田中茂美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田中 茂美(たなか しげみ、1903年明治36年〉3月7日[1] - 1997年平成9年〉7月3日[1])は、昭和から平成時代前期の土木工学者鉄道官僚実業家

経歴[編集]

白石兵次郎の三男として福岡県遠賀郡に生まれ、のち田中正夫の養子となる[2]。1926年(大正15年)九大土木科卒[1]。鉄道省に奉職し、長野保線事務所長、札鉄局工事課長、新橋保線部長[2]、1943年(昭和18年)門鉄施設部長、1945年(昭和20年)鉄道総局施設局計画課長、1948年(昭和23年)施設局長、1949年(昭和24年)国鉄理事施設局長をへて理事・初代技師長となり、1952年(昭和27年)退職[1]。同年極東鋼弦コンクリート振興、1955年(昭和30年)興和化成、1958年(昭和33年)興和コンクリート各社の社長を務めた[1]。1959年(昭和34年)土木学会会長、1966年(昭和41年)プレストレストコンクリート工業協会会長を歴任した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 歴代会長紹介”. 公益社団法人 土木学会. 2022年4月25日閲覧。
  2. ^ a b 人事興信所 1948, タ10頁.

参考文献[編集]