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福田 (岡山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 岡山県 > 岡山市 > 南区 (岡山市) > 福田 (岡山市)
福田

ふくだ
地図
日本
都道府県 岡山県
市町村 岡山市
行政区 南区
新設 1889年明治22年)6月1日
面積
 • 合計 1.212916 km2
最高標高
1.3 m
最低標高
0.0 m
人口
 • 合計 7,556人
 • 密度 6,200人/km2
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
702-8021
市外局番 086
ナンバープレート 岡山

福田(ふくだ)は、岡山県岡山市南区大字郵便番号は702-8021(岡山南郵便局管区)。岡南と呼ばれる地域に位置し、芳泉地区の一部となる。かつては御津郡福浜村の一部であった。近世に海域を干拓し造成された土地で、福田新田(ふくだしんでん)、青江新田(あおえしんでん)[2]に相当する。

2010年国勢調査による人口は7556人(男3668人/女3888人)、世帯数は2824世帯、面積は121万2916m2、人口密度は6229.6人/km2[1]

概要

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市街より南方にあたる。 市街南方近郊を総称して岡南と呼ぶが、当地はその中部に位置し、芳泉地区の一部を構成する。

元は農村であったが、市街近郊という土地柄から周辺の地区同様、モータリゼーションの発達にともない宅地化・市街化が進行し、人口が密集地となっている。当地外であるが、すぐ北方を国道2号岡山バイパスが東西に通過している。

小・中学校の学区

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公立中学校に通学する場合、学区は次のように指定されている[3]

区域 小学校 中学校
全域 芳泉小学校 芳泉中学校

沿革

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歴史

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旭川の河口にできた干潟を、寛永8年(1631年)に岡山藩が干拓し新田を開発。福田新田(ふくだしんでん)と呼ばれていたが、貞享年間(1684〜1687年) に一村として独立し、御野郡に属し福田村と称した。『吉備温故』 には石高1,000石5升、田畑64町 3反9畝12歩、家39軒、男女305人との記載がある[4]

当時は現在よりも区域は狭く、元禄11年、現在の福田の西部にあたる区域(当時は海域)を干拓造成し、青江新田(あおえしんでん)が開発される。青江新田は当初、青江村枝村であったが、文化年間までの間に福田村の枝村へと変更された[5][6]

明治9年に青江新田と合併。同22年、福島村など5村と合併して福浜村となり、大字福田となる[4]

昭和6年4月1日、福浜村が岡山市に編入合併した[4]

平成22年4月1日、岡山市が政令指定都市へ移行し、行政区(南区)が設置された。

平成27年1月31日、町名表示の変更で福田の一部地区が当新田の一部地区(国道30号線以東)と一緒に岡山市南区芳泉になる。(岡山市南区芳泉○丁目○番○号と表記する)郵便番号は702-8027

地名の由来

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新田開発時、幸福を願って付けた瑞祥地名である[4]

主要施設

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医療・福祉施設

一般企業・商店

交通

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道路

参考文献

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  • 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  • 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)
  • 谷淵陽一『岡山市の地名由来』平和納庫発行・吉備人出版製作(2002年)
  • 岡山市立芳泉小学校2013年12月閲覧

脚注

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  1. ^ a b 平成22年国勢調査、小地域集計、33岡山県”. 総務省統計局(e-Stat) (2010年10月1日). 2014年2月14日閲覧。
  2. ^ 区域西部に相当。
  3. ^ 岡山市立小学校、中学校の就学に関する規則 別表第1” (PDF). 岡山市. 2020年9月30日閲覧。
  4. ^ a b c d 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  5. ^ 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)
  6. ^ 谷淵陽一『岡山市の地名由来』平和納庫発行・吉備人出版製作(2002年)

関連項目

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外部リンク

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