会場、写真、スタンド、両毛名店街
4階 家庭用品、和洋陶器、漆器、美術工芸品、おもちゃ、乗り物、和洋人形、書籍、レコード
3階 ベビー子供服、寝具、インテリア、京呉服、実用呉服、高級和装履物
2階 紳士服、ヤングメンコーナー、ワイシャツ、婦人服、デザイン室、婦人服地
1階 婦人服、婦人子供服、紳士婦人用品、雑貨、化粧品、煙草

脚注

  1. ^ a b c d 足利市史編さん委員会 『近代足利市史 第2巻 通史編』 足利市、1978年1月20日
  2. ^ 株式会社さくら屋(不動産)
  3. ^ a b 米浜健人. “旧まちづくり三法下における地方都市中心市街地活性化の実情と課題 栃木県足利市を例として”. 早稲田大学学術研究 地理学・歴史学・社会科学編 第58号 (早稲田大学 教育学部) (2010-2).