Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/文観 20200911

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選考終了日時:2020年9月25日 (金) 00:05 (UTC)2020年10月9日 (金) 00:05 (UTC)

  • (自動推薦)2020年8月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2020年9月11日 (金) 00:05 (UTC)[返信]
  • 賛成 力作ですね。すごい。ボリュームはすごいですが、読点の使い方が巧みなのと、ストレートに整理されていて読みやすく感じました。(正直にいうと、ストーリーがストレートに読みやす過ぎて、なおかつ出典が「内田2006」に大きく依存しているので、ちょっと不安にはなります。異説はないのかとか。)私個人は古典的な太平記的史観の「妖僧」としてしか知らなかった人物で、勉強になりました。記事に「再評価の研究の途上」と示されているような主題について、シロウトが内容面で「ここがおかしい」と口を出せるようなレベルでもなく、もっぱら形式的な話に終始することをお許しください。全体としてはとても品質が高いので、そのせいでところどころにある部分がかえって気になる、という程度のことです。
  1. 冒頭部が大きい
  2. 冒頭部に生没年を入れてはどうか
  3. 概要部が非常に大きく、出典がない(さすがにこれだけ大きいと気になる)
  4. 節名の重複が気になる
  5. 「と見られる」は「とみられる」等にすべき
  6. 本文中に挿入された梵字(?)画像について
  7. ところどころ、出典がない&文芸調の文があるのが気になる
  8. 古典的な「妖僧」や「邪教」像が、誤りだとしても、「通俗的にはこうみられてきた」という解説がほしい
  • まず、冒頭部のボリュームが明らかに大きい。続いて概要部もかなり大きく、そして出典がないのでちょっと面食らいます。
  • Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)は絶対ルールではないので、絶対ではないのですが、人物記事の冒頭文では生没年を入れるのが慣習です。「生没年はいれない」という積極的な意図があるなら強くは言いませんし、右側のテンプレート冒頭を見ればいいといえばそうなのですが。
  • 一般論として、概要部は本文に適切に出典がつけられた事柄の要約なので概要部にあらためて出典をつけなくともよい、という慣習はあります。たださすがにこれだけのボリュームになると、ちょっと心配にはなります。記事本体(生涯節)の規模からすると、概要節もこれだけの大きさになるのはおかしいことではないのですが・・・。「心配」というのは、普通にアタマから読んでいくと「全然出典がない」という気持ちになることと、Wikipediaの場合には今後も誰かが修正加筆をする可能性が常にあり、誰かがこのあと「概要」説に何かを加筆したときに、出典があるんだかないんだかわからなくなってしまう、という心配。ここらへんについては、「概要が○バイト以上のときは出典をつけろ」みたいに線を引ける話でもないので、私も「こうすればよい」という答えは持っていないのですが。
  • しょぼいことを言うのですが、技術的なことを。「概要」節内の小節と、「生涯」節内の小節と、節の名前が一致しています。こうしてしまうと、「文観#醍醐寺報恩院時代」とした場合に、先に出てくる概要節へのリンクになってしまいます。WP:ANCHORHelp:セクション#セクションへのリンクには解決策があり、「文観#醍醐寺報恩院時代_2」とするとよいことになっているので、ダメではないのですが、あまりメジャーではないような(私は知らなかった)。こだわりがあるなら無理には言いませんが、節の名称が重複しないようにしてはどうでしょう。
  • 「と推定される」の意味で「見られる」という表現が多用されています。たぶんWP:KANAの「動詞のうち、本来の意味がほとんど失われているもの」に照らし、「みられる」とするのがベターではないでしょうか。
  • 「故郷播磨の若き律宗指導者」節の「にかけてのいずれの日か」は、「にかけてのいずれかの日に」とするほうが自然であるように思います。
  • 「東播磨正和石塔群の造営」節で、文中に「アーク」の画像が挿入されていて、これはスタイルマニュアル的にどうだろうな、と思いました。
  • これだけ出典がつけられた中で、「師・道順の台頭と入滅」節の最後の一文「1年に満たなかった」に出典がありません。1321/03/21 - 1321/12/28はたしかに1年に満たないので、おかしなことを書いているわけではないのですが。他の節でもしばしば同様の一文がみられます。「入滅」節の「奇しくも巨星が」あたりとか。これらの文はいささか文芸調で、やや浮いている感じを受けました。
  • 「入滅」節の最後の段落はまるごと出典がありません。ここは私個人としては「通俗的なよく知られた話」なので、出典がないから嘘だという話ではないのですが、ここにも出典をつけるべきだろうと思います。そしてできれば、「生涯」節とは別に、通俗的・古典的なよくある“妖僧”としての文観像についての一節もほしいなと思いました。
  • 冒頭部の最後の方には、「性的邪教の批判はいわれのない中傷だ、と示された」との説明があります。が、本文側には、ここらへんの解説を欠いています。本文ではたぶん「高野山からの反発」節あたりが関係する箇所です。現代的には「いわれのない中傷だと判明した」のだとしても、かつてどういう批判が盛んに行われたかも、解説があるといいと思います。
  • 細かいことを雑多に書きましたが、全体としてはFAの選考に値する完成度だと思います。--柒月例祭会話2020年9月11日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
  • 返信 丁寧に選考して頂き、具体的なご指摘もしてくださって、深く感謝いたします。ご意見を受けて書き直したい部分が多々あるのですが、ひとまず先に返信をさせて頂きます。
  • 「正直にいうと、ストーリーがストレートに読みやす過ぎて、なおかつ出典が「内田2006」に大きく依存しているので、ちょっと不安にはなります」→内田2006/内田2010を引用している文献では、内田説に本質的に反対するものは私自身は見かけたことがなく、追認した上で発展するという方向が基本だと思います。その代表が「播磨国常楽寺時代」を明らかにした金子2019で、内田2006だと「西大寺で律宗を修行したあと経歴に空白期間があって、よくわからないけど次に歴史に出たときはいつの間にか真言宗の実力者で後醍醐天皇の側近になっていた」みたいな感じなんですが、金子2019の論文があることによって、地方で下積みの実績を積んで中央へ、という流れがわかって、結構スムーズなストーリーになったかと思います。
  • 「異説はないのかとか」→内田説への全体的な反論は見かけませんが、個々の議論への反論はあるようです。内田論文は文観の「政僧」イメージを払拭したいらしくて、文観が政治に関わったのは文観の意志じゃなくて後醍醐側の働きかけなんじゃないかというのをたびたび強調しているのですが、大塚2016はむしろ真言宗の僧侶の側が後醍醐の権威を借りようとしたのではないかというようなことを言っています。ただ本文のどこにこの話題を入れるかは中々悩みます。また、大塚2016は、結果論とは言え後醍醐が「瑜祇灌頂」を受けた史上ただ一人の天皇で、真言宗を政治に最も活用した天皇の一人になったので、天皇としては「異形」と言っても間違いではないんじゃないか、と主張しています。ただこれは、あくまで同じ現象への呼び方の違いで、1980年代の網野善彦の「異形の王権」論の「異形」とは違い、後醍醐天皇の宗教政策が後宇多天皇の延長にあるという内田説の内容自体は大塚2016も認めているので、この呼び方論の話題を入れると余計雑然とした記事になってしまうのではないか、と危惧します。
  • 1.、3.、冒頭部は確かに推敲が必要だと思います。ただ、私としては、現状日本語版ウィキペディアの多くの記事は冒頭部があまりにも短すぎて何を言いたいのかつかめない記事が多いと感じているので、どちらかといえば迷ったら長め寄りにしたいと思っていて、この記事について言えば感覚としては「かなり長い」ぐらいで「長すぎる」というほどでもないと思います。概要部については、これほどの分量ならば、他者の加筆の可能性も考えて出典が必要というのは強く同意いたします。ここは修正したいと思います。
  • 2. 「人物記事の冒頭文では生没年を入れるのが慣習」→仏僧記事ではよくわからないのですが、武将記事ではテンプレートを用いた場合は生没年を冒頭文に入れない規定なので(Template:基礎情報 武士)、それにならって外したという形です。他に、ProfessorPineさんは、Weblioなどへ転載されることも考えれば、フォーマット的な情報はインフォボックスに任せて、第一文は説明文を多くすべきではないか、ということをおっしゃっています(ノート:後醍醐天皇#記事の冒頭について)。私自身としては議論を率先したいほど強いモチベーションはないので、気になる方々で一度フォーマットを決めてくださると嬉しいのですが。
  • 4. 「節名の重複が気になる」、5. 「「と見られる」は「とみられる」等にすべき」、「にかけてのいずれの日か」→これは確かにご指摘の通りだと思います。修正したいと思います。
  • 6. 「本文中に挿入された梵字(?)画像について」→たいとショウ王などの例があるので、場合によっては本文中に画像を入れるのは全く不可能という訳ではないと思いますが、特に使い分けを指示するガイドラインなどがあればご教示頂ければ幸いです。
  • 7. 私も読み返してみて文芸調が目立つところが結構あると感じたので、文調は修正したいと思います。「奇しくも巨星」云々については、私は特に南朝贔屓という訳でもないので(南朝は伝説と実態が乖離した人物が多いのでこっちを手掛けることが多いですが)、なんとか両朝を立てた書き方をしたいと思ったのですが、賢俊の業績と重要性をコンパクトにまとめるのもかなり頭を使うので大雑把になったという実情です……。
  • 8. 「邪教の妖僧文観」は本人を離れてそのキャラクター自体にかなり長く面白い歴史と研究があるので(『文観阿舎利絵巻』とか井上吉次郎 『文観上人』とか)、真面目に書こうと思うと一つの記事の分量になってしまいそうで、力尽きたという感じです。ウィキペディア上のどこかに記述は必要だとは思いますが、あるいは坂上田村丸のように独立した項目として設ける方が良いでしょうか。--Senu会話2020年9月13日 (日) 13:25 (UTC)[返信]
返信 私も全ての点について解をもっているわけではないので、いくつか。
生没年の件は了解しました。個人的には「Weblio」云々はWeblio側で解決すべきことで、Wikipedia側がそのために何かするというのは変だと思います。スマホや読み上げソフトなど、多様な利用スタイルを考慮すると、きちんと本文で生没年を入れるべきと考えます。が、まあInfoboxで一目瞭然というのも確かですし、個別の話というよりは全体のこととして合意が必要なことですし、当座はいいでしょう。
梵字の件は、たいとなどでは漢字の説明上必要であるのに対して、この記事では「梵字の画像」自体がなくても文章は通じるので、画像が不可欠であるとは思いません。とはいえ絶対に無くせということでもなく、生没年の話と共通ですが、読み上げソフトなどでの利用も考慮した記述が必要です。つまり、「たいと」でも行われているように、画像が見えない場合の代替文字列を指定すればいいので、[[File:BonjiAah.png|50px|「アーク」の梵字]]みたいな感じにするといいはずです。
異説云々ですが、日本史学の分野で、2000年以降に書かれた論文に対して、いまの時点で、別の研究者によるじゅうぶんな評価が出揃うというのはむつかしいでしょうね。あと30年後ぐらいには、20XX年の内田論文に対するいろいろな引用・分析・言及がでるようになるのかもしれませんが。8とセットになりますが、これだけのスケールの記事だと、「研究史」(文観の評価の変遷史)みたいなものがあってもいいようには思います。(個人的には、研究史みたいなのって書き手にとっては苦痛な作業と思いますけど。)
Iso10970さんは、歴史や文化に関する背景・周辺知識の解説があるのを「読みにくい」と感じられたとのこと。私は逆に、それが充実していてこの記事だけで完結できるのが「読みやすい」と感じました。まあこれは個人の好みや感想なので、正反対になるのはしかたがないですね。--柒月例祭会話2020年9月18日 (金) 07:16 (UTC)[返信]
ご返信感謝いたします。概要部出典追加・漢字の用法・節名の重複・梵字画像などについては対処いたしました。3賛成後48時間規定で選考が本日中に締め切られてしまうと思うので、進捗を一旦取り急ぎ返信いたします。多々ありがとうございました。--Senu会話2020年10月5日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
  • コメント 出典付きで詳細に書かれた記事ですが、以下感想等です。
1. 正直いって冒頭部と概要節が長すぎると思います。まず冒頭部は7段落と、WP:LEADLENGTHの大雑把な目安(3-5段落)を超えていますし、概要節はパソコンのモニタだと気にならないかもしれませんが、「PDF形式でダウンロート」してみるとA4で7-8ページと、もはや普通の記事並みの長さになっています。スマホアプリだといつまで経っても本文に辿り着きません。概要節を読むと本文と重複する記述もありますし、今のままなら不要と個人的には思います。仮に概要節を設けるとしても、現在の冒頭部くらいの内容で十分ではないでしょうか?
2. 本文には文観に直接関係しない記述が多数あり、話が散漫な感じで読みにくい印象を受けました。本記事ではなく他記事に書く、もし本記事に書くとしても、もっと簡略化して注釈にでもしたほうが「文観の百科事典記事」としてすっきりするのではと思います。具体的には、
  • 「仏門に入る」節の真言律宗、叡尊の説明
  • 「信空長老体制の強化」節全部
  • 「真言宗の阿闍梨「弘真」になる」節の真言宗醍醐派報恩院流の説明
  • 「師・道順の台頭と入滅」節全部
  • 「元弘の乱」節の流刑と京都への帰還以外の部分
  • 「後醍醐天皇崩御」節の北朝側の仏事に関する部分 など、本記事でここまで書く必要があるのか疑問です。
3. あと細かい点ですが、「叡尊という鎌倉仏教史を代表する巨人」…一般に鎌倉仏教史の代表と言えば、親鸞や道元、日蓮などではないでしょうか?叡尊を「代表する巨人」と書くのは違和感があります。--Iso10970会話2020年9月11日 (金) 14:17 (UTC)[返信]
返信 長い記事にもかかわらず、読み込んだ上で多くのご意見をくださってどうもありがとうございます。
1. WP:LEADLENGTHの基準の「3-5段落」はあくまで常識的な分量の記事に対する基準であって、それが絶対的な基準ではないと思います。この記事はもとが長いですし、文観の場合は少なくとも4つの分野に業績がまたがっており、かつ過去と現時点での研究上の実像に大きな開きがある人物なので、第一文+業績の概観+それぞれの分野+研究史だけで最低7段落になってしまいますので、段落数としてはこれ以上切り詰められないと思います。もちろん、各段落の文章そのものは推敲が必要とは思いますが。また、概要節はスマホアプリなどで普通の記事として読むのも想定の一つとして設けました。本文をスマホで全文読むのは正直無理だと思います。
2. 良質な記事であるオットー・フォン・ビスマルクの項目では、ビスマルク本人が直接関わっていない政治情勢もしばしば解説されますが、これはビスマルクが個人の枠を越えて当時のヨーロッパ外交の代表的存在であるため、その記事を読めばビスマルク本人と共にヨーロッパの情勢が理解できるように便宜を図ってのものであると推測します。同様に、鎌倉末期〜南北朝初期の真言宗・律宗の代表である文観の記事においては、当時の真言宗と律宗の概観もある程度つかめるような体裁になっていた方が良質であるかと思います。
3. 「一般に」というのは「現在の世間一般における知名度」という認識でよろしいのでしょうか。『二条河原の落書』に「追従 讒人 禅律僧」、室町幕府の組織に「禅律方」があるように、律宗が禅宗と並ぶ大勢力だったのが当時の一般認識でしたし、その中心人物である叡尊が当時における巨人なのは特に異論を挟む余地はないのではないでしょうか。むしろ親鸞・道元・日蓮らは戦国時代から現代にかけての勢力差が過去に遡及して有名なのであって、叡尊に比べて当時としての重要性を大きく上回ることはないかと思います。もちろんカジュアルな書き方では現在の一般的知名度を優先して書くこともあるのでしょうが、この項目の場合は特に鎌倉仏教における専門的な項目ですから、想定する読者層からして、ある程度実態に則して書く方が良いかと考えます。ただ、上で柒月例祭さんがご指摘する「文芸調の文」の文にあたる可能性もあるので、その観点から文調を修正する必要があるかもしれません。--Senu会話2020年9月13日 (日) 13:25 (UTC)[返信]
  • 賛成 私も、ちょっと概要節は長すぎるかなと感じました。冒頭節が十分充実しているので、これなら概要節はなくてもいいかなと。ただ記事自体はとてもよく書かれていると思ったので賛成とします。説明の文章でやや口語的に見えるところがあるのが気になりました。--Tam0031会話2020年9月24日 (木) 15:53 (UTC)[返信]
    • 返信 選考およびご意見感謝いたします。概要節については、関連意見としてWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/オットー・フォン・ビスマルク_20120311を示しておきます。ビスマルクの記事は(日本語版ウィキペディアの一般的記事に比べれば)かなり概要節が長いですが、それでもなお、ぱたごんさんはスマホユーザーの利便性なども考えれば概要節をもっと長くすべきだとおっしゃっています。諸々の意見を折衷するに、ビスマルクや文観のサイズぐらいの記事では、充実した概要節が必要で、ビスマルクの概要と文観の概要の中間ぐらいのサイズが良いのかなと思いますが、寡聞にしてそれに合致する記事を拝見したことがないので、ウィキペディアとして今後の課題ではあると考えます。ただ課題といってもGAというよりFAレベルの基準の話だとは思いますが……。--Senu会話2020年10月5日 (月) 12:46 (UTC)[返信]
  • コメント 選考期間終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Tam0031会話2020年9月25日 (金) 15:34 (UTC)[返信]
  • 賛成 賛成します。多少長すぎる部分があっても、良質な記事のレベルには達しているようにみえます。--電鉄新幹線会話2020年10月3日 (土) 12:06 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2020年10月5日 (月) 14:30 (UTC)[返信]