J.J.P.アウト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
J.J.P. Oud.jpg

ヤコーブス・ヨハネス・ピーター・アウト、またはJ.J.P.アウト(J.J.P Oud、1890年2月9日-1963年4月5日)は、プルメレント出身のオランダの建築家、住宅地・集合住宅の設計で名高い。デ・ステイルの初期メンバーで、デ・ステイルを始めた頃のアウトは、建築の個人性を否定し、建築・居住街区の標準化に熱心に取り組んでいた(海岸通りに建つ連続住宅の為の設計 1917)。1906年、16歳にして建築家の人生を開始。

1918年、デ・ステイル誌に「建築と大量生産による標準化」発表。 1918年にロッテルダムの主任都市計画家に就任。 ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘの理論を手本とした都市計画をすすめていた。 また、当初アウトはアムステルダム派の中に、異質さと奇抜さ、極端に推し進められた非合理性をみていた。その後1920年代に入ると彼が非合理とした幾つかの作品をとりあげて、まちまちな形態の集合にもかかわらず、適度な緊張感があり街路の景観に独創的でダイナミックな感動的なリズムを醸し出していると評価している。 アムステルダム派のような建築は個人的で、わがままで勝手な自己実現欲や建築家固有の建築感による名人芸的な建築と述べていたのだが、同時にそのようなものがもたらす生命力や躍動感は都市に生命力を与えることも認めていたという。

弟のピーターは、ロッテルダムの市長となった。1963年、73歳の時にヴァッセナールで死去。

[編集]

アウトが設計したギャラリー・ハウス

ロッテルダムで現在でも見られるアウトの建築は、デ・ステイルが目指した建築の意図をよく伝えている。集合住宅も、建物は低層に抑え水平線を強調した美しいデザインが多い。わざわざ再建されているものも幾つかあり、カフェ・デ・ユニ(1925年)はデ・ステイルを代表するアウトの建築であるが、現在のは第2次大戦後に修復されたものであり、代表作で労働者への供給住宅を意図とした大規模なプロジェクトのキーフフーク集合住宅(Kiefhoek Housing Development in Rotterdam)1890-1963 年、アウトは1930年に)では、オランダ軟弱地盤国土特有の不同沈下が起こって撤去の憂き目に合い、現在のものはアウトの特徴であるコーナー部分のアールなど、当時に近い形で復元をしたものである。 アウトはデ・ステイルが展開した抽象的議論から発展解消し、その後機能主義に傾倒しつつ、作風は実際にも時代によって変化し、後にはBioサナトリム(1952-1960)IBMビルディング エントランス(1938-1946)、ニュー・ボウエンやモニュメンタリズム的ともいえる作品もかなり残している。

ギャラリー [編集]

参考文献 [編集]

  • オランダの建築 (バウハウス叢書) , J.J.P. Oud , 貞包 博幸 訳 中央公論美術出版 , 1994年 ISBN 978-4805502303