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  • デジ・アーナズのサムネイル
    主演するルシル・ボールと出会った。1940年11月30日、アーナズはボールと結婚した。またこの頃ザビア・クガートのバンドでギターを演奏していた。 1940年代、『バターン特命隊』(1943年)などいくつかの映画に出演した。召集令状を受けたが、それ以前に膝を怪我していた。新兵訓練に参加したが、第二次世…
    28キロバイト (3,781 語) - 2023年1月4日 (水) 23:52
  • 1942年、ダグラス・マッカーサー将軍指揮下のアメリカ軍は、バターン半島で劣勢を強いられていた。やがてバターンからの撤退が決定すると、ジョセフ・マッデン大佐は司令部へ呼び出され、フィリピンに残留して戦線後方で抗日ゲリラを編成指揮せよとの特命を受ける。こうして結成されたマッデン率いるゲリラ
    13キロバイト (1,355 語) - 2024年4月30日 (火) 20:51
  • フィリップ・テリー (カテゴリ ウィキデータにあるインターネット・ブロードウェイ・データベース人物ID)
    無法は殺せ  生れながらの殺し屋 遥かなる我が子 失われた週末(ウィック・バーナム) バターン特命隊 ポータル Biography Phillip Terry - IMDb(英語) フィリップ・テリー - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語) フィリップ・テリー - Find a Grave(英語)…
    1キロバイト (66 語) - 2023年8月12日 (土) 11:33
  • 太平洋戦争のサムネイル
    000名にもなり、『戦史上でアメリカ軍が被った最悪の敗北』と言われ、多くのアメリカ人のなかに長く苦痛の記憶として残ることとなった。勝利した日本軍であったが、バターン攻撃当初からバターンに籠ったアメリカ極東軍の兵士数を把握できておらず、予想外の捕虜に対し食糧も運搬手段も準備できていなかった。また、降伏した将兵はマッカーサ…
    406キロバイト (58,225 語) - 2024年4月29日 (月) 14:04
  • 高山信武のサムネイル
    1941年(昭和16年)7月初頭、当時の参謀本部作戦課長の服部卓四郎に、対ソ早期開戦案を強く主張している。 1942年(昭和17年)1月中旬、田中新一作戦部長の特命により、バターン半島攻略の督戦と作戦指導のためマニラに飛んでいる。第65旅団長奈良晃少将の戦闘司令所を訪問し、実情を把握した高山は、参謀本部に対し急遽兵力の増援を要請したとされる。…
    7キロバイト (785 語) - 2024年4月8日 (月) 10:38
  • レリック(マクナリー) レンジャーズ 特・殊・部・(ケナー〈ビル・ラングルー・モンロー〉) ローズ・レッド:ザ・ビギニング(ジャック・フィニー) ロード・オブ・イリュージョン(ヴィノヴィック〈ヴィンセント・スキャヴェリ〉) ロードキラー(リッター〈ジム・ビーヴァー〉)※ソフト版 ロード・トリップ…
    63キロバイト (5,703 語) - 2024年5月6日 (月) 03:24
  • 第二次世界大戦のサムネイル
    バターン半島とコレヒドール島は約2か月間持ち堪えたのち、増援を得た日本軍の総攻撃の前に5月6日に降伏した。 バターンで日本軍に降伏したアメリカ軍将兵は76,000名にもなり、『戦史上でアメリカ軍が被った最悪の敗北』と言われたが、降伏を受け入れた日本軍は、当初からバターン
    797キロバイト (125,284 語) - 2024年5月1日 (水) 16:48
  • 海軍大佐。真珠湾攻撃総隊長 舩坂弘 - 陸軍軍曹。アンガウルの戦いで活躍 細萱戊子郎 - 海軍中将。第5艦隊司令長官、南洋庁長官 細見惟雄 - 陸軍中将。戦車第一師団長 堀井富太郎 - 陸軍少将。南海支隊長 堀栄三 - 陸軍中佐。大本営情報参謀 本間雅晴 - 陸軍中将。第14軍司令官。「バターン死の行進」の責を問われ絞首刑…
    138キロバイト (14,544 語) - 2024年1月15日 (月) 13:55
  • ロサンゼルスの戦いのサムネイル
    9784594030162 ^ 時実雅信『米国民を震撼させた特命の奇襲作戦 伊号潜水艦、米本土を攻撃せよ』(「歴史群像アーカイブ9 帝国海軍太平洋作戦史1」収録)P.100 学研 2009年 ISBN 4-0560-5611-0 ^ 時実雅信『米国民を震撼させた特命の奇襲作戦 伊号潜水艦、米本土を攻撃せよ』(「歴史群像アーカイブ9…
    12キロバイト (1,513 語) - 2023年11月14日 (火) 05:35
  • 真珠湾攻撃のサムネイル
    OCLC 51673398  奇襲 タラント空襲 トンデルン襲撃(英語版) - 世界初の空母艦載機による敵基地空襲 旅順口攻撃 - 日露戦争 シノープの海戦 ハル・ノート バターン死の行進 イギリスの対日宣戦布告 アメリカ合衆国の対日宣戦布告 ニイハウ島事件 アメリカ本土空襲 ドーリットル空襲 ワシントン海軍軍縮条約 伊号第二十六潜水艦…
    251キロバイト (38,667 語) - 2024年5月4日 (土) 07:04
  • 日本軍進駐下のタイのサムネイル
    1942年頃の空軍の様子は、第3航空軍がタイ国土に飛行を常駐させることはなかったが、ビルマ方面で作戦行動を展開する第5飛行師団の後方基地としてドンムアン飛行場の価値は高く、実際に頻繁に利用されていた。そのため、ドンムアン、ナコーンサワン、チェンマイ、ラムパーン、ウドーンターニー、ウボンラーチャターニーの各飛行場には地区部隊を配置し、作戦即応体制を整えていた。…
    59キロバイト (9,839 語) - 2023年11月23日 (木) 08:35
  • 硫黄島の戦いのサムネイル
    硫黄島の戦い (カテゴリ リッチモンド・K・ターナー)
    機、艦爆29機、陸攻21機の戦力を硫黄島に進出させた。しかし、同日早朝に機先を制して第58任務部隊第1群の空母「ホーネット」、「ヨークタウン」、「バターン」から発艦したアメリカ軍艦載機約70機が硫黄島を襲撃、「八幡空襲部隊」はエースパイロット坂井三郎も含めて全戦闘機を出撃させて迎撃したが24機が未帰…
    244キロバイト (39,142 語) - 2024年5月4日 (土) 15:55
  • 明号作戦のサムネイル
    明号作戦 (カテゴリ クーデター)
    合は「3・3・3」、拒絶した場合は「7・7・7」を、暗号として発動予定時刻5分前までに各部隊へ打電することとした。 3月9日18時、日本側の松本俊一特命大使が米の供出に関する協定に調印するとの名目でサイゴンに滞在していたドクー総督を訪問。供出協定調印後、松本大使は最後通牒を提示して退去。通牒内容は、…
    26キロバイト (4,044 語) - 2024年2月3日 (土) 17:13
  • 令部に報告した。報告を受けたアメリカ陸軍太平洋方面軍の法務局戦争犯罪部が徹底した戦争犯罪の捜査を行い、いわゆる“マニラ大虐殺”として、大戦初期の“バターン死の行進”とともにフィリピンにおけるBC級軍事裁判であるマニラ軍事裁判の最大のテーマとなった。 しかし、当事者であったマ海防は殆どが戦死しており、…
    139キロバイト (23,684 語) - 2023年12月22日 (金) 14:40
  • インパール作戦のサムネイル
    だ。完全な奇襲となったため、乱戦乱闘の白兵戦のなかでイギリス兵はバタバタと倒されたが、大混乱の中で慌てて照明弾を上げたため、かえって動きが丸見えとなって、反撃してきたイギリス軍部隊が日本軍の軽機関銃の斉射で全員撃ち倒されている。松村は確保した食糧倉庫から奪った「チャーチル給与」で腹を満たしつつ、…
    455キロバイト (75,954 語) - 2024年2月21日 (水) 06:14
  • 仏印進駐のサムネイル
    、オーストラリアにとっては不満のある内容であり、11月26日にはいわゆるハル・ノートがアメリカ側から手交された。 11月28日には野村大使、来栖三郎特命大使とルーズベルト大統領の会談が行われたが、この席でハル・ノートが日本政府をいたく失望させたという日本側に対し、ルーズベルト大統領は「日米会談開始以…
    79キロバイト (12,786 語) - 2024年4月21日 (日) 20:01
  • ソ連対日参戦のサムネイル
    ソ連対日参戦 (カテゴリ ホルローギーン・チョイバルサン)
    島、樺太、千島列島などで、日ソ中立条約を一方的に破棄して大日本帝国に宣戦布告をし侵攻してきたソビエト連邦の赤軍とそれぞれの地域を守備する日本軍の守備との間で勃発した一連の戦闘である。 昭和20年(1945年)8月8日午後11時に、ソ連のモロトフ外務人民委員が、佐藤尚武駐ソ連大使を招致し、そこで佐…
    113キロバイト (18,389 語) - 2024年5月11日 (土) 01:02
  • 日独伊三国同盟のサムネイル
    外務省外交史料館 に展示されている。 条約調印式はベルリンで行われ、ドイツ外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップ、イタリア外相ガレアッツォ・チャーノ、日本からは特命全権大使の来栖三郎が条約に調印した。 条約の正式名称は、日本語では「日本國、獨逸國及伊太利國間三國條約」(昭和十五年條約第九號、日獨伊三國同盟條約)という。…
    55キロバイト (8,687 語) - 2024年5月12日 (日) 01:39
  • 日系人の強制収容のサムネイル
    、日本の敗戦を受け止めた「負け組」との間で争いが勃発し、両者の間の暴動により数十名の死者が出る騒ぎとなり社会問題となった。 後に両国の国交が回復し、特命全権大使がリオ・デ・ジャネイロに再度赴任した後の1950年代初頭に、教育程度の低い地方に多かった「勝ち組」に対して大使自らが説明を行うに至るまで、両者の間の対立が続くこととなった。…
    101キロバイト (14,231 語) - 2024年4月15日 (月) 20:49
  • ハル・ノートのサムネイル
    は、『うん、これがくればむろん……』、といいかけられたが、まさかこの期におよんで『これがくれば戦さしなかった』ともいえない、というような顔つきで『ウーン』といって、後は黙ってしまわれた。それから後の人は全部、『これさえ来とりゃ戦さするんじゃなかった』といった。しかし、果たしてそうかどうかは、質問した…
    91キロバイト (14,687 語) - 2024年5月2日 (木) 04:54