長島鷲太郎
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長島 鷲太郎(ながしま わしたろう、慶応4年4月8日[1](1868年4月30日) - 昭和9年(1934年)7月27日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。法学博士[3]。キリスト教徒。
経歴
[編集]安房国安房郡勝山(現在の鋸南町)に安房勝山藩士長島永豊の長男として生まれ、1872年(明治5年)に一家は東京に移住した[4][5]。1890年(明治23年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法省参事官試補となるが、1893年(明治26年)に辞して弁護士を開業し、後には東京弁護士会会長に就任した[6]。また日本法律学校・明治法律学校・和仏法律学校・東京法学院・専修学校で講師を務め、日本法律学校では幹事となった[7]。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は3回を数えた。その間、法律取調委員を務めた[1]。
その他、大日本セルロイド・日本曹達工業・明治製菓などの会社の取締役を務めた[4]。
墓所は青山霊園1-ロ10-15。 孫に建築家・都市計画家アーバンデザイナーの長島孝一がいる
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 久保田潜竜『百家高評伝 第一編』文寿堂書林、1893年。
- 『衆議院要覧 大正元年十一月』衆議院事務局、1912年。
- 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。