武彦王妃佐紀子女王
武彦王妃 佐紀子女王 | |
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山階宮妃 | |
身位 | 女王・王妃 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1903年3月30日 日本・京都府京都市 |
死去 |
1923年9月1日(20歳没) 日本・神奈川県鎌倉郡鎌倉町 |
配偶者 | 山階宮武彦王 |
父親 | 賀陽宮邦憲王 |
母親 | 醍醐好子 |
武彦王妃佐紀子女王(たけひこおうひ さきこじょおう、(1903年〈明治36年〉3月30日 - 1923年〈大正12年〉9月1日[1])は、日本の皇族。賀陽宮邦憲王と同妃好子の第二王女。山階宮武彦王の妃。
来歴
1922年(大正11年)7月19日に、山階宮武彦王と結婚し[2]、後に懐妊。しかし、翌年9月1日に起こった関東大震災で、滞在中だった神奈川県鎌倉市の由比ヶ浜別邸が崩壊し薨去。
同震災では、藤沢市で東久邇宮稔彦王第二王子の師正王が、小田原市で閑院宮載仁親王第四王女の寛子女王がやはり遭難し、皇族ではあわせて3名が命を落としている。
同9月18日午前8時に、山階宮邸で告別ノ儀が行われ、引き続き東京都文京区の豊島岡墓地にて埋柩ノ儀が行われ午前10時15分に済まされた[3]。
栄典
脚注
- ^ 『官報』号外、「告示 宮内省告示第三十二号」、大正12年9月4日。
- ^ 『官報』第2990号、「告示 宮内省告示第二十五号」大正11年7月20日
- ^ 『官報』号外、「宮廷録事」、大正12年9月19日
- ^ 『官報』第2971号「叙任及辞令」1922年06月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」大正12年9月17日