長野業実

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長野 業実(ながの なりざね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。彦根藩井伊家家老をつとめた。は業真とも。通称は十郎左衛門。

概要[編集]

父は上野箕輪城城主長野業正の子の長野業親とされる(諸説あり)。業親の系譜ははっきりせず、業正の子であったとしても庶子か養子であろうと考えられている。

始め向坂伝蔵(こうさか でんぞう)後に民部、十郎左衛門と称した。母が井伊直政存知の者であったため、直政の推挙により徳川家康の近習となり(12・3歳時)、その後、箕輪にて井伊直政に仕官し小姓を務めた(1580(天正8)年)。

小田原征伐では井伊勢の先鋒として小田原城内に突入する功績をあげた。関ヶ原の戦いの功績で2000石(1601(慶長6)年)、大坂の陣では奉行として3000石となった(1627(寛永4)年)。1649(慶安2)年10月病死。

子孫は彦根藩の第三席の家老(4000石)として続いた。

参考文献[編集]

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』(講談社、2001年)
  • 『三百藩家臣人名事典4』(新人物往来社、1988年)
  • 小宮山敏和「井伊直政家臣団の形成と徳川家中での地位」・「近世初期における譜代大名〈家中〉の成立」『譜代大名の創出と幕藩体制』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-03468-5
  • 『侍中由緒帳1』(彦根市教育委員会、1994年)