騶無諸

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閩越王 騶無諸
閩越
閩越王無諸像(福州市鼓楼区
王朝 閩越
在位期間 前202年 - 前192年
都城 東冶
姓・諱 騶無諸

騶 無諸(すう むしょ、生没年不詳)は、秦代から初にかけての閩越の君主。姓は騶[1]、名は無諸。越王勾践の末裔とされる。

秦が中国を統一すると、王の称号を廃されて君長とされ、その領地は閩中郡とされた。

秦末の動乱が起こると、無諸は越の人々を率いて鄱陽県令の呉芮に従い、秦を滅ぼすのに協力した。

その後、項羽が西楚の覇王として封建をおこなったが、無諸は王に封じられず、このため楚に従わなかった。

漢王劉邦が項羽を攻撃すると、無諸は越人を率いて漢に協力した。劉邦が皇帝に即位した紀元前202年、無諸は閩越王に立てられ、閩中郡の故地を統治し、東冶に都を置いた[2]

脚注[編集]

  1. ^ 史記集解』東越列伝所引徐広は「騶はまたは駱とも作る」という。
  2. ^ 史記』東越列伝および『漢書』西南夷両粤朝鮮伝