由布家続

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由布家続
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
改名 家続、入道宗秀
別名 八郎(通称)、家継
官位 甲斐守
主君 立花道雪
氏族 由布氏
父母 由布惟克
戸次親家妹または娘[1]
靏原鑑員[2]
惟重[3]惟明
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由布 家続(ゆふ いえつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将戸次氏の家臣。『将士軍談』では「藤北立花両城大老一座」とされる。道雪七家老の第一座。

略歴[編集]

由布院山城[4]主・由布惟克(加賀守)の子として誕生。『将士軍談』によると「大永六年(1526年)馬嶽初陣」とある。以降、従兄弟または叔父である立花道雪の下で活躍する。天正2年(1574年)に致仕したが、天正7年(1579年)6月以降、賀良山(嘉良山、唐山)西城の城番となる。この西城はのち大津留鎮忠[5]が城番となる。

『将士軍談』によると長男・惟重は別家召し出しで大友氏に仕えたので家督は惟明が継いだ。このためか『柳河藩享保八年藩士系図・上』では惟重は登場しない。

脚注[編集]

  1. ^ 『柳河藩享保八年藩士系図・上』では「常陸介親家公令妹」。『将士軍談』では「親家の女」とある。
  2. ^ 玄蕃頭。
  3. ^ 伊豆守。
  4. ^ 『柳河藩享保八年藩士系図・上』より。『将士軍談』では由布院山馬嶽城。
  5. ^ 名は大鶴弥助鑑尚、式部少輔鎮忠、弾正入道宗秋、山城入道宗周、安芸入道、右京入道宗秀とも。大津留鎮正の三男。父から鷲ヶ嶽城の城主職を継承する。父子とも式部少輔と称したことがあり、活躍年代も重なるのでよく同一人物と記されている。

出典[編集]

  • 『柳川歴史資料集成第二集 柳河藩享保八年藩士系図・上』 柳川市史編集委員会編・福岡県柳川市 1996年平成8年)発行
  • 『姓氏家系大辞典 第三巻』太田亮著・角川書店昭和38年初版