菅原志津

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菅原 志津(すがわら しづ、1934年(昭和9年) - 1951年(昭和26年)4月3日)は日本詩人山形県西田川郡上郷村(現・鶴岡市)出身。

経歴[編集]

  • 1934年(昭和9年) - 山形県西田川郡上郷村(現・鶴岡市)に生まれる。
  • 1946年(昭和21年) - 藤村操の話を聞き「人生不可解」について考える。
  • 1948年(昭和23年) - 学校の教室で『パンセ』を読んでいた所、教師に「このような本はまだ早い」と言われ、叱られる。
  • 1949年(昭和24年) - キリスト教の講演会を聞いて感激し、キリスト教へ回心する。
  • 1950年(昭和25年) - 糖尿病のため入院する。
  • 1951年(昭和26年)1月 - 糖尿病が再発し学校を休学する。

著作物[編集]

主な作品[編集]

  • 1945年(昭和20年)4月 - 『お星樣』
  • 1947年(昭和22年)1月 - 『子守つ子』
  • 1950年(昭和25年)12月17日 - 『ダリヤ』
  • 1951年(昭和26年)1月 - 『銀の針』
    • 3月 - 『こぼれび』 入院中に言った、うわごとを姉の菅原玲子が書き取った。

遺稿集[編集]

  • 1951年(昭和26年)7月 - 『夜空に星をつける』 菅原志津遺稿刊行会