Wikipedia‐ノート:コメント依頼/柒月例祭とQuark Logo

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利用者:Quark Logo氏に騙され罠に嵌められている人が大勢いるが気をつけたほうがいい。どんな人物が何の件でどんな人物に因縁をつけられているのか、本質を見失い、重要性の判断を誤ってはいけない。文章に目を通し全ての問いに向き合おうとする律儀な人ほどQuark Logo氏の餌食になる。依頼者も典型的な騙されている被害者、いや犠牲者と言うべきだ。Quark Logo氏は都合が悪い指摘や批判意見は完全に無視をする。長文で押し流して批判は無かったことにしつつ、長文で標的を執拗に挑発し攻撃するのが常套手段。誠実であればあるほどQuark Logo氏の長広舌に真面目に向き合おうとしてしまう。些細な過失を極大化した中傷に多くの手間と時間をとられ、消耗させられ、重要で本質的な問題が矮小化されてしまう。Quark Logo氏は相手が嫌がることを計算して陰湿に実行する。最初に相手を怒らせることに注力し、その失言や失敗を引き出すのが狙い。一度でも些細な失言や過失を晒すと、それを長大な文章で極大化し、相手の人間性までも否定するような攻撃を繰り返す。相手が怒れば怒るほどQuark Logo氏の思う壺。依頼者が失言や失敗をしてしまうために、Quark Logo氏の問題が見逃される。残念だが依頼者も既にその罠に落ちている。数多くの文献を参照して書き上げた力作記事の一番目立つ場所にサブスタブ節を挿入すれば大抵の執筆者は感情を害する。関の五本マツでは即時改名。それがQuark Logo氏の戦術だ。そうやって激昂させてしまえば、後はQuark Logo氏の思うがまま。相手が嫌がることを次々と行い、自分を正当化するような些細な変更を埋め込み、相手のリバートを待つ。リバートしてきたら些細な「正当な編集」を100万倍に誇張して膨大な長文で相手を罵倒しまくって大騒ぎする。Quark Logo氏は依頼者のリバートを最大限に利用して批難する。特別:差分/62695413/62695413のようにQuark Logo氏は自身が気に食わないものは平気で無言リバートするのだ。依頼者に対してQuark Logo氏が一人で70Kも費やして依頼者を罵倒した言葉は「妨害」「問題行動」「私有化」「不当」「ガイドラインに100%違反」「偽」「極めて排他的」「捏造」「無理解」「甚だしい」「目的に反する」「マナー違反」「ブロック相当にもなる違反」「不誠実」「暴言」「間違った」「おかしい」「無茶苦茶」「面倒をかけている」「あ・な・た、です」etc.よくもまあこれだけ攻撃の言葉を延々と並べるものだ。攻撃性と悪意の権化といえよう。どの利用者がこれを相手に合意形成をできるだろう?

冷静に俯瞰すれば害は明らかだろう。依頼者は新着記事・強化記事・月間賞・GAの常連だ。ウィキペディアの代表執筆者の一人といえよう。その方がQuark Logo氏の下らない嫌がらせによって筆を折らされている。これはウィキペディアの損失以外の何物でもない。Quark Logo氏の行為はその損失に見合うものだろうか。Quark Logo氏がいなくてもウィキペディアは困らないだろう。Quark Logo氏は日頃から大した執筆もせず、相手を攻撃する段になると70Kもの攻撃文書を投下、それでもまだ途中で続きがあるというのだから恐れ入る。利用者攻撃の専門家だ。今に始まったことではない。Quark Logo氏は予てから優秀な執筆者の力作が投下されると些末なミスを大騒ぎして嫌がらせをすることでプライドを保っているような利用者である。関の五本マツでの行動は最低だろう。執筆者が多大な苦労をして送り出した記事をGoogle検索を根拠に勝手に改名して暴れ、どれだけ批難され反証を示されても意に介さず詫びの言葉一つもない。それどころか執筆者を「日本人ではない奴にはわかるまい」と決めつけるような捨て台詞を吐き捨てた。Quark Logo氏がこれまで深く関わってきた記事を俯瞰するとQuark Logo氏の人物像は自ずと浮かび上がるだろう。チョン (蔑称)安重根日本鬼子バカチョン朝鮮民族主義歴史学ハンギョレ靖国神社・日本大使館放火事件朝鮮義勇隊韓国光復軍犬糞女ちゃんころetcetc。こういう記事に入り浸って相手を罵倒することで自己承認欲求を満たしているような利用者なのだ。そういう人物が真っ当な調査も怠って「日本人としての違和感」だと言い張る。

些細な表現上の統一に異常なまでの執念を見せ、そのためなら他者を排撃することは厭わない。誰も聞いてない攻撃文書を延々と唱え続ける。創造的な能力は皆無に等しい。他者を貶めることでしか自己の存在意義を高められない。この問題を早期に解決するには可及的速やかにQuark Logo氏をブロックするべき。その後依頼者と第三者で話し合いをしてスタイルを修正すればいいだけだ。依頼者は執筆だけでなく各所の議論でも譲歩する方であり、真っ当な利用者とであれば冷静温和に対話できるだろう。関の五本マツのときにQuark Logo氏は排除されるべきだった。関の五本マツの経緯を追うならば、Quark Log氏が如何に根拠もなく他者を排除し、執筆者を侮辱し、記事を破壊し、コミュニティを損耗させ、害悪を吐き出すか明白だろう。それらはすべてただひたすらにQuark Logo氏の自己満足のためだけに行われている。強調しておくが、Quark Logo氏は優れた執筆者を貶めることに喜びを感じる利用者なのだ。--以上の署名のないコメントは、MintteA会話投稿記録)さんが 2017年1月28日 (土) 16:31‎ (UTC) に投稿したものです(Yapparina会話)による付記)。[返信]

コメント わたしには、MintteAさんはQuark Logo氏が柒月例祭氏を個人攻撃していることを示すためにQuark Logo氏を個人攻撃しているように見えます。なお、上記のコメントはMintteAさんが1時間前にアカウントを作成した後、2件目の投稿であり、MintteAさんがいわゆる「捨てアカウント」である可能性が高いことを付記しておきます。--ネイ会話2017年1月29日 (日) 03:03 (UTC)[返信]

要約欄について[編集]

  • コメント  㭍月例祭さんのこの編集についてですが、要約欄を利用し、他の利用者に対する個人的評価を記入されることは、要約欄の目的外使用であると思います(Wikipedia:常に要約欄に記入する#注意点「記事の現状に対する利用者の個人的評価の記入、不適切な表現での記入や利用者への個人攻撃など、問題となる投稿や、要約欄の目的外での使用は行わないでください。」)。Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician 20161024で被依頼者に要約欄の不適切な使用を含む指摘をしたことについて、㭍月例祭さんは、ほとんど問題がないなどという意見を終始一貫表明されていましたが、このときのコメントも理解しがたいものがありました。要約欄は、共同作業を潤滑にするために設けられているはずなのに、不適切な記入を行うことで、編集者が目にしやすい場所に表示され続けることになり、目に入る度に、書いた本人を除く全ての人に不快感を与えることになります。関与していない人にとっても、そもそも、他人の文句など見たくはないのに、強制的に目に入ってしまうことになり、迷惑でしかありません。㭍月例祭さんが要約欄で文句を書かれたことについては、Wikipedia:常に要約欄に記入する#注意点で禁止されている要約欄の目的外での使用にあたることを認識されたほうが良いと思います。--はるみエリー会話2017年2月26日 (日) 11:35 (UTC)[返信]
    • この発言の要約欄については自身の投稿内容の要約であり、その点では目的内の使用方法だと思います。「口汚く罵られる」と本文にあるのを単純化して「攻撃」になり、「全てはねつけており」「一切認めない」をまとめて単純化して「ありとあらゆること」になったのでしょう。要約というのは短くすることであり、そのために多少ニュアンスが落ち、きつく聞こえることもあります。注意したほうがよかったすればその点だけで、「目的外」ではないと思います。 --210.149.255.184 2017年2月26日 (日) 13:07 (UTC)[返信]
Quark Logoさんには対話する気はなく、ありとあらゆることで私を攻撃しようとしているように思います。」という要約欄の発言は要約ではなく、異なる意見の表明となっています。他人の発言の改ざんはお控えください。--106.154.74.174 2017年2月26日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
        • 上の2点(「攻撃」「ありとあらゆること」)に加えて、「対話や合意をしようという姿勢とは思えません」→「対話する気はなく」も要約ですね。これで要約欄の内容と投稿内容の対応はついた、即ち別の内容が書かれている訳ではない、と思いますが。 --210.149.254.208 2017年2月27日 (月) 00:26 (UTC)[返信]
「対話や合意をしようという姿勢とは思えません」の要約は「対話する気はなく」ではありません。「対話合意の意志が未確認」であればまだ要約といえると思います。「思えません」という主観→「なく」という事実、に意味が変わってしまっています。また、コメントの際にその内容の要約を記述しなければいけないということはありませんし、現に、㭍月例祭さんは、突然、最も気持ちがピークに達したコメントのみで、名指しで要約欄で不適切な発言をされており、それ以外の場面で、もともと要約欄になにも書かれていないことも多いです。不適切なコメントが相手への挑発に繋がったり、強制的に第三者の目に入るという不愉快さを生み出してしまい、要約欄の目的としている、共同作業を潤滑にするために使用されたとは言えません。--はるみエリー会話2017年3月3日 (金) 15:25 (UTC)[返信]
本文で主観表現だったのが要約で事実に変わっている、という点について。要約中の「対話する気はなく(A)、...しようとしている(B)ように思います」という連接構造は「Aであるように思います。」と「Bであるように思います。」をまとめたものと読めます(要するに「思います」が両方にかかっている)。A、Bいずれも意見です。はるみエリーさんは、「Aである。」と「Bであるように思います。」をつなげたものと解釈したのですか? --210.138.176.9 2017年3月4日 (土) 04:05 (UTC)[返信]

もうやめたら?[編集]

  • どっちも手を引いてしまうと言うのはどうです?
  • 18万バイトが論争のために費やされているのは、どう考えても異常だし無駄ですぜ。コメント依頼と言いつつ実際にはほとんど二人の水掛ですし。すでにコメント依頼の体をなしていませんよね。--Keisotyo会話2017年2月28日 (火) 06:08 (UTC)[返信]
  • コメント 正直同感です。この18万バイトを書く時間で、どれだけ記事を改善できるかを考えたら、すごく勿体ないと感じました(一週間以上をかけて訳した七年戦争ですら12万バイトしかありませんよ)。今クローズするかはお二方にお任せしますが、論争が長すぎて新しくコメントする方は現れそうもないことを指摘しておきます。わたしも(読みはしましたが)詳しいコメントはすでに諦めました。--ネイ会話2017年2月28日 (火) 07:20 (UTC)[返信]
  • 返信 私も「正直な気持ち」でいうと、お互いの論点が噛み合っておらず、「水掛け論」になっているとは感じています。長大化したことで新たな参加者が期待できそうにもない、という点もそうだろうと思います。結果として、「コメント依頼の体をなしていない」という点についても、その通りだろうと思います。
  • ノートなので、ある程度大雑把な事を言ってしまいますと、私はこの問題、根底にあるのは、Qurak Logoさんは統一性を(強力に)進めようとするポリシーをお持ちの方であること、私は(一定の)多様性を認める立場にいること、その違いなんだろうなあと思っています。(ここで「相手のポリシーが間違っている」などと言い始めても堂々巡りなので、それはやりません。)
  • 1つの妥協案として、「両者とも95ヶ条の論題から手を引く」ということで手打ちにする、というのについては、私としては受け容れ可能です。
  • ただし、「95ヶ条の論題からは手を引くけれど、引き続き別の記事では柒月例祭の記事スタイルを問題視したり、書き換えてまわるよ」というのでは、場所を移して同じ衝突を繰り返すだけです。そういうことをしない、という条件つきでお願いしたいです。--柒月例祭会話2017年2月28日 (火) 08:34 (UTC)[返信]
  • (追加1)条件を追加しますが、95ヶ条の論題は、Triglavさんによって、Quark Logoさんの編集を(一時的に)差し戻しなされています。その後、良質な記事の選考に伴って私がいくらか編集しましたが、これに対してQuark Logoさんが従前行ったような「スタイルの変更」を再実行するというのであれば、私はそれを認めます。画像のサイズ・表示形式や、出典の形式についても、実行していただいて結構です。
  • (追加2)Quark Logoさんは95ヶ条の論題について、さらなる改稿の準備をなさっているとのことですし、その労を無駄にするのも勿体無いですから、その改稿をさらに行うことについても、私は認めます。ただしその内容(あくまでも内容であり、スタイルは問いません)については、私以外の第三者からみて妥当である、ようにはして下さい。(例えば、中身のないスタブ節をつくるだけ、のようなことは自重していただきたい。)--柒月例祭会話2017年2月28日 (火) 08:44 (UTC)[返信]
言っときますけど、私は仲介の労を執ろうなどとは思っていません。条件など提示したら、また泥沼になるかも知れませんね。そんなに向こうが悪いと思うなら、いっそブロック依頼でも出してみれば?--Keisotyo会話2017年2月28日 (火) 08:52 (UTC)[返信]
㭍月例祭さんが、自分とQurak Logoさんの違いを、上記のように自分の中では思っておられて、それを、コメント依頼の場で証明されたかったのだなと理解しました。しかし、これまでもこれからも、誰もそうは思わないことでしょう。多様性を認める立場であれば、Qurak Logoさんの編集を少しも認められないということになるはずがありません。--はるみエリー会話2017年3月2日 (木) 14:29 (UTC)[返信]
「多様性を認める」というのを「誰かと対立したら無条件に相手に譲る」と勝手に読み替えるのはミスリーディングですらない、詭弁でしょう。「誰もそうは思わない」じゃなくて貴方はそうは思わない、と言うことに過ぎないので勝手に多数派背負ったような発言しないで貰いたいですね。--2400:2411:C741:BD00:E465:C3B2:831C:4BC0 2017年3月3日 (金) 06:11 (UTC)[返信]

(インデント戻します)もうどっちがどう悪いか、と言う段階はずっとずっと前に終わっています。ので混ぜっ返さないで頂きたい。㭍月例祭氏には大半の主張を引いた上で撤退の意思表明して貰ってます。Qurak Logo氏は多分にそれに同意を表明しながらもまだ何かおっしゃってる。その段階でもう一度どっちが悪かったかの話などしないでください。もしするのであれば、はるみエリー様にはこの場を何とかとりまとめるつもりがあるのでしょうね?--Keisotyo会話2017年3月2日 (木) 20:32 (UTC)[返信]

これ以上、コメント依頼を続ける意味はないと発言しているのは読まれていないのでしょうか。Keisotyoさんの中では、どっちが悪いかという話が終わっているのでしょうが、他人に考えを押しつけないでください。はるみエリー以外にも、SilverSpeechさんや106.154.74.174さんが、コメント依頼中の㭍月例祭さんの行動は軽率ではないかという発言をされています。コメント依頼中に㭍月例祭さんが取られた行動や要約欄における不適切な発言などは、明らかに軽率であったと思います。㭍月例祭さんがコメント依頼中に取られた行動について、Keisotyoさんが、なぜ、勝手に、終わったことにされているのか全く理解できませんが、ノート:琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会#一方的である点で発言されたような、「放言」の一種なのだろうと受け取ることにします。㭍月例祭さんも、ご自身の行動について何も説明をされずに逃げたという印象を持たれるのは良くないですし、その説明だけはされたほうが良いとは思いますが、このコメント依頼自体は続ける意味もないと思いますし、あくまでも説明をするつもりがないのであれば、それはそれで仕方が無いと思います。Keisotyoさんは、どっちが悪いかという話は終わっているといいつつ、一方で、㭍月例祭さんは撤退表明をしたからいいけど、もう一方で、Qurak Logoさんは、なにかおっしゃってると、Qurak Logoさんに苦言をおっしゃっています。その発言で、Keisotyoさんは、お二人を比較してどっちが悪いかを暗に表明されていますから、全然、どっちが悪いかという話は終わっていないというふうにしか見えません。そういう発言の矛盾についても、「放言」ということなのでしょうか。ということにしておきます。--はるみエリー会話2017年3月2日 (木) 23:53 (UTC)[返信]
あーはいはい、じゃああとはお好きなように。私は消えます。--Keisotyo会話2017年3月3日 (金) 00:03 (UTC)[返信]