褒忠郷

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雲林県の旗 雲林県 褒忠郷
別称: 埔姜崙
地理
位置 北緯--°--'
東経--°--'
面積: 37.0552 km²
各種表記
繁体字: 褒忠
日本語読み: ほうちゅう
拼音: Bāozhōng
通用拼音: Baojhong
注音符号: ㄅㄠ ㄓㄨㄥ
片仮名転写: バオジョン
台湾語: Po-tiong
客家語: Pô-chûng
行政
行政区分:
上位行政区画: 雲林県の旗 雲林県
下位行政区画: 9村134鄰
褒忠郷長: 張政国
公式サイト: 褒忠郷公所
情報
総人口: 13,349 人(2016年1月)
世帯数: 4,411 戸(2016年1月)
郵便番号: 634
市外局番: 05
褒忠郷の木: -
褒忠郷の花: -
褒忠郷の鳥: -
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大廍順天宮

褒忠郷(バオジョン/ほうちゅう-きょう)は台湾雲林県

歴史[編集]

褒忠郷の旧名は「埔姜崙荘」と称され、清代は布嶼堡に属し彰化県の管轄下に置かれていた。

1786年乾隆51年)、林爽文の反乱が発生すると反乱軍側の荘大田が嘉義を攻め、各堡は混乱に陥った。それに対し張源懃と張明義兄弟が民衆をまとめ、官軍を支援して反乱軍を撃退した・これにより「褒忠」と名が清皇帝より下賜され、源懃通判に任じられた。これが「褒忠」の由来である。

1888年光緒14年)に雲林県の帰属と改変された。

日本統治時代の1909年、土庫支庁の下に埔姜崙区が設置された。1920年には土庫庄に合併され、行政機関名としては「褒忠」の名称が消滅した。戦後も台南県管轄の土庫鎮と改められたが、褒忠地区は依然として土庫鎮の一部という扱いを受けた。しかし住民より分離を求める声が高まり、1946年1月23日、土庫鎮を分割して「褒忠郷」が成立、1950年に雲林県の管轄となり現在に至っている。

行政区[編集]

有才村、龍岩村、田洋村、潮厝村、新湖村、埔姜村、中民村、中勝村、馬鳴村

交通[編集]

種別 路線名称 その他
省道 台19線 崙背郷 - 褒忠郷 - 元長郷

観光[編集]