Wikipedia‐ノート:すぐに古くなる表現は使わない/Archive01

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翻訳について[編集]

すぐに古くなる言葉を使わない・・・ドレミファインバータ?(笑)

「すぐに古くなる表現は」と訳した方がよさそうですね。Tomos 19:23 2003年10月12日 (UTC)
「はやり言葉」とかかもしれませんね。(定着していない言葉かも)0null0 23:58 2003年10月12日 (UTC)
この記事で扱っているのはすぐに古くなる言葉というよりも、表現(「今国会中に成立の見通し」みたいなもの)の方だと思うのですが、定着していない言葉を使わないこともほぼ同じ理由で重要でしょうね。Tomos 00:13 2003年10月13日 (UTC)

何でもかんでも、一時の流行語(それも限られたコミュニティの)を項目に挙げて、その記述者自体がとりたてて語る内容を持っていない様なのは、注意すべきでしょう。
あと、本来の意味としては「いつ時点、いつの時代の話であるのか明確にする」ということでしょう。

タイトルに関しては、すでに訳されていたものを使ってますので・・・私は関知していないですが、反対意見がなければ、英語を除去するときに「すぐに古くなる表現は使わない」というタイトルに変更しておきます。(対応する翻訳文も変更しておきます)
「はやり言葉」・「流行語」についてのルールは、必要なら、この記事以外でつくってください。(このページは、単なる英語版の翻訳ということでお願いします。)Ojigiri 11:32 2003年10月13日 (UTC)

> 「はやり言葉」・「流行語」についてのルールは、必要なら、この記事以外でつくってください。(このページは、単なる英語版の翻訳ということでお願いします。)
というのはどういう意図ですか??
そのようにする必然性があまり感じられないのですが。Kk 17:08 2003年10月13日 (UTC)
本来この記事が指すべき内容は「ある時点での状態に依存した表現はやめよう」というだけの内容でしたし、元々単なる翻訳のおつもりで着手されたのでしょうし、英語版と合わせた構成が大切である場合もあるでしょうし。
Ojigiriさんのおっしゃるのが、元は含まれない内容を無理に加えようとせず、別記事に分けるか再構成し直すべき、と言う意見であれば、賛成です。
- Gombe 05:33 2003年10月14日 (UTC)
流行語などを記事の題材にすべきではない、という件は確かに別件かな、と思います。これは多少分ける必然性を感じます。
すぐに廃れる言葉を記事中で用いるべきでない、という件は一緒にしてもいいかも知れないとは思います。Tomos 05:41 2003年10月14日 (UTC)
Gombeさんが意図を汲んで下さったので、繰り返す必要もないかもしれませんが、単なる英語版の翻訳のつもりで着手しましたし、Wikipedia:プロジェクト関連文書のリストでも、ほとんどのページについて「日本語版オリジナルか否か」を明確に区別しているという事情によるものです。(多言語プロジェクトですから、他言語プロジェクトとの整合性をとることも重要だと考えています。)Ojigiri 11:12 2003年10月14日 (UTC)
> 他言語プロジェクトとの整合性をとる
なるほど、これですか。Ojigiriさん、Gombeさん、Tomosさん、回答ありがとうございました。
Gombeさんのおっしゃる「本来この記事が指すべき内容」というものがあって、それはずーっと変えずに守っていくべきものなのかなあ、というようなことが漠然と私の頭に在ったので、先の質問になったようです。
また、今(2003.10)はウィキペディアに参加する上で知っていたほうが良いことが分断されすぎて、全体の把握が大変だなあとも感じています。Kk 04:34 2003年10月15日 (UTC)
整合性の件、言われてみれば一理ありますね。Kkさんの「全体の把握が大変」というのは同感です。ただまあ、スタンダードな記事を投稿する分にはそれほど大した事はないんじゃないかとも思いますし、投稿されたスタンダードな記事を編集したり記事名を移動したりできるベテラン(?)の方々もかなりいるのでこれでいいのかな、とも。Tomos 04:52 2003年10月15日 (UTC)

表現の修正を促すテンプレートの提案[編集]

以前から気になっていたのですが、「すぐに古くなる表現」は避けるようにここで書かれているにも関わらず、現在あちこちで使われています。見つけたらなおそうと思っても自分の知らないことだったり、確認が必要だったりすると結局そのままになったりします。
そこで、{{要出典}}のようなテンプレートを用意し、見つけたらペタペタ貼り付けて修正を促すことができるようにしたらいいと思うのですがいかがでしょうか(この提案のために「現在の」や「現在では」で検索しただけで万単位でヒットして軽くびびりました)(検索条件がダメでしたね)。{{Notice}}や{{注意}}というのも考えましたが、対象へのポインティングができないのがいまいちです。--Blowback 2008年4月13日 (日) 17:22 (UTC) 修正--Blowback 2010年2月23日 (火) 09:05 (UTC)

賛成 Wikipedia内をつまみ読みしていて同様の「昨年末」「先週」(!)などという表現に出くわし、最近見かけるようになった「誰?」テンプレートのように「いつ?」テンプレートがあるに違いないと考えてここに辿り着き、まだ整備されていなかったことに驚きました。当項目の周知も図れて大いに有用かと思います。 --まぬ 2010年1月30日 (土) 17:06 (UTC)

まぬさん、コメントありがとうございます。提案からものすごく時間が経ってしまってますが、テンプレートを作ってみました(利用者:Blowback/backyard/すぐ古くなる表現)。

使用例
現在利用者:Blowback/backyard/すぐ古くなる表現、すき家の牛丼(並)は280円である。

表示される文言についてのツッコミや、そもそもほんとにこれ要るの? といったコメントを募集します(そもそもこのガイドライン自体が草案のままだし)。この手の提案はお知らせにも告知した方がいいんでしょうか?--Blowback 2010年2月23日 (火) 09:02 (UTC)

{{いつ}}は既にあったのですね。ただ、あちらはあくまで日時を欠いた文章を対象としていますが…。呼び出し元を幾つかかいつまんで閲覧しましたが、日時を欠いた文章だけでなく、すぐに古くなる表現に対しても使用している例が見受けられました。統合できるならばそうした方が望ましいかと思いますが、当項目の位置付けも合わせて議論を呼びそうですね。--まぬ 2010年2月23日 (火) 12:09 (UTC)
コメント 私個人としては、積極的な必要性を感じない(後述)反面、あってもいいかなという気はします。ただ、新規に作成しなくても、{{いつ}}の援用で良いのではないかなと。また新規の作成・援用のどちらにしても、本文中にこれを埋め込むとなりますとその名分が必要でしょうし、前もってのガイドライン化が前提となるように思います。
{{いつ}}の援用については、ガイドライン化がなされた上であれば{{いつ}}の関連項目に本ページへのリンクを加え、かつ{{いつ}}自体にも簡単な説明を加えれば、問題ないと思います。
積極的な必要性を感じない、と言う点についてですが、理由の1つ目は「現在」などを使われる方はほとんどが執筆時点での話を書こうとされていますので、ほとんどの場合は「執筆時点」で判断できる様に思うことです。そして2つ目として「執筆時点」で解決できないのであればそもそもとしてじきに限らず記述自体に出典が必要なはずであり、{{要出典}}で事足りるように思うためです。--マクガイア 2010年2月23日 (火) 13:42 (UTC)
コメントありがとうございます。私もこのテンプレを作ってみようと思って始めて{{いつ}}の存在を知ったのですが、{{いつ}}の目的と本テンプレートの目的は現状は異なっており、共用するのは無理がある、無理して共用する必要も無いと考えました。無理というのは、テンプレのリンク先は適切に設定されるべきであり、適切なリンク先とはWikipedia:言葉を濁さないと本項とで異なっているということです — テンプレをいじってパラメータでリンク先を切り替えるとかできそうですが、見た目は同じで挙動(この場合リンク先)が変わるのは、ユーザの予測を超えるという意味でUI的によろしく無いです。
ただし、当該ガイドラインはWikipedia:言葉を濁さないと統合してもいいんじゃないかとは思いました。その場合は{{いつ}}を利用することでいいと思います。あと、マクガイアさんの、
>「現在」などを使われる方はほとんどが執筆時点での話を書こうとされていますので、ほとんどの場合は「執筆時点」で判断できる様に思うことです。
とおっしゃることに関しては、「あいまいな情報の確認/判断を利用者に強いる」ことを避けるということ自体が本ガイドラインの目的だと思います。
とりあえず、本ガイドラインをどういうかたちにせよ草案から卒業させることを優先しなければならないみたいですね。--Blowback 2010年2月23日 (火) 15:07 (UTC)
2点補足を。
すいません一番肝心な所を言い忘れていました。{{いつ}}を援用するという案は、Template:いつに簡便な説明のある曖昧さ回避のようなものを設けて、注意からのリンク先を説明に変更して振り分けるということを意図していました。
「執筆時点」で判断できると言う点につきまして。まず前提として、「何時なのかが分からない」という状態はほぼ間違いなく出典が必要な状態であり、単に「何時なのか」の補記を求めるよりも、そもそもとして出典を求めた方が良いと考えています。その上で簡単に分かるようなものであれば、「何時なのか」というテンプレを張る手間も「執筆時点」で判断する手間も大差ないんじゃないかなということです。--マクガイア 2010年2月25日 (木) 13:05 (UTC)
あー、すいませんよく理解できてないです。 Template:いつに簡便な説明のある曖昧さ回避のようなものを設けて、…” というくだりですが、文中の[いつ?]をクリックすると、Wikipedia:言葉を濁さないに移動しますが、そこに曖昧さ回避的ガイドをいれればよいということですか?
いずれにせよ、本ガイドラインを正式化するほうが優先課題だと思いますので、それをセクションを改めて提案させていただきたいと思います。--Blowback 2010年2月26日 (金) 15:46 (UTC)
正式化の方が優先ですが、一応補足させて頂きます。文中の[いつ?]をクリックしての移動先を、Wikipedia:言葉を濁さないからTemplate:いつに変更し、Template:いつWikipedia:言葉を濁さないと本項目の簡便な説明を設置してそれぞれ詳細はリンク先を呼んでもらう、ということです。--マクガイア 2010年2月27日 (土) 04:52 (UTC)
正式ガイドライン化の件が片付いたところで、話をぶり返してみるテスト。
上の議論を拝見していて思うに、Wikipedia:言葉を濁さないとの統合や{{いつ}}の流用はどうも問題が多そうですので、独自にテンプレートを設けた方が良さそうに思いますね。
テンプレートで表示される文言について、思いつきですが「いつの時点?」はいかがでしょうか。「いつ?」ではなく「いつの時点?」とすることにより、将来に渡って意味の通る文面にすべきであることをやんわりと指摘でき、別の節でマクガイアさんが書かれていた「だからはっきり現在と書いているじゃねーか」という切り返しにも対応できるものと思います。--まぬ 2010年3月10日 (水) 12:39 (UTC)
すいません、まとまった時間がとれず、話を先にすすめれずにいました。本当に統合すべきかどうか、自分の中でもはっきりとまとまっていないのですが、皆さんの意見を聞きたいので、統合提案してみます。--Blowback 2010年3月14日 (日) 13:30 (UTC)
またまたすいません、すぐの統合提案はやめます。ちょっと考えがまとまらないので、また後ほど。--Blowback 2010年3月14日 (日) 13:51 (UTC)

ちんたらしていてすみません。このテンプレート関連で、私自身が迷走してる感が否めませんが、とりあえず私見をまとめした。

時期の明記を促すテンプレートは{{いつ}}で一元化した方がよい。
やはり、テンプレートの名前はともかく、一元化した方がシンプルで使う方も見る方も分かりやすので、そうあるあるべきだと思います。かぬさんもおっしゃられているように、すでに{{いつ}}が本ガイドラインの意味で使用されている例もあります。そもそも元となった英語版{{When}}はこっちの意味も含んでいます。
時期の明記を促すガイドラインも一元化した方がよい。
時期の明記に関するガイドラインがWikipedia:言葉を濁さないと本項に分けられている必要性がありません。一元化すれば、新しいテンプレートを作ろうかとか、{{いつ}}の運用をどうしようかとか考える必要もありません。

一元化について、その手段はいくつかあると思います。

  • A) 本ガイドラインを「Wikipedia:言葉を濁さない」に統合する。
  • B) 時期の明記に関するガイドラインを本ガイドラインにまとめる(本項が主になる)。この場合、{{いつ}}のリンク先は本項になります。

ただし、A案、B案について、既に指摘があるように、それぞれ問題があります。

  • Aの問題) マクガイアさんも別セクションでおっしゃられているように、{{いつ}}から今のページにジャンプしても、「言葉を濁さない」というタイトルでは、その意図がすぐには分かり辛く、意図を理解するためにガイドラインをある程度読むことを対象者に強いる。そして今の「言葉を濁さない」のページはそれが分りやすくなってはいない。
    →統合後に「言葉を濁さない」のセクション構成を変更し、({{}}とかも考慮して)それぞれが該当するセクションを用意し、そこに直接リンクできるようにすれば対処できると思います。「言葉を濁さない」の改名も一つの手段だと思います。
  • Bの問題) 時期に関する記述がない場合のガイドラインも含むのに、タイトルが、時期の記述がある前提の「すぐに古くなる表現」では実態にあわない。記述がない理由で{{いつ}}が貼られた記事の編集者が飛んできた際に、このタイトルでは意図がすぐには分かり辛い。
    →こちらは、ページの冒頭の記述で対処できるとは思いますが、ちゃんとやるとしたら改名ですかね。

こんなかんじです。私としては、A案、B案どちらがいいかという判断はついていません。他の案(いやいや今のままで別途テンプレート作ればいいじゃんとか)も含めてご意見があればお願いします。必要になったら「Wikipedia:言葉を濁さない」の方にも告知して一緒に協議すればいいのではないかと思います。--Blowback 2010年3月19日 (金) 14:24 (UTC)

コメント 私としては、必ずしも一元化する必要は感じず、まぬ氏のご提案で問題ないのではないかなと思いました。--マクガイア 2010年3月25日 (木) 13:58 (UTC)

「2008年」の代わりに「21世紀初頭現在」としています[編集]

ここの解説記事に例として書かれている「2001年10月現在」と言う表現は、ひと月も経てば陳腐化してしまうために、書いている記事の有効期間を延ばしたいと思う執筆者はあまり使いたがらないのではないでしょうか?少なくとも私は月まで含めた表現は使ったことが無く、「2001年現在」の方でしか使ったことがありません。

この草案記事の趣旨は出来るだけ「現在」という時間が示す期間を限定する必要があるということのようですが、多くの記事ではほぼ確実に今後数年間は、そしておそらく今後十数年間は、記述している状況に変化が生じることはない場合があり、そういった記事ではあまり有効期間を狭く記述することは誰にとっても不利益しかない場合もあると考えます。

しかし、たとえ十数年変わらないような状況であっても、「現在」だけでは記事が存在する限り社会の状況がどう変わろうとも、常に「現在」のままで記述されていることになり、読み手にとっては「現在とはいつなのか」が判らないために、正確性を放棄している記事になってしまいます。

私は、記事内容での状況説明の文章では、もしその状況が十年前後か、もしかするとそれ以上の期間に渡って変化しないような場合に限り、「2008年の現在では」の代わりに「21世紀初頭の現在では」という表現をしています。「2008年」では狭すぎる「現在」だけでは広すぎる記事の有効期間をなんとか適度に広く記述しているつもりですが、読んだ時の印象が変に細かい説明という印象がぬぐえないと言う不満も感じています。

さて説明が長くなりましたが、現在の草案の「2001年10月現在」と「2006年から」だけの推奨例には反対の立場です。上の例の他に、例えば「2010年を間近にして」とか「21世紀になってからは」という表現等を使える余地を残しておいていただければと考えております。この件に対して他の方の意見がございましたらお伺いしたいと思います。--Tosaka 2008年5月3日 (土) 02:36 (UTC)

ただの例なので、それ以外が禁止されるというものではないでしょう。未来の予測をどの程度書けるかは別の問題としてあるでしょうけども。状況に変化が無い事象は、現在については言及せず、いつその状況になったかだけを書くという方法もありますね。--Y-taro 2008年5月7日 (水) 08:03 (UTC)

○○現在について[編集]

場合によっては現在という言い方がしっくりくるケースもあるでしょうが2009年5月時点というように○○現在を○○時点に変えてみてはどうでしょうか。--Tiyoringo 2009年5月5日 (火) 10:03 (UTC)

賛成。この言い方は前から気になってました。明らかに現時点でずっと過去のこととなっているのに「○○現在」と書かれていると違和感があるので。--ヨッサン 2009年5月13日 (水) 10:16 (UTC)
「○○現在」というのは「今・現在」という意味ではなく、変化の状態を区切った場合の表現です。よくビジネス文書などで使用されていますが、大抵の辞書にはその意味と用例が記載されていると思います(参考)。「○○時点」にも反対はしませんが、別に「○○現在」でも問題ないのではないでしょうか。--Compatible Access 2009年5月26日 (火) 13:17 (UTC)

「現在」を単に「2009年現在」にするような機械的な変更について[編集]

例えば、西谷祥子さんの記事のこの版の「来歴」の節に、「現在」という言葉が用いられています。この文の出典となっている書籍の発行年は1988年ですから、「現在」をおきかえる場合は「1988年時点」などにすべきだと考えます。

しかし、この文書を読まれた方が、「現在は2009年だから」という理由で「2009年現在」におきかえられるかもしれません。出典によりますと「2009年」の状況は不明ですから、これでは不正確な記述になってしまうおそれがあります。そこで、

「現在」などを含む文章に出典がある場合は、時期の特定はその出典を元にしてください。

のような文章を追加してはいかがでしょうか? 申し上げましたように「現在」を単に「2009年現在」などとしますと不正確な記述になるおそれもありますので、提案させていただきました。ご意見よろしくお願い申し上げます。--長月みどり 2009年10月27日 (火) 18:38 (UTC)

賛成 この問題は「現在→xxxx年現在」の置き換えだけではなく、「2009年5月現在を2009年10月現在」に(出典はそのままで)置き換える」といった形でも散見されるように思います。この文章の意図が分かられている方でしたらわざわざ説明する様な事ではないとは思いますが、この文章を案内して差し上げる必要がある方にはこの辺りも含めての説明があった方が親切かつ効果的であるように思います。ついでと言うわけではないですが、#○○現在についてで挙げられている「時点」も選択肢として加えたら良いのではないかなと思います。--マクガイア 2009年10月27日 (火) 21:51 (UTC)

報告 反対意見がございませんでしたので、本文に反映させました。また、「時点」を用いた例につきましても#○○現在についてにおいて積極的な反対意見はございませんでしたので、追加しました。--長月みどり 2009年11月19日 (木) 18:26 (UTC)


すみません、下の節の議論のために文章をチェックしたのですが、長月みどりさんが加筆された文章が端的でよくわかりませんでした。「参照した出典に「現在」「最近」などの表現があった場合は、その出典が発表された時期が起点となっていることに注意してください。例えば 1988年に発表された出典に「現在」とあった場合は、1988年当時のことが記されています。」ぐらいに噛み砕いてもよろしいでしょうか? --Su-no-G 2010年3月2日 (火) 14:33 (UTC)

賛成 いえいえ、国語は苦手なものでこちらこそすみません。確かに具体例があったほうがわかりやすいですね。ご提案に賛成します。--長月みどり 2010年3月2日 (火) 18:44 (UTC)
賛成 修正案に賛成します。--Springtide 2010年3月4日 (木) 12:16 (UTC)

ありがとうございます。合意と判断し、改稿しました。--Su-no-G 2010年3月9日 (火) 13:38 (UTC)

{{CURRENTYEAR}}について[編集]

「{{CURRENTYEAR}}年現在、…」と記述されている場合があります。機械的な手動編集より性質が悪い「機械による自動更新」ですので、記事文章においてこの記述は推奨されない旨の文を加えていただけませんでしょうか。--竃馬 2010年3月25日 (木) 08:39 (UTC)

賛成 変数を使っては、「現在」が全く無意味になってしまいますからね。--マクガイア 2010年3月25日 (木) 13:58 (UTC)

本ガイドラインの正式化の提案[編集]

本ガイドラインはかなりの時間草案のままになっていますが、そろそろ正式化してもいいのではないでしょうか、というか、正式化されて然るべき項目ではないでしょうか。ということで正式化を提案します。
正式化に向けての案件をあげてみました。

  1. そもそも正式化すべきか
  2. 内容について: 正式化するにおいて内容は十分か。
  3. 正式化の形態について: このまま独立したページにするか、既存のガイドラインと統合するか。 ※正式化決定後まで保留

私の意見は以下の通りです。

  1. 正式化して当然の事項である。
  2. 内容は文章を調整する程度で十分(理解の難しい事柄ではない)。
  3. Wikipedia:言葉を濁さないに含むことのできる内容だと思うので、統合する。 ※正式化決定後まで保留

内容もそう大きくなく、もともとの英語版記事も統合先は違いますが、統合されていますし(そもそもこのページ、履歴継承に問題ありそうなんですが、今は触れません)、統合すると{{いつ}}を時期の不明記と合わせて運用できます。ご意見がありましたらお願いします。--Blowback 2010年2月26日 (金) 16:17 (UTC) 修正。正式化の形態については取り下げて保留。--Blowback 2010年2月28日 (日) 07:50 (UTC)

コメント 1.2.については全く問題がないと考えます。3.については反対というわけではないのですが、これを案内されるような方々にしてみれば分かりにくいのではないかなという懸念は感じます。「現在」に付いている[いつ?]をクリックして「言葉を濁さない」と言われても、「だからはっきり現在と書いているじゃねーか」という感じで。考え過ぎかもしれませんし、もう少し皆様の御意見を伺いたいですね。--マクガイア 2010年2月27日 (土) 04:55 (UTC)
すいません、私の頭の中で、Wikipedia:言葉を濁さないに統合して、{{いつ}}を修正して、適切なセクションにリンクさせて云々と、一人突っ走ってました。Springtideさんのご指摘にもありましたとおり、3.については一旦取り下げ、正式化決定後に検討することとさせてください。--Blowback 2010年2月28日 (日) 07:50 (UTC)
賛成 ガイドライン化は問題ないと思います。統合は、こちらの項目もガイドラインにしてから対等の立場で検討しましょうよ。同じガイドライン同士なら統合のしようもありますが、「本運用に草案を混ぜる」のであれば向こうのノートに文面追加の提案を最初からやり直す形が必要になってしまいますので。--Springtide 2010年2月27日 (土) 19:42 (UTC)
そうですね。私の中で、正式化に障害はまずないだろうからと、その先のことばかり考えていました。3.については一旦取り下げます。ご指摘ありがとうございました。--Blowback 2010年2月28日 (日) 07:50 (UTC)
賛成 3.を取り下げられたことにより私の懸念は無関係となりましたので、改めて賛成を表明させて頂きます。--マクガイア 2010年2月28日 (日) 08:29 (UTC)
(賛成+コメント)基本的には賛成です。ただ最後の文章が分かりにくく、修正したほうが良いと思いましたので上の節で修正案を出します。--Su-no-G 2010年3月2日 (火) 14:33 (UTC)
(コメント)ここにこう書いていいのか分からないですが(汗)…Blowbackさんによって原案修正が入りましたので条件が無くなりました。Su-no-Gさんの提案を反映した後も賛成票を維持します。上の節と微妙に重なってますがごめんなさい。--Springtide 2010年3月4日 (木) 12:15 (UTC)

終了皆さんコメントありがとございました。反対意見もありませんでしたので、本項を考慮すべきガイドラインとして正式化させていただきます。私はこれを統合化すべきと先に発言しましたが、とりあえず現状を正式化する作業を終わらせておきます。ありがとうございました。--Blowback 2010年3月7日 (日) 04:10 (UTC)

マジックワードを使用して時系列を表現することについて[編集]

上記の節でも触れられていますが、時間がたっているので分けて記載します。

さて、私も以前から通常記事空間の文章を{{CURRENTYEAR}}を使って表現するのは問題が多くあると考えていまして、Wikipedia:編集フィルター/提案にて新しい編集フィルターでこれらの語句を含んだ編集に警告を出す動作を盛り込むように提案しています。その際に示す方針文書としてはこの文書しかないと思うのですが、その際には文書の文面を変更する必要があると考えています。具体的には、「この項目のノートもご参照ください。」の前に1段落を設けて

なお、単に「現在」の前に{{CURRENTYEAR}}などのマジックワードを追記して、「{{CURRENTYEAR}}年現在」と記述することはこの問題を解決する方策にはなりません。これらのマジックワードはその文書が編集された時間を提示するのではなく、その文書が閲覧された時間、もっと言えばウィキペディアのサーバ上にある文書が参照された時間を示すものです。そのため、執筆者は執筆した時点の時間を表示させるつもりで記述したとしても、執筆者が意図した通りの時間表記をいつまでもし続けるとは限りません。時間を記すときには、これらのマジックワードで記すのではなく、記事文中に直接「2011年現在」のように記してください。

のような文章を入れることを考えています。特に問題がなければ方針文書に盛り込みます。--VZP10224 2011年5月8日 (日) 04:53 (UTC)

賛成 一応Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間にも同様の説明がありますが、本文書に上記説明を追加することに賛成します。--Penn Station 2011年5月8日 (日) 05:34 (UTC)
賛成 賛成します。複数の文書に記述があったほうがより目に留まりやすいかと思います。--長月みどり 2011年5月8日 (日) 20:06 (UTC)
賛成 本ガイドラインに関係するところでの使用がそこそこあるように思いますし、本ページにも記述されていた方がよいと思います。Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間へのナビもあったらよいかもしれませんね。--マクガイア 2011年5月11日 (水) 13:42 (UTC)

報告特に異論がないようなので、本文に反映いたします。--VZP10224 2011年5月15日 (日) 16:52 (UTC)

思考停止した「現在」の言葉狩りについて[編集]

明治神宮外苑[1]について。 確かに一般論として「現在」という言葉が好ましくないというのには賛同します。が、じゃあ、何でもかんでも「現在」という表現は否定してしまえというのは、ベクトルが逆方向なだけの思考停止ではないでしょうか。上記の記事の場合「現在の国立競技場」は「現在の国立競技場」(あるいは「後の国立競技場」)以外の何物でもないでしょう。記述している事象の当時の名称と、現在の名称が異なれば、「現××」という表現になるのは当たり前です。

そこを「2012年時点の国立競技場」等と記述するのは、むしろ知性ある百科辞典の文章として相応しくありません。 もしかすると「××年に国立競技場と改称」とするのはアリかもしれません。しかし「明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場)」という文章を読む時、殆どの読者が知りたいのは「当時の名称」と「現在の名称」だけなのであって、何年に名前が変わったかまでに興味を持つ人は少ないでしょう。その意味で「××年に改称」云々は「文章を読みづらくする過剰情報」とも言えます。

そもそも「明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場)」は「すぐに古くなる表現」でもなければ「言葉を濁す表現」でもありません。国立競技場という名前がコロコロ変わるわけでもないし、言葉を濁して「現在の」と言っているわけでもない。 方針というのは、その背後にある真の意味・意図・効用を理解して使用するべきでしょう。方針の言葉の上っ面だけを理解して、脊髄反射的にそれを振りかざすような愚かな行為は、厳に謹んで欲しいと思います。--223.133.84.116 2012年5月5日 (土) 16:52 (UTC)

本ガイドラインの運用上の諸問題と今後の課題[編集]

私は執筆時点でしか成立しない表現を避けるという本ガイドラインの目的については基本的に重要なものだと考えています。その上で一言述べたいと思います。

私も前節の223.133.84.116さんの指摘と同じ趣旨なのかもしれませんが、現行(2012年11月1日現在)の「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」の基準について一定の改善の余地があるのではないかと考えています。それは私が食品に関する文献を基に御節料理の記事で「Wikipedia:出典を明記する」で示されている基準に従って、著書名、発行所名、刊行年、参照ページを明示して歴史的な観点から加筆したのですが、「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」との兼ね合いで私の追加した3か所の出典付きの記述が削らざるをえなくなってしまったために気づいたものです(このうち1か所については現行の「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」の基準との兼ね合いの観点から自ら出典を示して行った投稿を自ら削ることになりました。なお、他の方々からも指摘を受け一定の対処もなされましたが、そのような指摘や対処をして下さった方々に苦言を呈しているわけではありません。私の理解不足もあり、現行(2012年11月1日現在)の基準に従って指摘・対処していただいたことですから処置は当然のことです)。

それを踏まえた上で現行(2012年11月1日現在)のガイドラインの基準については次の二つの点で今後特に考慮すべきではないかと考えます。

その第一は(前節の223.133.84.116さんと同趣旨かもしれませんが)適用範囲と運用のされ方が硬直的にならないよう配慮が必要ではないかという点です。

Wikipedia:出典を明記するとの兼ね合いですが、出典を参照した際に「現代」「今日」「現在」等々の語句について、常に「20XX年XX月現在」「20XX年時点」「20XX年から」「19XX年代には」のような語句に代えて用いるべきかどうかという点についてです。

確かに時事的な内容あるいは統計の結果など明らかに年号・年代を明確にしたほがよい場合もあると思います(20XX年現在の○○の売り上げは○○億円であった。20XX年現在の○○島の人口は○○人であった。)。しかし、223.133.84.116さんが前節で「国立競技場」を例に指摘しておられますが、すべての表現にこれを適用すると百科事典というよりは年次報告書のような表現になってしまいます。御節料理を例にとると「19XX年現在の御節料理では・・・」あるいは「20XX年現在の御節料理では・・・」というような表現が百科事典的な表現といえるでしょうか。この問題点は年中行事の記事に適用するとさらにはっきりします。例えば、正月の記事において風習などについて文献を参照して「現在正月には」とされているところを「19XX年現在の正月では」と記述したり、冬至の記事において風習などについて文献を参照して「現在では」となっているところを「19XX年現在の冬至では」などと記述する表現が妥当かどうかという問題です。これでは「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」が本来目指しているはずの記事の明確化とは反対に各年ごとの時事的なことを言っているのか一般的な説明を言っているのかどうか不明瞭な表現にならざるをえなくなります。しかし、現状、「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」において合意がされている以上は、執筆される方は文献で「現在の御節料理では」となっているところを参照する場合には「20XX年の御節料理では」というような表現を用いらざるをえなくなりますがこれは妥当なのでしょうか。223.133.84.116さんは前節で「国立競技場」を例に指摘しておられますが、確かに文中で「20XX年時点の○○競技場」などという表現を常に用いることが百科事典的な表現なのかという問題があります。「19XX年現在」の表現は適切な場合もありますが対象によっては適切でない場合もあるのではないでしょうか。

第二点として「代わりに「2001年10月現在」、「2003年時点」、「2006年から」、「1990年代には」のような語句を用いてください」(2012年11月1日現在「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」より)の点についてですが、明確性が担保できればよいのですから、より幅広い表現方法の選択を認めるべきではないかという点です。

この点に関連して現行(2012年11月1日現在)のガイドラインの基準では「参照した出典に「現在」「最近」などの表現があった場合は、その出典が発表された時期が起点となっていることに注意してください」(2012年11月1日現在「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」より)とされています。その一方で「Wikipedia:出典を明記する」によれば出典については刊行年も明示することになっており、注で示した上で一文が置かれている以上は出典の刊行年を基準としたものであることは本来読者の側も知りうる立場にあることになります。したがって、注で刊行年が明示されているか否かという点についても一定の考慮が必要ではないでしょうか。ただ、確かに私も注のみでは弱いのかなとも思いますので、例えば出典を参照して「現在○○島では毎年○○祭が行われている」というような記述をする場合には、「20XX年現在○○島では毎年○○祭が行われている」という表現の選択肢だけではなく文中において直接「現在○○島では毎年○○祭が行われている(20XX年)〈その上で出典を下段に表示〉」というような方法など表示についても複数の表現方法を考慮してはどうかと思います。また、複数の資料を参照した際に「現在」や「今日」が各資料で複数出現した場合に、記事中で「19XX年現在」「20XX年現在」「20XX年から」といった表現が錯綜すると読む側を混乱させることになりますので、「現在、Aについては○○○であり(19XX年(その上で出典を刊行年とともに下段に表示))、Bについては×××とされている(20XX年(その上で出典を刊行年とともに下段に表示))」といった簡明な表現方法も認められないか検討すべきと思います(この点については「Wikipedia:検証可能性」との兼ね合いも考慮が必要だと思います)。現行の方法では表現の選択の幅が狭すぎになってはいないか今後の検討課題だと思っています(より弾力的に運用できる基準・方策が必要ではないでしょうか)。

現行の基準では「どの程度の範囲で時期を特定するかは個々の事象に合わせて決め、できるだけ曖昧さのないように記述してください」(2012年11月1日現在「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」より)が注意書きとして入っています。この部分は「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」の中の核心部分であり、できるだけ曖昧さのないように個々の事象に合わせて対応することが原則のはずです。そして、曖昧さを無くす目的は読み手を誤解・混乱させないためのはずです。したがって、誤解・混乱を招きやすい事項かどうかによって基準についても画一的にせず出典の性質や項目の分野などである程度区分できればよいとも思いますが、将来的にこの点も加味して客観的な基準を設けることは難しいのでしょうか。

この問題は究極的にはある記述内容が短期的なことを対象としたもの(時事的な記述など)なのか長期的なことを対象としたもの(一般的な記述)かという問題なのだと思います。一般的な記述など存在せず社会的な内容は時々刻々と変化するのであるから年号等によって常に明確化すべきという考え方もありえます。それも一つの考え方なのかもしれません。ただ、常に年号等に「代えて」記述することが百科事典の記述として常に妥当なものかどうかは考えておく必要があると思います。例えば「日本において洗濯機といえば20XX現在では一般に電気洗濯機をいう」という表現は認められるが「日本において洗濯機といえば今日では一般に電気洗濯機をいう」という表現は認められないことになりますが、後者の表現が百科事典の表現として必然的に不適当なのものといえるのかという問題があります。また、さらに視点を変えると場合によっては誤解を招く場合があり得ます。例えば、出典として参照した文献の記述内に「今日」が含まれており、それをもとに執筆したと仮定して「日本では電気洗濯機が普及し単に「洗濯機」といえば今日では一般に電気洗濯機をいうようになった(その上で出典を下段に表示)」と留めるのは適切だと思うのですが、年代を付して「日本では電気洗濯機が普及し単に「洗濯機」といえば20XX年代においては一般に電気洗濯機をいうようになった(その上で出典を下段に表示)」という表現では電気洗濯機を「洗濯機」と呼ぶことが一般化した時期について誤解を招く恐れがあります(そのような文献は参照すべきでないというのでは、歴史的な観点の記述が困難となり、「Wikipedia:検証可能性」を向上させるという点から問題ですし、記事をより多角的な観点にするという点からも問題です)。

したがって、特定の場合に例外的に使用できる場合について客観的な基準を策定してはどうでしょうか。「最近」、「現在」、「近年」、「現代」、「現状」という文言を用いているか否かにかかわらず、出典を用いた記事であっても社会の変化とともに事実と合わなくなってくる可能性があります。執筆段階で将来的に記事を読む人にも文章の意味が通ることを考えることは基本原則として極めて重要ですが、記事内容に合わせて百科事典としての体裁のあり方にも配慮した上でもっと弾力的な基準の設定が必要ではないでしょうか。

私は可能な限り出典を示して加筆・修正をすることを心がけてきましたが、今後、しばらく積極的な加筆や修正の活動を控えるつもりです。残念ですが現状では出典を示して加筆修正することが、当初、私が思っていたほど尊重されていないのかなと疑念を生じているからです(将来的に復帰できればとは思っています)。

私は決して「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」の全体の方向性について否定的に捉えているわけではありません。「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」は現実に合意されているものであり、基本的に遵守すべきものと考えます。ただ、その目的は必要かつ合理的なものですが、現状の基準をより良い方向になるよう考える一助になればと思い、また、何か良い方策を出して頂ける方がいらっしゃるのではないかとの思いから、以上の点について指摘させていただきました(これは具体的提案ではありません)。参考にしていただければ幸いです。--Jizwf会話2012年11月1日 (木) 14:22 (UTC)

ガイドライン改訂の提案[編集]

このたびガイドラインの改訂を提案したいと思います(私が問題点を持ち始めたきっかけについては、私の拙稿である前節の#本ガイドラインの運用上の諸問題と今後の課題についても参照されるとうれしいです)。

現行ガイドラインについて次のような点について考えました。

  • 第一は「現在」や「今日」などの語句の具体化が必要なのは記述対象の変化が短期的なもの(せいぜい十年程度)に限られるのではないかという点です。あまりに、長期的な点にまで及ぼすと百科事典的な表現をとりにくくなります(私は御節料理のページでの執筆で江戸時代と現代との比較表現においてこの問題にぶつかり、最終的には3か所の出典付きで示した自らの記述部分を削らざるを得なくなりました。前節でも述べましたが、そのような指摘や対処をして下さった方々に苦言を呈しているわけではありません。現行(2012年11月1日現在)の基準に従って指摘・対処していただいたことですからその処置は当然のことであるという点は付言しておきます。詳細については私の拙稿#本ガイドラインの運用上の諸問題と今後の課題を参照ください)。223.133.84.116さんが「#思考停止した「現在」の言葉狩りについて」の中で指摘されているように、私も記述対象の性質によっては時期の特定化にこだわりすぎると文章の表現が硬直化あるいは陳腐化してしまうという懸念をもっています。例えば(この例は私が前節で示した例で申し訳ないのですが)「日本では電気洗濯機が普及し単に「洗濯機」といえば現在では一般に電気洗濯機をいう」という表現のほうがスマートであり「日本では電気洗濯機が普及し単に「洗濯機」といえば20XX年現在においては一般に電気洗濯機をいう」というような表現が百科事典的な表現であるとは思えません。「50年後」のような長期的な視点については最終的には将来の執筆者による訂正による対応あるいは「要検証」などの対応に委ねるべき性質(というよりは委ねざるを得ない性質)のものであって、現在の執筆者は長期的な視点にも最大限の考慮は払うべきだとは思いますが現実に半世紀にわたるような内容の変化の少ない事象に対してまで常に「20XX年現在」のような表現をとることが百科事典の表現として適切かという点は考慮すべきと思います。
  • 第二は書き換え例が現行では「代わりに「2001年10月現在」、「2003年時点」、「2006年から」、「1990年代には」のような語句を用いてください。」となっていますが、前節で私が先に申し上げたように時期の特定化という目的が達しうる表現であればよいのですから、ガイドラインで示される時期の特定化のための表現方法はあくまでも例示であることを明示し、時期の特定化という目的が達しうる表現であれば柔軟に幅広く認められることを明示すべきだと思います。
  • 第三に「参照した出典に「現在」「最近」などの表現があった場合は、その出典が発表された時期が起点となっていることに注意してください。」の部分ですが、それは事実なのですが、Wikipedia:出典を明記するにおいて出典を示す際には基本的に刊行年を示すべきとされていることとの関係にも配慮すべきだと思います。つまり、刊行年が出典で示されている以上、その出典の付された記述はその出典の示された年を基準としているであろうことは読む側も知りうる立場にあるわけですから(決して刊行年付きの出典表示があれば常に時期的な表示が不要であるといっているわけではありません)、ガイドライン上の表現においては時期を特定する必要性はあくまでも読む側に混乱をきたさないために表示すべきものであることを明示したほうがよいと思います。

そこで以下のような改訂案を考えてみました。

数日・数か月・数年単位で変化していくことが考えられる事象については、すぐに古くなる表現は避けてください。

「最近」、「現在」、「近年」、「現代では」、「現状では」、「今のところ」、「今は考えられている」、「もうすぐ…になるだろう」などといった語句や、時期の説明が全くなく執筆時点でしか成立しない表現は避けてください。これらの表現を将来的に読む人の視点からも考えてみてください。その時になっても文章の意味が通るでしょうか。

これらの問題は為替レートや物価など刻々と変化するもので考えると理解しやすいと思います(「現在の為替レートでは」などの表現では近い将来妥当でない記述となってしまい読む側を誤解・混乱させる可能性があります)。

参照した出典に「現在」「最近」などの表現があった場合は、基本的には、その出典が発表された時期が起点となっています。例えば、1988年に発表された出典に「現在」とあった場合は、1988年当時のことが記されています(文献・資料内の図表などの記述で特に調査の時期が示されているものについてはその調査時点となります)。「Wikipedia:出典を明記する」では出典を示す際には基本的に刊行年等を示すべきとされていますが、読む側に混乱を生じさせないように可能な限り文中においても時期を具体化しましょう。

数日・数か月・数年単位で変化していくことが考えられる事象については、以下の例のような表現を用いて執筆時点を基準として可能な限り時期を具体化してください。

  • (記述例1)対象となる文の前に「2001年10月現在」、「2003年時点」、「2006年から」、「1990年代には」と注記する方法
  • (記述例2)対象となる文の後ろに括弧書きにより「(2001年10月現在)」「(2001年時点)」と注記する方法

ただし、以下のような場合で特に時期を具体化・特定化するとかえって不自然な表現となる場合や誤解を与えかねない表現となる場合には時期の具体化・特定化は必ずしも必要ではありません(このような場合であっても「現在」や「近年」などの表現を避けた一般的な表現に留めることが可能か、現在についてではなく記述対象が変更された時期を具体的に明示することが可能かをまず検討してください)。

  1. 記述対象が数十年以上に及ぶ場合または記述内容の変化が乏しいと考えられる場合、あるいはこれらに準じると考えられる場合
    (具体例1)事物の一般的呼称で近年中の変化がみられないと思われるもの(「単に「洗濯機」といえば現在では一般には電気洗濯機をいう」といったものです)
    (具体例2)文化・科学分野に関する一般的記述(「現在の日本語では」や「現在の動物分類学では○○属の○○科は○○科に再編されており定義が見直されている」といったものです)
    (具体例3)長期にわたる歴史的な観点から比較表現として用いられる場合(「○○尺」という単位は、江戸時代には○○㎝であったが、現在では○○㎝である」といったものです)
  2. 具体的な時期の表示がかえって誤解を招く場合あるいは百科事典の表現としてみたときに不自然な表現とならざるを得ない場合
    (具体例)「現在」などの語句が記述対象の変更が生じた時点のことを指したものではなく、具体的時期を付け加えると百科事典での表現として不自然あるいはかえって混乱をきたす場合(「かつて使用されていた食品添加物○○(現在は使用禁止となっている)は、・・・」「A市はB市とは○○年に合併しそのまま現在に至っている」「○○会社(現在の同名の会社とは別会社)」といったものです)
  3. 以上の複合的な事例にあたる場合
    年中行事などで逐一具体的な時期を入れると百科事典の表現として不自然な場合あるいは個別の年について言及しているのかわからなくなり誤解を与えかねない表現となる場合(具体例として「現在の正月行事としては・・・」「冬至の伝統行事として現在に残るものとしては」など)。
  4. 固有名詞の名称そのものについての記述で近年中の変化が予定されていないもの
    地名・人名・社名等で近年中の変化を予定しているものではないときです(具体例として「旧・越後国(現在の新潟県)」「チェコスロバキア(現在のチェコ)」「○○株式会社(現在の株式会社○○)」など)
  5. 定期的に再構成されるページでの記述
    Portal:最近の出来事での記述など。

ただし、以上に列記されている事項に該当する場合であっても近い時期に客観的な内容の変化が予定されていることが明らかな場合には特に注記してください。

このガイドラインの適用にあたっては、対象となる事象の時間的変化の可能性を考慮した上で百科事典の表現として不自然な表現あるいは誤解を招く表現にならないようにし、どの程度の範囲で時期を特定するかは個々の事象に合わせて決め、時間的な観点で可能な限り曖昧さのないように記述してください。

(※以下、マジックワードに関する部分以降は現行のままとする)

以上につき提案いたします。--Jizwf会話2012年11月3日 (土) 05:41 (UTC)

上記の私の提案の内容についてですがガイドラインとしては表示の点からも少し整理が必要であると思いましたので、上記の提案内容の一部について縮約することとし以下のように提案内容を修正させていただきたいと思います。前回の自らの示した案文については混乱を招かぬよう取り消します。申し訳ありません。 --Jizwf会話2012年11月3日 (土) 10:11 (UTC)

数日・数か月・数年単位で変化していくことが考えられる事象については、すぐに古くなる表現は避けてください。

「最近」、「現在」、「近年」、「現代では」、「現状では」、「今のところ」、「今は考えられている」、「もうすぐ…になるだろう」などといった語句や、時期の説明が全くなく執筆時点でしか成立しない表現は避けてください。これらの表現を将来的に読む人の視点からも考えてみてください。その時になっても文章の意味が通るでしょうか。

これらの問題は為替レートや物価など刻々と変化するもので考えると理解しやすいと思います(「現在の為替レートでは」などの表現では近い将来妥当でない記述となってしまい読む側を誤解・混乱させる可能性があります)。

参照した出典に「現在」「最近」などの表現があった場合は、基本的には、その出典が発表された時期が起点となっています。例えば、1988年に発表された出典に「現在」とあった場合は、1988年当時のことが記されています(文献・資料内の図表などの記述で特に調査の時期が示されているものについてはその調査時点となります)。「Wikipedia:出典を明記する」では出典を示す際には基本的に刊行年等を示すべきとされていますが、読む側に混乱を生じさせないように可能な限り文中においても時期を具体化しましょう。

数日・数か月・数年単位で変化していくことが考えられる事象については、以下の例のような表現を用いて執筆時点を基準として可能な限り時期を具体化してください。

  • (記述例1)対象となる文の前に「2001年10月現在」、「2003年時点」、「2006年から」、「1990年代には」と注記する方法
  • (記述例2)対象となる文の後ろに括弧書きにより「(2001年10月現在)」「(2001年時点)」と注記する方法

ただし、以下のような場合で、特に時期を具体化・特定化するとかえって不自然な表現となる場合や誤解を与えかねない表現となる場合、あるいは定期的に内容が再構成されるため時期を具体化・特定化することが不要である場合(Portal:最近の出来事での記述)においては時期の具体化・特定化は必ずしも必要ではありません。ただし、このような場合であっても「現在」や「近年」などの時間とともに古くなるおそれのある表現を避けて記述することが可能かについてもまず検討し、可能な限り「現在」や「近年」など時間とともに古くなるおそれのある表現は避けてください。

  1. 記述内容が事物の一般的呼称、科学的な定説、地理的な位置関係などであって、かつ、変化を前提とするものではなく近年中の変化が考えにくい事項である場合。または、記述対象が数十年を超える期間にわたっているもので「現在」等の語句がその中で歴史的な観点からの比較表現として用いられている場合。あるいは具体的な時期の表示がかえって誤解を招く場合あるいは百科事典の表現としてみたときに不自然な表現とならざるを得ない場合。具体例としては以下のような例です。
    1-1. 固有名詞そのものの名称(例:「旧・越後国(現在の新潟県)」「チェコスロバキア(現在のチェコ)」「○○株式会社(現在の株式会社○○)」など)
    1-2. 事物の一般的呼称で近年中の変化が考えにくいもの(例:「日本において単に「冷蔵庫」といえば現在では一般には電気冷蔵庫をいう」など)
    1-3. 科学的な定説(例:「現在の動物分類学では○○属の○○科は○○科に再編されておりこの定義は見直されている」など)
    1-4. 数十年を超える期間にわたる歴史的な観点からの比較表現(例:「現在の日本語では」や「現在の五稜郭は」など)
    1-5. 具体的な時期の表示がかえって誤解を招く場合あるいは百科事典の表現としてみたときに不自然な表現とならざるを得ない場合(例:「現在正月には」あるいは「現在冬至には」といった表現(現在の年中行事の一般的事象について述べたもので各年の個別的な事象を述べているわけではないため「20XX年現在正月には」あるいは「20XX年現在冬至には」などの表現が適切ではない場合)など)
  2. 定期的に再構成されるページでの記述(例:Portal:最近の出来事での記述など)

ただし、以上に列記されている事項に該当する場合であっても近い時期に客観的な内容の変化が予定されていることが明らかな場合など時間的変化への対応が必要と考えられる場合には特に注記してください。

このガイドラインの適用にあたっては、対象となる事象の時間的変化の可能性を考慮した上で百科事典の表現として不自然な表現あるいは誤解を招く表現にならないようにし、どの程度の範囲で時期を特定するかは個々の事象に合わせて決め、時間的な観点で可能な限り曖昧さのないように記述してください。

(※以下、マジックワードに関する部分以降は現行のままとする)

以上のように改めて提案させていただきます。修正することになり申し訳ありません。御意見がありましたら宜しくお願い致します。--Jizwf会話2012年11月3日 (土) 10:11 (UTC)

コメント まだざっと目を通しただけですが、どちらかというと否定的です。言葉は生ものですので、本ガイドラインにも記載されていますように50年後も通じるのか? と考えた時には、例示されたほとんどの場合でもかなり疑問があるのではないかと。多くは表現を工夫する事で対処できるように思います。とりあえず1-1、1-3については、「越後国(廃藩置県後の新潟県)」、「チェコスロバキア(1993年にチェコに分離)」「○○株式会社(xxxx年に株式会社○○に改名)」「xxxx年にxxxxによって発表され動物分類学では……」などと言った形で記述すれば問題ないんじゃないでしょうか。--マクガイア会話2012年11月3日 (土) 11:43 (UTC)
コメントありがとうございます。私も確かに言葉は生ものですし可能であれば50年先の読む方々のことも考慮したいとは思うのです。ただ、実は現行のガイドラインは大原則である「Wikipedia:出典を明記する」や「Wikipedia:独自研究は載せない」との関係で大きな問題を抱え込んでいると思います。私は記事を編集する際には可能な限り出典を付すことを心掛けてきました(私の編集してきた部分をご覧頂けるとうれしいです)。そして、現に御節料理のページの中でもそのような対応をしたのですが、江戸時代や明治時代と現代との比較表現がこのガイドラインに適合しないとされ結果的に私が出典を示して記述した部分が3か所も削らざるを得なくなるという事態に陥ったわけです。確かに括弧等で付加的な情報として示すといった方法があるかもしれません。ただ、私は記事を編集する際には常に出典を付すことを心掛けてきたのですが、「Wikipedia:出典を明記する」の観点からいうと出典に示されていない情報まで編集にあたった個々人が付加的な情報として示すことは場合によっては「Wikipedia:独自研究は載せない」に反する結果になるおそれがあると考えます。例えば、国名や会社名の変更など客観的な変化の時期が明瞭な事項であればよいですが、「御節料理」のような文化的事項でしかも江戸時代や明治時代との比較表現として「現在では」や「今日では」と述べることが困難となります。独自研究的な文章を出典なしに投稿する方々が現実にいるのを横目に、出典を付して「Wikipedia:検証可能性」を向上させるように記述することに対して、その文化が変化した時期についてまで同時に異なる出典も用意した段階になって初めて記述すべきと強いるのは何か違うような気がします。しかも、文化的項目のように変化が客観的に明瞭でない事象の場合には出典を見つけることが難しく対応が著しく困難になります。さらに例えば年中行事についての表現において江戸時代の風習などと比較して「19XX年現在のお屠蘇は」とか「20XX年現在の七草粥は」などといった表現が適切だとは到底思えません。私が前節で「残念ですが現状では出典を示して加筆修正することが、当初、私が思っていたほど尊重されていないのかなと疑念を生じているからです」と述べた点は本ガイドラインが「Wikipedia:出典を明記する」や「Wikipedia:独自研究は載せない」との関係で大きな問題を抱えているのではないかという疑問を生じたからです(現実に御節料理のページでは出典を示して記述した部分が3か所も削らざるを得なくなるという事態に陥ったわけですから一定の基準が必要だという点も理解していただけるのではないかと思います)。私自身はもっと弾力的な基準を設けるべきだと思います(現実に「現在」や「今日」が使用されている箇所が複数存在しており、そのすべてが読む側の混乱・誤解を招くというのは違うのではないかと思います。あまり適用範囲や対処表現が硬直的になりすぎると223.133.84.116が前々節でおっしゃったような指摘が出てくると思います。この問題の本質は読む側を誤解・混乱させないことのはずで、「現在」や「今日」といった記述に用いられている文言そのものが問題なのではなくて、本来、「現在」や「今日」の語句が記述対象の変化の度合いに対して適合していない点を問題とすべきだと思うからです(「「洗濯機」といえば現在では一般に電気洗濯機を指す」といった文化的な事象を念頭に置いての疑問です。「「洗濯機」といえば20XX年現在では一般に電気洗濯機を指す」の表現が妥当かという問題もあります)。ただ、この観点をとると客観的基準の策定が難しいというのも理解できますが、なんとか良い知恵を出していく方向になればとも思います。いずれにしても早速コメントをいただけたことに感謝します。以上のような点についても御意見があればうれしく思います。--Jizwf会話2012年11月3日 (土) 17:18 (UTC)
コメント すいません。ちょっと他のところで時間が取られてまして、あまり頻繁には発言できないことをご了承願います。
ちょっと理想論的なものになるかもしれませんが、他の資料を当たってみるというのが解決の糸口ではないかなと思いました。
  • 「御節料理」の様な場合に関しましては、古い時代のものと比較される現在の風習というのがおおよそでもいつ位からか始まったものであるかという資料が見つかれば、「今日」や「現代」という古くなってしまう表現は避けられ、記事自体の質としても向上するのではないでしょうか。(いい加減な例ですが、「戦後には正月料理をさすようになった。」や「1980年頃からは正月料理をさすようになった。」の様な感じで。)
  • 冷蔵庫や洗濯機の場合であれば、普及率のような統計を持って来て「電気冷蔵庫は広く普及している」の様な事を書いておけば、「一般に電気冷蔵庫を指す」の様な記述は不要になるではないでしょうか。
--マクガイア会話2012年11月7日 (水) 16:39 (UTC)
コメントお忙しい中コメントありがとうございます。上の第一の「御節料理」の例については他の資料を当たって解決するという点は記事の質を向上させるという点からもある程度理解できますが、100年以上隔てた時代間での比較(上の例では江戸時代との比較)という観点から出典を参照しながら要約し記述する場合に、その変化した具体的時期まで明示しなければならないとなると出典があってもその記述を留保せざるをえなくなるため(特に出典が少なく具体的な変化時期が明らかでない地方の祭礼などの記事の場合には)記事の発展あるいは「Wikipedia:検証可能性」の向上を阻害するのではないかという懸念を私は持っています。また、第二の冷蔵庫や洗濯機の例ですが、出典中において現在の事物の呼称として記述がありそれを参照要約して記述する場合の解決策としては疑問に思います(事物の呼称の問題と普及率の問題がどの程度関連性があるのかという点で疑問であり、また、記事内容の同一性を保持できませんので出典があるにもかかわらず事物の呼称という観点からの記述(特に歴史的観点からの事物の呼称について比較する場合の記述)が不可能という結果になりかねず、やはり記事の発展あるいは「Wikipedia:検証可能性」の向上を阻害するのではないかという懸念を私は持っています)。ただ、いずれにしても難しい問題についてマクガイアさんから解決のためのアプローチについてコメントを頂けたのは良かったと思います。
今回の点についてはより深い検討が必要と考えていますが、提案者において現段階での改訂を見送ることとし、2012年11月3日に私が提案した改訂案を取下げます。特に際立った反対意見はみられませんでしたが現段階では合意が形成されているとは到底言えない状況であり、本ガイドラインの重要性から考えて慎重に判断すべきと考えたからです。ただ残念ながら私のアプローチの方法が悪かったという点もあると思うのですが、私の持っている疑問が払拭されたわけではありません。そこで論点を整理し直した上でコメント依頼という形を取りたいと思います。
--Jizwf会話2012年11月7日 (水) 22:12 (UTC)
終了提案者において現段階での改訂の見送ることとし、2012年11月3日に私が提案した改訂案を取下げます。--Jizwf会話2012年11月7日 (水) 22:12 (UTC)

本ガイドラインのあり方について[編集]

本ガイドラインは読む側に配慮して時間の経過に対応できるよう記事内容を適切に維持するといった観点から設定されているものだと思いますが、本ガイドラインと原典の同一性の維持、wikipediaの他の原則との関係、百科事典としての表現のあり方という観点からどのように位置づけられているのかという点で何点かの疑問を持っています。また、現行の本ガイドラインの指し示す内容とは異なる形で「現在」等の語句が用いられている例が事実として多くあり、そのためにガイドラインの見直しが必要であるとすることは本末転倒ですから決してそのような立場に立っているわけではありませんが、ただ、現実に各記事で「現在」等の語句が用いられている例の内容や文脈等をみていくと必ずしも百科事典の表現として妥当でないとはいえない場合があるのではないかといった点で疑問を持ちまして、単に語句のみの観点から基準を設けるのではなく記述対象の性質等も基準に取り込んだ上で弾力的に対応すべきではないかとの疑問を持っています。そこで、皆さんに幅広く御意見をうかがえればとの考えのもとで、このたび以下のように論点を整理した上でコメントを依頼することにしました。

1.対処表現に関して
1-1.対処表現のあり方について
文献を参照する際に原典に忠実な要約を用いることは最も重要な原則であると考えますが、一方で本ガイドラインが記事内容を適切に維持するといった観点から設定されているといった点も理解できます。現行のガイドラインによれば「「最近」、「現在」、「近年」、「現代では」、「現状では」、「今のところ」、「今は考えられている」、「もうすぐ…になるだろう」などといった語句や、時期の説明が全くなく執筆時点でしか成立しない表現は避けてください。」とされており、その対処として「代わりに「2001年10月現在」、「2003年時点」、「2006年から」、「1990年代には」のような語句を用いてください。」また「記事文中に直接「2012年現在」のように記してください。」とされています(2012年11月8日現在の本ガイドライン参照)。そこで、現行の対処表現においては具体的な年代や時期を記事文中に直接付加して記述することになりますが、それが場合によっては、結果的に原典の著作者が意図しない記述となってしまう場合や出典が示されているにもかかわらず原典の著作者が意図しない形でwikipedia上の執筆者の独自研究が入り込んでしまうような場合を生じる恐れがあるのではないかという点について懸念を持っています。現行ガイドラインによれば「どの程度の範囲で時期を特定するかは個々の事象に合わせて決め、できるだけ曖昧さのないように記述してください」とされており時期の特定という点について配慮するよう示されていますが(2012年11月8日現在の本ガイドライン参照)、あまりにテクニカルな対処法がとられると原典の著者の意図しなかった要素が入り込むことが考えられるため(以下の1-2の例も参照してください)、原典の意図するところとの同一性を損なわないようにするという観点からも何らかの配慮(一定の基準の設定や特別の注意喚起の表示)が必要と考えますがどうでしょうか。
諸々の文献・資料を参照し要約するにあたって原典の意図を損ねないようにすることは最も尊重されるべき事項のはずです。対処表現のあり方についてですが、私の考えについては前言したこともあるのですが、原典の同一性を維持するという観点に即してより柔軟に対応できるよう対処方法についても幅広く認めた上で、そうした上で個々の記述事項の変化の度合いや百科事典としての表現としての妥当性なども広く考慮し、個々の対処方法のとり方について、上に掲げたような点についても一定の配慮(客観的基準あるいは特別の注意喚起の文言)をガイドライン上に設定しておく必要があるのではないかと考えています。この点について皆さんの御意見等をうかがえればと思います。

また、一般論として「Wikipedia:検証可能性」を向上させるあるいは「Wikipedia:中立的な観点」を確保するという点から可能な限り複数の出典を参照することが望ましいと思います。ただ、現行ガイドラインでは「代わりに「2001年10月現在」、「2003年時点」、「2006年から」、「1990年代には」のような語句を用いてください。」また「記事文中に直接「2012年現在」のように記してください。」(2012年11月8日現在の本ガイドライン参照)とされていますが、(この点については前にもノートで述べましたが)複数の資料を参照して「現在」や「今日」が各資料で複数出現した場合に、記事中で「19XX年現在」「20XX年現在」「20XX年から」といった表現が文中に錯綜すると読む側を混乱させることになりますので、一定の事項の現状について複数の出典を参照して多角的に述べる際に百科事典の表現としての体裁を取りにくいのではないかと考えています。この点については「Wikipedia:出典を明記する」において出典を参照する際には出典の発表された時期を明記することとされている点も考慮すべきとの考えのもとに、「現在、Aについては○○○であり(19XX年〈文献の注〉)、Bについては×××とされている(20XX年〈文献の注〉)」といった表現方法も認められないか検討すべきではないかと考えていますが皆さんの御意見をうかがいたいと思います。

1-2.「Wikipedia:中立的な観点」との関係について
Wikipedia:中立的な観点」との関係において現行の本ガイドラインに基づいて具体的な時期を記事文中に直接示した場合に中立性を損なうおそれを生じる場合があるのではないかという懸念についてです。
例えば、ある分野(自然科学でも社会科学でもよいですが)での現在の定説の状況について記述したい場合に、定説とされる主張が学者間で異なっており、甲氏が19XX年の著書で「この点については長らく議論があるが今日ではAという考え方が一般的になっている」との見解を示し、乙氏が20XX年の著書で「この点については現在ではBという考え方が一般的になっている」との見解を示している場合に、これらの記述をもとにして現行ガイドラインに従って「この点について19XX年の時点ではAという考え方が一般的であったが〈甲氏の文献の注〉、20XX年現在ではBという考え方が一般的となっている〈乙氏の文献の注〉」のように時間的要素を記事文中に直接取り込んで表現されると現在も学者間に見解の相違が生じている場合に中立性を損なうおそれを生じないかという懸念です(甲氏の本来の記述意図に反する形での表現となっているのではないかという点、あるいは意図的にこのような表現がとられるおそれがあるのではないかという点についても懸念を持っています)。この問題については記事文中に直接時間的な明示を行うという現行の対処表現では文を切り離しても時間的変化のニュアンスが払拭できず問題が残るのではないかと考えています。例えば上の例で「この点については長く議論があり、定説について、甲氏は19XX年の時点ではAという考え方が一般的としている〈甲氏の文献の注〉。また、乙氏は20XX年現在ではBという考え方が一般的としている〈乙氏の文献の注〉」のような本文中に時間的要素を取り込む文章ではやはり定説に時間的変化があったかのような印象を読む側に与えかねず同様に「Wikipedia:中立的な観点」から問題を生じるのではないかという疑問です。このような場合の対処方法は難しいですが、本文中の文章に直接的には時間的要素を取り込まず文尾に「(甲『○○○』2000年)」といった出典の発表された時期を注記する方法などまたは一定の基準あるいは特段の注意を本ガイドライン上に示すことなども考えられると思うのですが、皆さんの意見をうかがいたいと思います。

2.表現による対処で考慮すべき時間の範囲と百科事典の表現としての妥当性の問題
本ガイドラインに基づいて表現による対処で考慮すべき時間の範囲についてコメントを皆さんに頂ければと思います。私としては日単位で変化する事象から半世紀にわたり存在してきた一定の事実(変化に乏しい事象)にまで一様の基準で画一的な対処をとるということが果たして妥当かという点について疑問を持っています。私は前にもこのノートで申し上げたことがあるのですが、本ガイドラインの目的から考えて、その基準は「現在」や「今日」といった記述に用いられている語句そのものが問題なのではなくて、「現在」や「今日」といった語句が記述対象の変化の度合いに対して適合していない場合について問題とすべきものなのではないかと考えています。時間の経過に対応できるよう記事内容を適切に維持するという目的を達する基準であればよいのですから、本ガイドラインを全般的・包括的に妥当させるためにも、記事内容の変化の度合いに合わせてある程度弾力的な基準とすべきではないかとも思うのですが、そのような観点から具体的な基準を設定するということは難しい問題なのかなとも考えています。そこで、以下、私が本ガイドラインのあり方について考える際の例について示しますので、それぞれどのように考えるべきか御意見をうかがいたいと思います。
(例1)事物の呼称が一定程度で一般化している場合
例えば出典中に日本において単に「冷蔵庫」といえば現在では一般には電気冷蔵庫をいうといった趣旨の内容がある場合の「現在」の語句の対処のあり方についてです。
(例2)記述対象の変化した時期は比較的明瞭であるが変化した時期から一定の期間が経過している場合
例えば出典中に「現在の○○城は16XX年に完成し」のような表現がある場合の「現在」の語句の対処表現のあり方についてです。
(例3)歴史的な比較表現で記述対象の変化した時期が不明瞭である場合
例えば出典中に「明治初期の日本語では・・・だったのに対して、現代の日本語では・・・」というような比較表現がとられており、この部分を要約して記述する場合の「現代」の語句の扱いについてです。
(例4)年中行事などの問題
例えば出典中に歴史的な比較の観点から「現在のお屠蘇は」とか「現代の七草粥は」といった表現が用いられている場合の「現在」や「現代」の語句についての扱いについてです。
(例5)地方の行事などで出典資料が乏しく参照した資料が近年のものではない場合
例えば出典中に「明治時代の○○祭では・・・だったのに対して、現代の○○祭では・・・」というような比較表現がとられており、その出典の発表時期が例えば50年以上も前のものである場合(例えば1950年刊行の資料)などの「現代」の語句の扱い(具体的な対処表現)についてです。

そこで特に以下の5つの観点から皆さんの御意見をお伺いできればと思います。

  1. このガイドラインで設ける対処表現についてどのようであるべきかという点(記事内容の時間的変化への対応方法のあり方についてです。また、上の設例への具体的対応についても述べていただければうれしいです)
  2. 1で示された具体的な対処表現を用いる際の適用基準についてどのようなものであるべきかという点
  3. 1で示された具体的な対処表現を用いた場合に百科事典の表現として妥当かという点
  4. 1で示された具体的な対処表現を用いた場合にも原典の本来の意図・趣旨を損なうものではないかという点

以上の点について皆さんの御意見をうかがいたいと思います。--Jizwf会話) 2012年11月7日 (水) 23:25 (UTC)。誤記した部分の修正(上の(例5)の「出典」を「資料」に修正)--Jizwf会話2012年11月7日 (水) 23:57 (UTC)

間が空いてしまい申し訳ございません。
1.
1-1
「原典との同一性」については、内容が同一であれば表現は自由です(そもそも、完全に同一だと著作権侵害になりますし)。そして大抵の場合はすぐに古くはならない表現に置き換えることが可能です。たとえばこの編集なんかは元の文の「今日では」を「後には」に変えるだけで、対処できるのではないかと。本ガイドラインに書かれている表現を必ず使わなければ行けないわけではありませんし、この辺りは執筆者が表現を工夫することで対処すべきことだと思います。そしてどうしても厳密に同一性が重要となる場合であれば、それは引用の形を取るのが適切ではないかと思います。
1-2
これも書き方の工夫次第ではないかと思います。たとえば以下のような形で書けば問題ないのではないかと。「Aの学説は甲によって定説として支持されており<ref>甲『xxxx』19xx年</ref>、一方でBの学説は乙によって定説として支持されている<nowiki><ref>乙『〇〇○』2000年</ref>。」
2
(例1)については、そもそも必要なのか?という点でやや疑問があります。
(例2)「○○城は16xx年に■■城として完成し」や「○○城は16xx年に完成し<ref>完成当時の名称は■■城。xxxx年に○○城に改称。</ref>」の様な形で問題ないのではないでしょうか。
(例3,5)上記の例と同じですが、このような場合の暫定的措置としては「後に」といった当たりで良いのではないかと。(もちろん変化の時期がわかればそれを明記する)
(例4)これについてはこの語句だけを取り出した状態では、何とも申し上げられません。文脈に応じてどのような表現が適切かはかなり変わるのではないかと。
2.3.4.
具体的な対処表現は多くの場合で用いることが出来る代表的な方法であり、特にこれのみにこだわる必要はありません。ガイドラインでの表現をそのまま用いるのが不適切な場合には、表現を工夫して対処すれば良いと考えます。
--マクガイア会話2012年11月23日 (金) 00:32 (UTC)
コメントありがとうございます。議論の活性化を図りたいのですが議論への参加者が少なく残念に思っていたところ、今回、マクガイアさんにコメントを頂けましてうれしく思います。それぞれの点について私の考えを述べます。
1-1について
マクガイアさんのおっしゃるように出典を要約する際の表現が出典の内容の同一性を維持しているものであれば表現はその限度で自由だということは理解しています。ただ、原典の意図するところとの同一性を損なわないようにするという観点にも対処表現をとる際には配慮すべきですから、次に述べる1-2との関係からも本ガイドラインにおいて著作物の同一性の維持あるいは「Wikipedia:中立的な観点」を確保するという観点から少なくとも何らかの注意喚起が必要ではないかと考えますがいかがでしょうか(私はこの点については客観的基準が必要だと考えていますが、それが無理であれば注意喚起でもよいので何らかの対応が必要だと考えます)。また、1-1については「現在」や「今日」が各資料で複数出現した場合の対処方法についてもお聞かせいただけるとうれしいです。
1-2について
1-2については定説に歴史的な推移がある場合にどのような表現を用いるべきかという点についての例を設定したものですが(上の私の説明では少し難解な表現になってしまい申し訳ありません)、いずれにしてもマクガイアさんのおっしゃるように「書き方の工夫次第」ということになりそうです。ただ、この問題については先に述べた著作物の同一性の維持あるいは「Wikipedia:中立的な観点」とも関連しますので、これらも含めて上のような何らかの注意喚起が必要ではないかという点についてコメントを頂けるとうれしいです。
2(例1)について
この点については私の説明不足であった点もあるかもしれません。事物の呼称の問題で「冷蔵庫」と「電気冷蔵庫」を例として設けたのは、特定の項目を実例として挙げると、その項目の内容についての議論という形になってしまうのではないかという点に配慮したものです。したがって、抽象論にすぎないような印象を受けられたとすれば私の本意ではありません。そこで、この点の議論の理解のためにも必要と考えますので、実際に事物の呼称が問題となる場合について例を挙げることにしますが、たとえば「蕎麦」のページの現在の版(2012年11月19日 02:33 (UTC)現在の版)では、冒頭で「蕎麦」と「蕎麦切り」という事物の呼称の問題について歴史的推移の観点から「今日」の語句を用いて説明されていますが、これは現行ガイドラインではどのように位置づけられるのでしょうか(現行のWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないに抵触しているのか抵触していないのかという問題です)。この点については私としては疑問はありますが、ただ、前にもこのノートページで申し上げた理由もあり私としては今のところ積極的な加筆や修正の活動を控えておりますので、現段階で蕎麦のページの当該部分を私から修正する予定はありません(名称について修正するほどの多くの資料が現段階で私の手元にないという理由もあります)。
2(例2)について
この点についても私の説明不足であった点があるかもしれません。この例で私の申し上げたかったことは事物の名称の問題ではなくて事物の歴史的変化についてでして、出典中に現存する建造物としての城郭を指して「現在のA城は16XX年に完成し」のような表現がある場合の「現在」の語句の対処表現のあり方について皆さんにうかがいたいと考えた次第です。
2(例3と例5)について
マクガイアさんのおっしゃるように変化の時期がわかれば明記するものとして「暫定的措置」といった対処にならざるを得ないのではないかという点については私も理解できます。確かに「後に」というような表現をとっておいて、具体的な変化の時期については将来的な加筆に期待するということになるのかなという点は私もそのように思います。ただ、このガイドラインは読む側に配慮して時間の経過に対応できるよう記事内容を適切に維持することを目的としているものだと思いますので、私としては目的を達することができる表現であればよいので一定の語句を用いることそのものを画一的に対象とするのではなく記述対象の時間的な変化の度合いという観点を軸にすべきと考えています。223.133.84.116さんがこのノートページの「#思考停止した「現在」の言葉狩りについて」で「言葉狩り」と強い表現を用いて運用上の問題点について述べていらっしゃいますが、私も現状では一定の語句を用いることそのものが画一的に問題視されているような印象を少なからず受けています。
2(例4)について
これは文化的事象について歴史的な比較の観点をする場合について例として挙げているものです。つまり、出典において江戸時代との歴史的な比較表現がある場合などに「19XX年現在の正月では」と記述したり、冬至の記事において風習などについて文献を参照して「現在では」となっているところを「19XX年現在の冬至では」などと記述する表現が妥当かどうかという問題です。私もマクガイアさんの「文脈に応じてどのような表現が適切かはかなり変わるのではないか」という点は納得できるのですが、上で述べたように現行ガイドラインでは「代わりに「2001年10月現在」、「2003年時点」、「2006年から」、「1990年代には」のような語句を用いてください。」また「記事文中に直接「2012年現在」のように記してください。」(2012年11月23日現在の本ガイドライン参照)とされており弾力的な対応の余地が少ないように思われます。これらの対処表現があくまでも例示であるとするならばガイドライン上にも例示であることを明らかにすべきと思いますがいかがでしょうか。
--Jizwf会話2012年11月23日 (金) 19:18 (UTC)
間が空いてしまい申し訳ございません。ちょびちょび書いていたんですがなかなかまとまりませんで……。
まず最初に私の基本的な考え方を明示しますと
  1. 「すぐに古くなる表現」はWPというメディアとの相性が非常に悪く、WPでは極力使わない方が良い。
  2. どのような場合であっても必ず何かしらの代替表現があるはずであり、(おっしゃっている著作物の同一性の維持や「Wikipedia:中立的な観点」を含め)何かのために「すぐに古くなる表現」をどうしても使わなければならない状況はまずない。
の2点です。以下の発言はこの2点を前提とした上での私の意見です。
「1-1について」と「1-2について」へのコメント
「すぐ古くなる表現」は「ガイドライン」ですので、「方針」である「Wikipedia:中立的な観点」に優先されることは有ってはなりません。したがって本ガイドラインで触れるまでもなく、「中立的な観点」を侵害するような形で本ガイドラインを適用することは出来ません(とは言え前述の基本的な考え方の通り、他の方法があるはずだとは思います)。本ガイドラインに密接に関わる方針ということでもありませんので、わざわざ触れる必要はないと私は考えます。
「各資料で複数出現した場合」の違いがちょっとわかりかねています。複数でも単数でも、対処法としては特に変わりはないのではないかと。
「2(例1)について」へのコメント
「蕎麦」に関しては抵触していると考えます。冒頭文の役割というものを考えると、そもそも「今日、」が無い方が良いのではないかなと思いました。(なお執筆できる程の知識や資料をも持ち合わせていないものについては原則関わらないようにしていますので、私の方で修正するつもりもありません。)
「 2(例2)について」へのコメント
すいません。ちょっとJizwfさんの想定されているものを掴みかねているかもしれません。名称の変化が無いのであれば「現在のA城」とわざわざ限定する意味が無いのではないでしょうか。例2とも共通するのですが、この手の「現在」や「今日」は不要な場合が多いような気がします。
「2(例3と例5)について」へのコメント
「現在」や「今日」といった言葉自体には罪はないものの、これらの言葉はWPというメディアとの相性が非常に悪く、WPでは極力使わない方が良いというのが私の基本的な考えです。したがって「現在」や「今日」という言葉が避けられる現状が言葉狩りに似ているとしてもそれはあくまでWPというメディアの性質によるものであり、イデオロギーの問題である言葉狩りとは根本的に違うと考えます。文脈等を考慮せずに機械的に行われる言葉狩りのような残念な編集も中にはあるであろうということは私も想像はできますが、それはこの方針の問題ではなく単にその編集者の力量の問題でしょう。
「2(例4)について」へのコメント
これについては「例示してあるものはあくまで代表例であって、その他の表現も工夫してみてね」という方向性での修正はあってもいいんじゃないかと思います。
--マクガイア会話2012年12月10日 (月) 13:21 (UTC)
コメントありがとうございます。私の基本的な考え方ですが、百科事典として読む側に誤解あるいは不自然な印象を与えることのないよう時間的変化に対応できるように記事の内容を適切に維持するという観点から本ガイドラインが重要であるということは基本的に皆さんの認めるところではないかと思うのですが、その一方で出典に基づいて原典との同一性を逸脱しない範囲内で個々の執筆者が自由な表現を用いて執筆するという点についても皆さんの理解を得られるのではないかと考えています。この点はマクガイアさんも上のコメントで出典の要約という形をとる場合について「「原典との同一性」については、内容が同一であれば表現は自由」とおっしゃっているので理解していただけるのではないかと思います。そして、私としては本来「出典に基づいて原典との同一性を逸脱しない範囲内で個々の執筆者が自由な表現を用いて執筆する」ことが基本原則で、Wikipedia上の「時間的変化に対応できるように記事の内容を適切に維持する」という合理的な目的の範囲内においてそれが一定の制約を受けるものと理解すべきと考えています。その上で私の考えを述べたいと思います。
1-1と1-2についてのコメント
基本原則であり方針である「Wikipedia:中立的な観点」が本ガイドラインに優先することは私も理解していますが、「Wikipedia:中立的な観点」と本ガイドラインの両者の関係には特有の問題点があるのではないかと考えています。私はこの「本ガイドラインのあり方について」の冒頭で対処表現のあり方という観点から設例として1-2を置きました(この私の設例は「現在の定説の状況について記述したい場合に、定説とされる主張が学者間で異なっており、甲氏が19XX年の著書で「この点については長らく議論があるが今日ではAという考え方が一般的になっている」との見解を示し、乙氏が20XX年の著書で「この点については現在ではBという考え方が一般的になっている」との見解を示している場合に、これらの記述をもとにして現行ガイドラインに従って「この点について19XX年の時点ではAという考え方が一般的であったが〈甲氏の文献の注〉、20XX年現在ではBという考え方が一般的となっている〈乙氏の文献の注〉」のように時間的要素を記事文中に直接取り込んで表現されると現在も学者間に見解の相違が生じている場合に中立性を損なうおそれを生じないか」というものです)。そして、このような場合の対処表現のあり方についてはマクガイアさんからコメントを頂いたことにより私の持っていた当初の疑問点については理解できたのですが、その一方でこのような適切な対処表現がとられる保証が本ガイドライン上に存在しないのではという疑問を生じたわけです。私が「特有の問題点」と言ったのは、通常、「Wikipedia:中立的な観点」が問題となる場合には文脈を読み進むうちに中立性の観点から問題があるのではと指摘される場合が多いのではないかと思うのですが、現行の本ガイドラインで示されている対処表現に基づいて出典の表示があり表面上はいかにも「Wikipedia:中立的な観点」には何ら問題がないような体裁がとられる場合において上の例のように実際には中立性さらには同一性保持権を損なう状況にあるにもかかわらず指摘を受けないまま放置される状態を生じるのではないかという懸念を持っており、その点からも少なくとも特別の注意喚起の文言を予め示しておく必要があるのではないかと考えている次第です。
なお、原典との同一性の維持という観点について、マクガイアさんから「どうしても厳密に同一性が重要となる場合であれば、それは引用の形を取るのが適切ではないか」というコメントを頂き、私もこの点については同じ見解なのですが、引用ということは引用符を用いて原典の字句の通りに記述するはずですが、引用符を分断する形で{{いつ}}のテンプレートが貼られることがあるのでしょうか。コメントを頂けるとうれしいです。
2(例1)についてへのコメント
「蕎麦」のページの現在の版((2012年12月9日 14:33 (UTC)現在の版 なお、上の私のコメント以後に編集が加えられたため版全体としては上とは異なっていますが、ここで議論の対象となっている「今日」の文言が用いられている冒頭部分は前回の私のコメントした時点以後も編集されていません)が現行ガイドラインに抵触しているのかいないのかという問に対してマクガイアさんから「「蕎麦」に関しては抵触していると考えます。」とのコメントを頂きました。私も現行の本ガイドラインと照らし合わせると現状では抵触していると考えます(とはいえ、前言した通り、私としては今のところ積極的な加筆や修正の活動を控えており、また、当該部分を修正するほどの多くの資料が手元にありませんので現段階で私から修正する予定はありません)。この点については、「今日」の文言が用いられている冒頭部分が現行のガイドラインに照らし合わせると抵触しているという点ではマクガイアさんと意見は一致しているものと思うのですが、私としてはこの冒頭の定義文が考慮している時間軸(時代的間隔)あるいは百科事典の表現という観点からみてこの版の定義文に特に問題があるのかなと疑問に思うところもあります(この点ではおそらくマクガイアさんと意見が若干異なるかなとも思います)。マクガイアさんが「今日、」の部分について問題を指摘されておりますが、私としては比較的長期間にわたる歴史的推移について端的に表現する場合において「今日」等の字句を用いることについても弾力的に考えるべき事項であると思います。つまり、本ガイドラインはその名称からも明らかなように「すぐに古くなる表現は使わない」であり「古くなる表現は使わない」ではないのであって、私としては本ガイドラインのあり方としては個々の記事内容の時間的変化の具合にあわせてもっと弾力的な対応をとりうるように考えるべきものと思います。
そもそも特定の語句のみを基準として画一的に適用対象とすることはWikipedia:検証可能性の向上や記事の発展を阻害するのではないかという懸念を持っています。なぜならば、一般論ですが(冒頭の定義文に用いるか「歴史」の節に置くかを問わず)出典の要約として「現在では」や「今日」を用いた歴史的推移についての表現が著しく困難になるからです。つまり、歴史的推移の表現において常にその変化を生じた時期を示す義務を課すこととなると、具体的な時代の変化についての資料が手元にない限りは実質的には掲載不可ということになりかねません(「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」によれば「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります」となっており、単に時間的推移によって変化があったという事実のみを記載したい執筆者はその出典を示すことで足りるとみるべきです。もし、それ以上の義務があるとするならば方針上の根拠を示す必要があります)。また、時間的推移について常に変化した具体的時期を記述するということになると研究が進んでいない分野では記述すら困難ということになりかねません。これでは時間的変化に対応できるように記事の内容を適切に維持するという本ガイドラインの目的から遠くかけ離れたものになっていると思います。それは、結果としてWikipedia:検証可能性の向上や記事の発展を阻害するのではないかと懸念を持っています(この疑問を生じた経緯については拙稿#本ガイドラインの運用上の諸問題と今後の課題についても御覧ください)。
上記の設例3と5の対処表現としてマクガイアさんから「後に」という表現を例として示していただきました。私も「後に」の表現を用いることも対処表現を検討する際には良いかとは思うのですが、結局のところ{{いつ}}のテンプレートが貼られることがあるのではないか、また、Wikipedia:言葉を濁さないとの関係をどのように考えるべきかという疑問がありますがどのように考えるべきなのでしょうか。私の見解としては文中に貼られるテンプレートは本来は修正されるべき事項について用いられるものと理解しますが、現行ガイドラインに従って「現在」や「今日」を回避した対処表現に{{いつ}}のテンプレートが使われるとするならば本ガイドラインの回避表現にも対処表現にも結果的に{{いつ}}のテンプレートが貼られて不完全な記述という扱いを受けることになるのでしょうか。マクガイアさんは「どのような場合であっても必ず何かしらの代替表現がある」とおっしゃってはいますが、現行の{{いつ}}のテンプレートの運用やWikipedia:言葉を濁さないとの関係をみると回避表現に対する対処表現さえも問題視され、回避表現も対処表現も問題ありとすれば、それは結果的には時間的変化についての記述が著しく困難という帰結を生じることになるのではないかと思います。私としては{{いつ}}のテンプレート、また、Wikipedia:言葉を濁さないとの関係については将来的に整理しておく必要があると思います。この点についてのコメントもうかがいたいと思います。
2(例3と例5)について
私の考え方については前言しましたが、本来、「出典に基づいて原典との同一性を逸脱しない範囲内で個々の執筆者が自由な表現を用いて執筆する」ことが基本原則で、Wikipedia上の「時間的変化に対応できるように記事の内容を適切に維持する」という合理的な目的の範囲内においてそれが一定の制約を受けているものと考えています。したがって、「現在」や「今日」といった語句によって時間的変化に対応できなくなり記事の内容を適切に維持するという目的が達しえないのであれば極力回避すべきと考えます。ただ、その際には個々の記述対象の変化の度合いを考慮に入れるべきと考えています。これも前言しましたが本ガイドラインは「すぐに古くなる表現は使わない」であり「古くなる表現は使わない」ではないのであり、「すぐに」変化するものか否かという要素も個々の記述対象を考慮して判断することが本筋であると考えます。
もう一つ考えておかなければならないと思うのは、最終的な対処表現が百科事典として適切な表現となるように配慮するという点についても本ガイドライン上で考慮すべき(明確にしておくべき)ではないかという点です。前言したこともあるのですが(上の例4を参照)、あえて極端な例をとりますが、現行のガイドライン(2012年12月11日現在)では「参照した出典に「現在」「最近」などの表現があった場合は、その出典が発表された時期が起点となっている」とされ、また、「代わりに「2001年10月現在」、「2003年時点」、「2006年から」、「1990年代には」のような語句を用いてください」とされていますが、これを受けて出典中の「現在」の対処表現として「19XX年現在の正月では」や「19XX年現在の冬至では」のような表現がとられることは非常に問題です(この例についてはマクガイアさんが「文脈に応じてどのような表現が適切かはかなり変わるのではないか」とおっしゃっていますが、マクガイアさんも「19XX年現在の正月では」や「19XX年現在の冬至では」の表現が適切ではないとの前提に立っていらっしゃるのではないかと思います)。このような結果的に適切ではない対処表現を回避するためにも、対処表現が百科事典の表現として適切なものになるよう本ガイドライン上に一定の注意の文言を設けるべきではないかと思っています。私としてはこの問題は本来であれば個々の文脈に即して一般常識の範囲内で編集者において処理すべき問題だとは思うのですが、かといってこのような表現を避けるべきとの根拠あるいは配慮についての文言が現時点では何らなく、実際のところ、#「現在」を単に「2009年現在」にするような機械的な変更についてで取り上げられたような事例も生じていることをみても最終的な表現が百科事典の表現として適切なものになるよう本ガイドライン上に一定の注意の文言を設けることはマイナスにはならないと思います。一方、単に個々の執筆者の問題にとどまらず、本ガイドラインが恣意的・意図的に用いられることによって、本ガイドラインを根拠に百科事典の表現として不自然な表現への改変がなされることがあるのではないかという心配も持っています(223.133.84.116さんがこのノートページの「#思考停止した「現在」の言葉狩りについて」で「言葉狩り」と強い表現を用いて指摘されている点はこの点についての問題も含んだ指摘ではなかろうかと思います)。他の執筆者が改変する場合には、マクガイアさんのおっしゃる「編集者の力量」を超えた問題となるのではないかと危惧しています。
2(例4)について
私としては例示であることの明確化そのものは難しい問題ではないと考えておりまして、この点についてはマクガイアさんにも一定の理解が得られたのでうれしく思います。
--Jizwf会話2012年12月11日 (火) 00:36 (UTC)
先刻の私のコメントにおいて 2(例2)についてのマクガイアさんの疑問に答えるはずが脱落してしまいましたので補筆したいと思います。2(例2)で私が挙げている出典中に「現在の○○城は16XX年に完成し」のような表現がある場合の「現在」の語句の対処表現のあり方については、前回も述べたのですが名称を問題としているわけではありません。私の説明が悪かったのか理解が困難であったとすれば申し訳なく思います。例えばA城は14XX年に甲氏が築城し、15XX年に甲氏と乙氏の戦乱により焼失、16XX年に乙氏により再建されたという事実がある場合に、出典中に「現在のA城は16XX年に完成し」のような表現がある場合の「現在」の語句の対処表現のあり方についてうかがいたいと思った次第です(現時点で存在する建造物としての城郭を指して「現在」の語句が用いられている場合の対処表現についてのあり方です)。このような場合に単に「現在」の表現を取り除くと現時点で存在する建造物としての城郭を指すことが困難となるので(単に16XX年に完成したという表現をとると現時点で存在する建造物としての城郭を指すことが困難となり、また、初めてA城が築城されたのが16XX年であるとの誤解を招くのではないかという点)、このような場合の対処表現のあり方についてうかがいたいと思ったわけです。
なお、私の本ガイドラインの基本的な考え方についても改めて整理しておきたいと思います。まず、第一点、マクガイアさんのおっしゃる「「すぐに古くなる表現」はWPというメディアとの相性が非常に悪く、WPでは極力使わない方が良い」という点には私も基本的に同意できます。それを前提とした上で、私は「現在」や「今日」の語句が用いられることが「すぐに古くなる表現」と直結すると考えることは短絡的に過ぎると思っています。特定の語句の使用を禁止制限するということは本来であれば極力避けるべきであり、目的の点からみて相当に合理的な理由があって初めて制限すべきものと考えています。そして、本ガイドラインの目的は一定の時間的変化に対して記事内容を適切に維持するために「すぐに古くなる表現は使わない」ということであって、その目的の範囲で特定の語句の使用が制限されるという手段がとられるべきと考えています。本ガイドラインについては目的と手段が逆転して特定の語句の制限そのものが目的化しているのではないかという懸念を少なからず持っています。223.133.84.116さんがこのノートページの「#思考停止した「現在」の言葉狩りについて」で「言葉狩り」と指摘された点もそのような背景があるのではないかと思います。私としては本ガイドラインの目的から考えて「すぐに古くなる表現」であり一定の時間的変化に対して記事内容を適切に維持できない場合について問題とすべきであり、それは単に語句のみだけではなく記述対象の時間的変化も併せて考慮すべきと考えています。そして、第二点ですが私がこのノートページへのコメント依頼を提出した際には適切な対処表現についてどうあるべきかという疑問点についてうかがいたいと思っていたところ、マクガイアさんから種々の具体的な代替表現のあり方が示され参考になりました。そこで、マクガイアさんのおっしゃるように「どのような場合であっても必ず何かしらの代替表現があるはず」というのはある程度理解はできるのですが、ガイドラインである以上は著作物の同一性の維持や「Wikipedia:中立的な観点」を含め百科事典として適切な表現がとられるよう各執筆者に適切な表現をとるように指針を示すべきではないかと思っています(著作物の同一性の維持や「Wikipedia:中立的な観点」についても考慮すべき場合があるのではないかという点については先刻述べたとおりです)。つまり、適正な対処表現が存在することと現実に適切な対処表現がとられることは次元を異にするのであり、適正な対処表現が存在しても現実に適切な対処表現がとられなければガイドラインとして何の意味もないですから現実に適切な対処表現がとられるような配慮が必要と考えています。前回の私の提案では大幅な修正が必要と考えていましたが、現段階では例示であることの明確化(対処表現の弾力化)など細部の修正と特別の注意喚起の追加などによって対処できるのではないかと考えています。
--Jizwf会話2012年12月11日 (火) 04:56 (UTC)
最後のコメントから1か月が経過したことによってコメント依頼からは除外となってしまったようです。これによって本セクション「本ガイドラインのあり方について」に対するコメント依頼は終了となったわけですが、対処表現の弾力化(対処表現の例示の明確化)等について御意見を頂くことができ一定の役割を果たしたと思います。議論参加者が少なかったのが残念ですが、いずれにしても私のいくつかの疑問点について一緒に考えていただきありがとうございました。なお、このセクションにおける設例に対する対処法の考え方等々について御意見があれば追加していただければと思います。実際には過去ログ化されるまでの間ということになるかと思いますが念のために申し添えておきます。将来にわたって本ガイドラインのあり方について考える際に参考にもなるかと思います。--Jizwf会話2013年1月11日 (金) 05:09 (UTC)