駒ヶ嶽儀右衛門

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駒ヶ嶽 儀右衛門(こまがたけ ぎえもん、宝暦2年(1752年) - 寛政12年8月17日1800年10月5日))は、陸奥国出身で伊勢ノ海部屋に所属していた江戸時代の元大相撲力士。最高位は大関(歴代大関としての代数は第44代大関)。出身地は陸奥国のうち、現在の宮城県遠田郡涌谷町に相当する場所である。

安永2年(1773年冬場所(10月)、駒ヶ嶽 儀左衛門(こまがたけ ぎざえもん)と名乗って西関脇として大相撲界にデビュー。次の安永3年(1774年春場所(4月)には儀右衛門と下の名を改めて大関昇進。しかし看板力士のため同年冬場所(10月)にはいきなり二段目に陥落、安永4年(1775年)春場所(3月)には三段目に陥落し、しばらく番付に名前が載らない場所もあったが、安永9年(1780年)春場所(3月)二段目に再登場し、天明3年(1783年)春場所(3月)に沖津風 礒右衛門(おきつかぜ いそえもん)と改名、天明4年(1784年)春場所(3月)に実力で幕内(上段)に復帰し、その場所では新鋭小野川を破った。天明6年(1786年)春場所(3月)には三段目陥落後の最高地位の小結となった。天明7年(1787年)冬場所(11月)から下の名を梶右衛門(かじえもん)と改めている。寛政6年(1794年)冬場所(11月)以降は再び二段目に陥落し、その後は寛政9年(1797年)春場所(3月)の引退まで二段目で相撲を取った。

主な成績[編集]

  • 初土俵:安永2年10月場所(関脇)
  • 新入幕:安永2年10月場所(関脇)
  • 大関在位:1場所
  • 大関成績:1勝0敗7休
  • 幕内(上段)成績:23勝21敗50休4分5預5無勝負

改名歴[編集]

  • 駒ヶ嶽 儀左衛門(こまがたけ ぎざえもん)
  • 駒ヶ嶽 儀右衛門(こまがたけ ぎえもん)
  • 沖津風 礒右衛門(おきつかぜ いそえもん)
  • 沖津風 梶右衛門(おきつかぜ かじえもん)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]