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このウィキでページ「パリ・オペラ座「バレエ・リュス」」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- パリ・オペラ座バレエ(Ballet de l'Opera national de Paris)は、フランスのバレエ団。パリ国立オペラを構成する一組織であり、世界最古の国立バレエ団である。ロンドンのロイヤル・バレエ団、モスクワのボリショイ・バレエ、サンクトペテルブルクのマリインスキー・バレエ…35キロバイト (4,136 語) - 2024年3月3日 (日) 04:51
- バレエ・リュス(仏: Ballets russes)は、ロシア出身の芸術プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフ(1872年 - 1929年)が主宰したバレエ団である。 「ロシア・バレエ団」とも呼ばれ、1909年にパリのシャトレ座で旗揚げをしてから、ディアギレフ死去後の1929年に解散するまでの間、パ…67キロバイト (2,705 語) - 2023年7月9日 (日) 04:34
- パリには1661年に王立舞踏アカデミーとして創設された世界最古のバレエ団「パリ国立オペラ」があり、旧オペラ座のガルニエ宮や新オペラ座のオペラ・バスティーユでその公演を観ることができる。 パリは音楽都市のひとつである。シャンソンを聞かせるライブハウスがいくつもある。 パリ…158キロバイト (16,839 語) - 2024年4月15日 (月) 06:34
- 2023年、イタリアのオペラ歌唱の慣習はユネスコの無形文化遺産に登録された。 フランスでは戦後しばらくは政府の補助削減などで大きく低迷していた時期もあるが、現在はパリ・オペラ座やリヨン歌劇場などを中心にかなり活発な上演状況を呈している。フランスオペラが得意なのは当然として、イタリア、ドイツの両オペラ…91キロバイト (12,544 語) - 2024年3月6日 (水) 04:12
- 代でも最も人気のある作品群となっている。 20世紀初頭のパリでは、ディアギレフが率い、ニジンスキーを主役としたバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)が近代音楽の幕開けの一端を担った。彼らはフランス人およびフランスで活躍する作曲家に次々と新作バレエ音楽を委嘱した。代表的なものは次の通りであり近代音楽の傑作と言える。…16キロバイト (1,634 語) - 2022年6月16日 (木) 01:14
- ポータル 舞台芸術 ロイヤル・バレエ団(The Royal Ballet)は、イギリスの王立バレエ団。フランスのパリ・オペラ座、ロシアのマリインスキー・バレエの2大バレエ団に加えて、世界三大バレエ団の一つと称されることもある。2022年現在の名誉総裁はチャールズ3世、芸術監督は元BRBプリンシパル…20キロバイト (1,350 語) - 2023年11月13日 (月) 09:10
- ジゼル (カテゴリ バレエ作品)バレエ団(後のバレエ・リュス)が、パリ・オペラ座で『ジゼル』を上演した。主演はタマラ・カルサヴィナとワスラフ・ニジンスキーであった。また、1913年にはアンナ・パヴロワが、自身の一座のロンドン公演で『ジゼル』を上演した。1924年には、元マリインスキー劇場のダンサーで、同年からパリ・オペラ座…30キロバイト (3,602 語) - 2024年3月11日 (月) 08:14
- セルゲイ・ディアギレフ (カテゴリ バレエ・リュス)れた。世界恐慌が起こる二ヶ月前のことであった。 バレエ・リュスは、ディアギレフの死によって解散したが、その団員からはバランシンらのように、ロシアのクラシック・バレエの伝統を米国や英国に移植した者や、バレエ教師セルジュ・リファールのように、パリ・オペラ座で復活を遂げた者を輩出した。…23キロバイト (2,759 語) - 2023年7月6日 (木) 15:38
- イーゴリ・ストラヴィンスキー (カテゴリ ロシアのバレエ作曲家)1910年にはバレエ・リュスのために作曲した『火の鳥』がパリのオペラ座で初演され、大成功を収める。翌1911年には、第2作『ペトルーシュカ』が初演され、これも成功を収める。さらに1913年、第3作『春の祭典』がパリで初演された。この上演は楽壇をセンセーショナルな賛否両…39キロバイト (5,097 語) - 2023年10月8日 (日) 08:01
- モダン・バレエとクラシック・バレエの世界展開 19世紀後半、西欧ではバレエが衰退しパリでもバレエを上演しなくなっていた。 そんな時代に、ロシア人を中心にしたバレエ団バレエ・リュス(1909-1929年)はパリを中心に好評を博し、世界中で巡業し、当時西欧で斜陽化していたバレエ文化を再興した。このバレエ…16キロバイト (1,679 語) - 2023年2月11日 (土) 07:09
- バレエ・リュス解散後にはバレエ団のトップは芸術監督となり、「首席バレエマスター」という役職はかつて次席バレエマスターと呼ばれていた首席指導者あるいは芸術助監督のことを指すようになっている。 ピエール・ボーシャン:1673年から1687年までフランス王立音楽アカデミー・バレエ(現パリ・オペラ座バレエ…12キロバイト (1,544 語) - 2024年1月11日 (木) 04:39
- ダフニスとクロエ (ラヴェル) (カテゴリ バレエ・リュスの上演作品)バレエ」と評した。 バレエ・リュスの解散(1929年)と前後して、『ダフニスとクロエ』は1920年代にフォーキンによってパリ・オペラ座バレエに移植され、そのレパートリーに加えられた。フォーキンによる振付は記録がほとんどないために忘れ去られたが、英国ロイヤル・バレエ…165キロバイト (17,279 語) - 2023年11月1日 (水) 11:21
- シャトレ座(フランス語: Théâtre du Châtelet)は、パリ1区、セーヌ川右岸に1862年から建つ劇場である。オペラ、オペレッタ、バレエ、演劇、クラシック・コンサート、映画上映などに使われてきた。座席数は2,500。 パリのほぼ中央、セーヌ川右岸、1区と4区の境に『シャトレ広場』がある…6キロバイト (656 語) - 2023年10月28日 (土) 17:28
- シャンゼリゼ劇場 (カテゴリ パリの音楽)リュクにより、オペラ座のような伝統的な劇場に対抗して、新時代の劇場にふさわしい現代的な作品を上演することが提案された。それに従い、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を迎えて最初のシーズンに備えることになった。そのシーズンにドビュッシーの『遊戯』(5月15日)、ストラヴィンスキーのバレエ…4キロバイト (366 語) - 2022年5月29日 (日) 12:35
- ジョージ・バランシン (カテゴリ バレエ・リュス)ヴィンスキーとの付き合いもこの時期から始まった。ディアギレフの死後はパリ・オペラ座バレエのバレエマスター就任を依頼されたが、結核のためにこれを受けることが出来ず、回復後にデンマーク王立バレエ団のバレエマスターを経て、バレエ・リュス・ド・モンテカルロの旗揚げに参加。ここでタマーラ・トゥマーノワの才能を発掘した。…12キロバイト (1,198 語) - 2023年4月23日 (日) 01:54
- 眠れる森の美女 (チャイコフスキー) (カテゴリ バレエ作品)曲した『白鳥の湖』『くるみ割り人形』と共に「3大バレエ」とも呼ばれている。 シャルル・ペローによる昔話『眠れる森の美女』を題材としたバレエは、19世紀前半にパリ・オペラ座で2回制作されている。一度目は1825年に上演された同名のオペラで、作中にバレエ・シーンが挿入されており、ピエール・ガルデル(英…45キロバイト (5,542 語) - 2023年11月29日 (水) 01:43
- ジュゼッペ・ヴェルディ (カテゴリ イタリアのオペラ作曲家)しかし、結果はまたも惨憺たるもので終わる。前作同様パリはオペラに不必要なバレエの挿入を求め、また観客が夕食から最終列車までの間に観劇が終わるように筋の短縮を迫り、オペラ座の怠慢は全く変わらない。綿密な構想も切り刻まれては観客の心は掴めず、1867年3月開演の『ドン・カルロ』は酷評に晒され、敗北したヴェルディはその後のオペラ座からの打診を受けなかった。…87キロバイト (12,690 語) - 2024年1月26日 (金) 15:16
- シャルル・グノー (カテゴリ オペラ作曲家)規模な成功を収めた作品でもある。当初は対話を含むオペラ・コミック形式であったが、1868年のオペラ座での上演に際して、対話をレシタティーフ化し、オペラ座の慣習に基づいてバレエ音楽を追加する形で改訂しており、現在では、ほぼこの形で上演される。なお、バレエ音楽の作曲者はグノー本人でないとの説がある。また…20キロバイト (2,524 語) - 2024年2月9日 (金) 20:09