鄭還古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鄭 還古(てい かんこ)は中唐の詩人。伝奇集『博異志(はくいし)』の撰者谷神子(こくしんし)に擬せられている[1]

生年不明。滎陽郡の生まれであるが五姓七族に数えられた滎陽の鄭氏に連なるかは未明[要検証]憲宗元和10年(基督教暦815年。下皆效此)に淄青(しせい)節度使中国語版李師道(りしどう)中国語版の反乱が起きた際に乱を避けて弟の斉古(せいこ)と共に老親を連れて洛陽へ移る[2]。その前か後かは不明であるが元和年中(元和は15年迄)に進士に及第し[3]河中府従事に就いたものの役所を誹謗する事があって吉州の掾(えん)に左遷される[4]

その後洛陽に還ったらしく同地に閑居して将軍柳当(りゅうとう)と懇意にし[5]、再度の官職を求めて長安へ赴き太学博士(太学博士[6]乃至国子博士(国子監の博士)[7]として復官したが、程無くして歿した[7]。その歿年は詳らかでないが文宗開成5年(840年)4月に邕州刺史裴恭(はいきょう)の碑文が建てられた際に盧術(ろじゅつ)の撰した碑文を鄭が書しているので[8]、少なくもその頃の在世は判り[9]、また、谷神子『博異志』に谷神子が武宗会昌2年(842年)に済陰郡で水害に遭ったともいうので[10]、谷神子が鄭の号とすればこの事もその支証となる[11]。なお、鄭は左遷の以前か以後かは未明乍ら刑部尚書劉公の女(むすめ)を妻とし、これと死別した後に洛陽にて李氏を妻としたといい[12]、また、僕射柳元公の女も妻にしたというが[13]、将軍柳当と僕射柳元公、更に刑部尚書劉公3者の関係は未明。また、符術に通じ済陰郡近郊にあった龍興寺という古寺の井戸を治す事もあったというが[14]これの真偽も未明。

その作に、逸したものの夢中に「蒼龍渓新宮銘」を書かされたという蔡少霞(さいしょうか)中国語版[15]道士殷七七(いんしちしち)の伝記[16]、吉州への赴任途中に詠んだ「望思台詩」があった[17]。また、伝奇集『博異志(記)』の撰者谷神子に就いて南宋晁公武(ちょうこうぶ)中国語版が「或曰名還古、而竟不知其姓」と注記している[18]事から鄭が谷神子を号して同書を撰したものと考証されている[19]。同書は序文に娯楽を提供するものでは無く箴規(しんき。戒め)の為に撰したものと述べられており[20]、同時代人である趙璘(ちょうりん)中国語版に拠れば、鄭は幼い頃から俊才で学を好む性質であったが惜しい事に自説に拘泥する余り時世に合わない所があったともいうので[13]、果たして鄭が谷神子であるとすればそうした性向に因って『博異志』を纂輯した可能性があるものの、同集の現伝諸則のみからは箴規の様は窺えない[21]。なお、谷神子の号は『博異志』に当時の事件や人物に触れる叙述があってその為に姓名を隠したものであろうとの説も行われる[20]

脚注[編集]

  1. ^ 「谷神」は『老子』に見える語。唐代には厳遵(げんじゅん)中国語版の『老子指帰(ろうししき)』に注を施した馮廓(ふうかく)や、道教を好んだlabel=高駢(こうべん)の為に『伝奇』を編んだ裴鉶も谷神子を号している。
  2. ^ 趙璘『因話録(いんわろく)中国語版』巻3商部下。なお、同書に拠れば本人は不明だが弟斉古の排(輩)行は29番目であったという。
  3. ^ 南宋計有功(けいゆうこう)中国語版編『唐詩紀事(とうしきじ)中国語版』巻48。
  4. ^ 北宋阮閲(げんえつ)中国語版編『詩話総亀(しわそうき)』巻42所引盧懐(ろかい)『杼情(ちょじょう)』。
  5. ^ 太平広記』(以下「広記」と略す)巻168気義3所引『盧氏雑説』「鄭還古」。
  6. ^ 盧子『逸史』(広記巻159定数14(婚姻)所引「鄭還古」)。
  7. ^ a b 前掲広記所引盧氏雑説。
  8. ^ 北宋趙明誠金石録』巻10第1,849「唐常侍裴恭碑」。納新(のうしん)『河朔訪古記(かさくほうこき)』巻下。
  9. ^ 今村与志雄訳『唐宋伝奇集(下)』(岩波文庫、1988年)「竜女の詩会(許漢陽)」訳注、岩波文庫、1988年。
  10. ^ 広記巻348鬼33所引『伝異記』「李全質」。なお、この『伝異記』は『博異記(志)』の誤写(「伝」の正字体は「傳」)である事明らかである(余嘉錫『四庫提要辨證』巻18博異記項、1958年)。
  11. ^ 余前掲書。
  12. ^ 前掲広記所引逸史。
  13. ^ a b 趙前掲書。
  14. ^ 広記卷79方士4所引『伝異記』「許建宗」(伝異記に就いては前掲注参照)。
  15. ^ 広記卷55神仙55所引薛用弱(せつようじゃく)中国語版集異記(しゅういき)』「蔡少霞」。
  16. ^ 胡応麟少室山房筆叢(しょうしつさんぼうひっそう)』巻20「二酉綴遺(にゆうてつい)」巻中。紀昀他編『欽定四庫全書総目』子部52小説家類3博異記項、乾隆47年。
  17. ^ 阮前掲書所引杼情。
  18. ^ 晁『郡斎読書志』巻13。
  19. ^ 前掲胡書、余書、今村訳注。溝部良恵『広異記・玄怪録・宣室志他』(中国古典小説選6)「博異志(抄)解説」、明治書院、2008年。
  20. ^ a b 晁前掲書。
  21. ^ 溝部前掲解説。

参考文献[編集]

  • 近藤春雄『中国学芸大事典』大修館書店、昭和53年