「Wikipedia:コメント依頼/Gowithitjam」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
→‎コメント: 返信二件、内一件は依頼者に。
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:::::::::執筆内容を制限したいのであれば、それこそ説得力のある内容で議論を提起しなければなりませんが、「重要じゃない」「一次出典」では、説得力がありません。そのような主張は、(サブカルに限らず)ただでさえ貧弱なものが多い記事をさらに劣化させかねません。必要であると執筆者が考え、出典を付記し記載したものを、個人的な主張で除去することは質的向上に資するものではありません。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2015年6月3日 (水) 12:10 (UTC)
:::::::::執筆内容を制限したいのであれば、それこそ説得力のある内容で議論を提起しなければなりませんが、「重要じゃない」「一次出典」では、説得力がありません。そのような主張は、(サブカルに限らず)ただでさえ貧弱なものが多い記事をさらに劣化させかねません。必要であると執筆者が考え、出典を付記し記載したものを、個人的な主張で除去することは質的向上に資するものではありません。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2015年6月3日 (水) 12:10 (UTC)
:::::::::五本の柱に言及されていますが、それを持ち出したところで根拠もなく百科事典にふさわしくないと主張することは許されません。それは、自分が気に入らない内容を排除するためのマジックワードではなく、トリビア的な些細な物を排除する、出典のない主観的記載を残さないといったものです。出典のある記載を独断で排除し、それを他人に強要する材料にはなり得ません。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2015年6月3日 (水) 20:38 (UTC)
:::::::::五本の柱に言及されていますが、それを持ち出したところで根拠もなく百科事典にふさわしくないと主張することは許されません。それは、自分が気に入らない内容を排除するためのマジックワードではなく、トリビア的な些細な物を排除する、出典のない主観的記載を残さないといったものです。出典のある記載を独断で排除し、それを他人に強要する材料にはなり得ません。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2015年6月3日 (水) 20:38 (UTC)
::::::::::>''そのケースの特例が必要であり、一般化に適するものではありません。''
::::::::::ブーメランですよ。「一次出典<del>の排除</del><ins>のみに基づいた執筆</ins>を正当化する論理たり得るには、そのケースの特例が必要であり、一般化に適するものではありません。」
::::::::::一次資料のみに基づいた執筆が正当化されるべき場合はあります。例えば二次資料の内容が誤っているという疑義を出された場合です。他にも、疑義が出されているわけではないが[[Wikipedia:言葉を濁さない#意見を具体的な事実に置き換える|客観性を担保する]]為に用いる場合もあるでしょう。
::::::::::そう言った事情があるのでなければ、既に述べた通り合意を形成しなければなりません。一般論だけで無批判に正当化出来るものではありません。
::::::::::>''百科事典にふさわしいとは、出典の出所に影響される事柄ではありません。''
::::::::::既存の紙製の百科事典ではその通りです。ですがwikipediaでは[[Wikipedia:よくある批判への回答#署名のない記事なんて信頼性がない|明に「出典の出所に影響され」ます]]。
::::::::::>''文書間の矛盾を指摘し、その原因を明らかにすることを論点回避と''
::::::::::「どの文書」と「どの文書」が矛盾しているのでしょうか。少なくとも、私が提示した方針やガイドラインの文書間の矛盾ではありません。英語版とどれだけ異なっていても問題は全くありません。英語版と異なっていることが問題だと思うのならば、それを主張すべき場所で主張して下さい。無論、他言語版の方針やガイドラインを参考にすることは悪いことではありませんが、それはあくまで参考に過ぎません。それを以って「正当性がある」と主張することは出来ますが、「議論の余地無く正当性がある」と主張することは出来ません。
::::::::::>''実際の議論においては他の見地に配慮しなければなりません。''
::::::::::本当にその通りです。どのように「他の観点に配慮」したら「[[Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃は絶対に行ってはなりません。いかなる場合であっても、他の投稿者を攻撃する理由はありません。|そのような対応をしている時点でMaddestmagicianさんは、サブカルを中立的に取り扱うことができていないのです]]」などと言えるのか私には不思議でなりません。
::::::::::>''相互の見地によって産み出されるものに期待するのは構いませんが、それは中立を心がける必要が無いとはなりません。''
::::::::::「必要が無い」と主張しているのは私ではありません。私は「対話を行ない「中立的な観点に基づいた記述である」という合意を形成することが重要」だと主張しています。それに反対しているのは[[利用者:Open-box|Open-box]]氏であって私ではありません。
::::::::::>''商品記事において発売日は重要な要素であり''
::::::::::私は既に反例を述べました。反論無く同じ主張を繰り返しているのでしょうか?
::::::::::>''これを欠く記事は問題があります''
::::::::::どのような問題があるのでしょうか?
::::::::::>''五本の柱に言及されていますが~~と主張することは許されません。''
::::::::::主張することは許されますよ、その主張が無批判に正当化されることは無いだけで。合意を形成しなければなりません。
::::::::::>''執筆内容を制限したいのであれば、それこそ説得力のある内容で議論を提起しなければなりませんが、「重要じゃない」「一次出典」では、説得力がありません。''
::::::::::「執筆内容を<del>制限したい</del><ins>除去されたくない</ins>のであれば、それこそ説得力のある内容で議論を提起しなければなりませんが、「重要<del>じゃない</del><ins>である</ins>」「一次出典<ins>がある</ins>」では、説得力がありません。」
::::::::::>''自分が気に入らない内容を排除するためのマジックワードではなく''
::::::::::もちろん「自分が<del>気に入らない</del><ins>記載したい</ins>内容を<del>排除</del><ins>除去されないように防衛</ins>するためのマジックワード」でもありません。
::::::::::>''出典のある記載を独断で排除し、それを他人に強要する材料にはなり得ません。''
::::::::::反していれば独断で除去(排除?)出来ます。反しているか否かに関しては、明確ではない場合には合意を形成する必要があります。
::::::::::>''過去に例があっても~~''
::::::::::既に[[WP:NOT]]と、その中の[[WP:IINFO]]を示しました。
::::::::::[[WP:NOT]]の前文にはこうあります。
{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Quotation|なお、この方針を満たせば何でもウィキペディアに記載してよいわけではありません。記事は、この方針以外にも、内容に関する各方針、特に五本の柱で示されている方針に適合するものでなければなりません。|[[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]]}}}}}}}}}}}}}}}}
::::::::::そして[[WP:IINFO]]の前文にはこうあります。誤訳だそうですが、全く問題があるとは思えません。
{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Quotation|この方針の冒頭でも説明したように、単に真実であるだけでは、たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません。|[[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません]]}}}}}}}}}}}}}}}}
::::::::::ついでに[[WP:GNG/S]]にはこうあります。
{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Indent|{{Quotation|独立記事として作成、収録するだけの価値があるか否かの判断における「情報源」は、二次資料でなければなりません。特筆性のもっとも客観的な証拠を提供するのは二次資料だからです。主題に言及している信頼できる二次資料が見つかるかどうかは、独立記事として作成、収録するだけの価値があるか否かを評価するためのよい指標になります。|[[Wikipedia:独立記事作成の目安#情報源]]}}}}}}}}}}}}}}}}
::::::::::これは一次資料の使用を制限しているのではなく、二次資料は特筆性を示す有力な証拠であることを言っています。裏を返せば、特筆性を示す証拠として一次資料は弱いことを言っているわけです。「一次資料がある」以上の論拠が無い場合、相手の理解を得ることは難しいでしょう。特に、[[詭弁#早まった一般化 (hasty generalization)|「商品記事において発売日は重要な要素」などの一般論]]に頼らざるを得ない場合には。
::::::::::[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2015年6月5日 (金) 14:00 (UTC)


{{返信|レスラーワン氏}}第一義としてwikipediaは百科事典です。百科事典は三次資料であり、三次資料は二次資料に基づいて執筆されなければなりません。これは「一次資料に基づいて執筆してはならない」ことを意味しませんが、だからといって「一次資料さえあれば何でも執筆して良い」という意味ではありませんし、況してや「一次資料に基づいた執筆は、無条件で除去を拒否出来る」わけでもありません。そして残念ながら「''とてもじゃなけどまともな中身なんて''」と思ってしまう程に二次資料が少ないということはイコール「まともな中身なんて{{Small2|(ファン以外は)}}誰も興味が無いと『'''出版社や作家が'''』思っている」という現実を示しているのです。二次資料が要求されるのはサブカルいじめではなく、[[Wikipedia:よくある批判への回答|今日までwikipediaを守り、これからもwikipediaを守り育てていく]]為のものだということを御理解下さい。くれぐれも騙されて今後の[[利用者:レスラーワン|レスラーワン]]氏のwikipediaライフに変な傷を負うことの無いよう、注意深く用心深く行動して戴ければと思います。--[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2015年6月5日 (金) 14:00 (UTC)


<!--== まとめ ==-->
<!--== まとめ ==-->

2015年6月5日 (金) 14:00時点における版

利用者:Gowithitjam会話 / 投稿記録 / 記録氏ですが、彼の編集、とりわけ編集要約欄でのコメントやそもそもその編集内容、過去のトラブルについてコメントを依頼させてください。--レスラーワン会話2015年5月22日 (金) 09:01 (UTC)[返信]

発端と経緯

この方は検証可能性といったウィキペディアの方針を持ち出しますが、Gowithitjam氏自身がそれを理解しているのか非常に怪しい。

発端は『ポケットモンスター オメガルビー・アルファサファイア』の記事ですね。それ以外にも『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』なども。私としましては、Gowithitjamのいう問題点「記事冒頭の定義分が総称という言葉で終わるのはおかしい」という指摘に対しては、理解はできるのですが、それを解消するために差し戻し、他の編集された部分まで巻き添えで差し戻されるのはどうなのかと思うわけです。

『ポケットモンスター オメガルビー・アルファサファイア』という記事名は一部内容違いのゲームソフトとして同時発売された『ポケットモンスター オメガルビー』と『ポケットモンスター アルファサファイア』をまとめて扱うためゆえでして、厳密には正式なゲームタイトルではないなと考え、あくまで記事名はゲームソフト2タイトルの総称で、個別のタイトルについては概要の節でという感じで、先日より自身が中心的に執筆しているポケモン本編ゲームソフトの冒頭部分などを編集修正しておりました。

検証可能性については、確かに重要ですは、ゲームタイトルの発売日やメーカーについてまで出典をつけろと言うのはやりすぎかな?と思います。検証可能性は確かに重要ですが、発売して数か月がたつゲームタイトルの発売日やメーカーについてまで出典をつけろと言うのはやりすぎかな?と思います。外部リンクのメーカー公式サイトに書いてありますからね。

また、私は記事のテンプレートに開発スタッフの名前を記載することも重視しております。スタッフ名のソース自体はゲームソフトの説明書の最後に載っているクレジット、紙媒体の説明書が存在しない『ポケットモンスター X・Y』と『オメガルビー・アルファサファイア』についてはゲームのエンディングロール中に表示されるスタッフ名ですね。Gowithitjam氏いわく、エンディングロールの開発者一覧は情報源にはならないとのことで、私には彼が何を言っているのかわかりません。

また、それだけではなく彼自身がかなりのトラブルメーカー気質であることがうかがえ、過去のトークページや別なアカウントでの軌跡からもそれが伺えます。つまるところこのような人と1対1で対話していても埒が明かないんじゃないかということです。また、私には彼が執筆者を混乱させることはあれども、貢献することは現段階ではありそうもないと率直に言ってそう思います。

参考ページ

依頼者コメント

世界最狂の魔法使いCray-Gさん、Open-boxさん、および被依頼者であるGowithitjamさん、コメント依頼にお付き合いいただき感謝申し上げます。

コメントを拝見し、今回の問題と関連している部分で私なりに理解をしたところを書き出しますと、

  • ゲーム自体や公式サイト(一次資料)が出典になること自体は方針と矛盾はしないが、クレジットのように閲覧すればわかるという性質のものではないため、ゲーム中のどの部分が出典に当たるのか明記が必要。
  • ゲーム雑誌、攻略本など書籍でも同様の情報があれば、それを出典(二次資料)とすることが望ましい。
  • ポケモンのようなほとんど内容が同じ2バージョンがあり、かつ、その2バージョンをまとめた記事名である場合は、冒頭の導入部分を、2バージョンの総称である。とするのは間違いではない(というか厳密にはそうでないとおかしいのですが)。
  • ゲームなどの記事は、発売日に公式サイトを出典として付ける。

Gowithitjam氏の言うように出典なき記述は除去可能ということ自体は私も承知しております。しかしどうでしょうね?機械的にこれを適用し、記述を片っ端から除去したとすれば、それは荒らしとして即ブロックされるような行為になるのではないでしょうか?まったくデタラメな文章であったり、噂レベルで真偽が定かでないような内容であれば当然削除されるべきでしょう。でも大抵出典があまりない記事(私がよく見てるのはテレビゲームの記事)って、その作品のプレイヤーであればわかることですが、記述自体は事実であることが多いです。ただ、特に出典は書いてない。

上でも述べましたが、Gowithitjam氏が『オメガルビー・アルファサファイア』で一度差し戻したときに、記述したばかりの開発者の名前が一部消されて抗議しましたが、彼は「意図的です。クレジットはソースにならないので」というようなこと言いました。ではなぜ、私が同じタイミングで編集していた他のポケモン本編記事の開発者の名前はノータッチなんですか?というのも一つ気になります。またそもそも私がこの記事を編集する以前から開発者の名前は他のユーザーによって加筆されていました(これ自体はおそらく以前に他のポケモンの記事で、私が大量に加筆したのに倣ってのことだと思います)。当然私としては、「消すのであれば一部でなく全部消したら?これも出典なしですが?」という感想を抱くわけです。大目に見ているだなんだという指摘もありましたが、ただの気まぐれでしょう?

世界最狂の魔法使いCray-Gさん。
コメントを頂いて言うことがお礼ではなく苦言になってしまうのが恐縮ですが、あなたは自信満々に本当は一次資料は出典にならないと仰りました。しかしこれ、完全な嘘だったということでよろしいですね?最初にコメント見たとき「おいマジかよ!じゃあどうやって中身のある記事書きゃあいいんだ!?」とびっくりしました。ゲーム雑誌やゲームメディアのweb記事ソースだけじゃ、とてもじゃなけどまともな中身なんて書けやしないと。まあ…方針なら仕方ないな、そうか思いつつ放置しておりましたが、Open-boxさんが指摘するところによれば全くそんなことはなかったわけですね。
Open-boxさん。
まだまだ未熟な私には、今回のあなたのコメントは大変有意義なものでした。一通り方針やルールは読んだつもりでも結構難しい部分は多く、これからも編集を通して理解していければと考えています。--レスラーワン会話2015年6月5日 (金) 10:11 (UTC)[返信]

被依頼者コメント

レスラーワンさんが記事破壊としているポケットモンスター オメガルビー・アルファサファイアにおける2015年5月22日 (金) 05:54の編集ですが、

Wikipedia:検証可能性
記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。

私はこの方針に則って出典が明記されていない内容を取り除きました。また利用者‐会話:Gowithitjamでも申し上げたのですが、巻き添えで除去したのではなく、内容を理解した上で除去しています。その一つの証明として、差分を確認頂ければわかって頂けると思うのですが、ポケットモンスター オメガルビー・アルファサファイアにおける2015年5月22日 (金) 05:54の編集では取り消しを使っていません。

レスラーワンさんによると、『出典はゲームのエンディングクレジットのためあえて明記までしない』とのことですが、エンディングクレジットが出典として有効かということはさておき、何らかの形で明記されていなければ検証可能性を満たしているとは言えないと思います。

より私の編集は全く問題なかったと思います。非常に乱暴な利用者などと言われるのは非常に残念に思います。
--Gowithitjam会話2015年5月22日 (金) 08:19 (UTC)[返信]

コメント

コメント依頼者の発言に重大な問題があります。

Gowithitjam氏いわく、エンディングロールの開発者一覧は情報源にはならないとのことで
はい、なりません。文句無く被依頼者であるGowithitjam氏の該発言は正しいです。
それを「私には彼が何を言っているのかわかりません。」と言った揚句に「私には彼が執筆者を混乱させることはあれども、貢献することは現段階ではありそうもない」と判断している依頼者に重大な問題があると判断します。その問題とは方針無理解です。
それがどのくらい重大な問題かと言うと、この発言だけを見て本コメント依頼を「荒らしによる報復行為」と総括しても、「Wikipedia:新規参加者を苛めないでください」と「Wikipedia:善意にとる」と「Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない」以外の根拠で私に文句を言う者は誰も居らず、無論、依頼者に賛同する者はゼロであるぐらいに重大です。なのに、それ以外にも同様の方針無理解による発言があるのです。
検証可能性は確かに重要ですが、発売して数か月がたつゲームタイトルの発売日やメーカーについてまで出典をつけろと言うのはやりすぎ
いいえ、出典が必要です。まさにそれにこそ出典が必要です。挙句の果ては発売して数か月しか経ってないとか、出典無しには記事さえ存在してはならないレベルです、本来なら。出典というのは「公開された情報」を意味するものではありません。なので「メーカー公式サイト」だとか「ゲームソフトの説明書」だとかは、出典として使えません、本来なら。出典とはその対象(この場合はそのゲーム)とは無関係な第三者が書いた(つまり広告等ではない)出版物であり、しかも単なる情報ではなくその対象(この場合はそのゲーム)に関して該無関係な第三者の意見(これは二次資料と呼ばれます)が書かれた出版物です。ゲーム雑誌のそのゲームの特集記事は出典として認められますが、ゲーム雑誌の新発売ゲーム情報は出典として不適切です、本来なら。
ですが、これ等は初心者には理解が難しいものですので、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいに従い、記事の削除もしないで大目に見ていますし、二次資料どころか「無関係な第三者が書いた出版物」ですらない「メーカー公式サイト」だとか「ゲームソフトの説明書」だとかでも大目に見ています。でも「エンディングロールの開発者一覧」はどんなに大目に見ても無理です。
これは理解の難しい問題であり、井戸端なので頻繁に質問されます。
ここらへんを読めば、もう少し理解が深まるかも知れません。一緒に記載されている方針やガイドラインを見ると、関連がわかり易くてより理解し易いと思います。
飽くまで依頼者の行為が「大目に見られている」から許されているだけであり、「当然の権利」でもなければ、批判出来るような「正しさ」があるわけでもありません。厳しい言い方をしますと依頼者は現在、「ママは怒らなかったのにこの人は怒るんだ!」と近所の人を警察に連れてきた子供のような状態にあるのです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月29日 (金) 16:34 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-G氏=Maddestmagician氏に対してひとつだけ。WP:SELFPUBをお読みになった方がよいかと。--122.21.190.123 2015年6月1日 (月) 13:36 (UTC)[返信]
一次出典と目安の基準を取り違えています。Maddestmagicianさんがそれだけ積み上げたって事は。それだけの回数、問題のある理解を宣伝して回ったに過ぎず根拠になるものではありません。その区別が付くまでこの種の議論からは距離を置いた方がいいでしょう。--Open-box会話2015年6月2日 (火) 22:20 (UTC)[返信]
WP:Vの問題ではなくWP:IINFOの問題です。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月3日 (水) 00:42 (UTC)[返信]
WP:IINFOは、記載内容のバランスの問題であって、単純に「書くな」という性格のものではありません。自分で加筆してバランスを取る、書けないなら書いてくれるようにお願いする、枝葉がひどいなら刈り込むといった行動が必要になります。そして本件の場合記事の定義、スタッフ等の根幹部分です。そこに、WP:IINFOを持ち出す時点で方針の誤用です。--Open-box会話2015年6月3日 (水) 01:09 (UTC)[返信]
  • コメント 本題について。まず、説明書であろうとゲーム本体であろうと公式サイトであろうと、「一次出典」として提示すること自体は問題ありません(WP:SELFPUB)。二次出典はより望ましいものですが、一次出典をサブカルだからと特別扱いで無効化することはできません。一次出典で満たせないのは、「Wikipedia:独立記事作成の目安」であって、「Wikipedia:信頼できる情報源」ではないのです。
クレジットに対してゲームは巨大で、見れば誰でも判るというレベルのものではないため、そのゲームのどこからその記載を導いたかは、出典として示す必要があります(説明書、エンディング、別途表示できるクレジット等)。また、攻略本等ゲーム以外からも提示できるなら、そちらを同時に提示する方が望ましいです。また、出典の所在が判明しているにもかかわらず、その明記を求めるのではなくいきなり除去することは問題です。つまり、この問題に関してはGowithitjamさんの根拠と対処が誤っていますし、レスラーワンさんは出典の所在を知りながらそれを出典として明記しなかった問題があります。
「総称」については、明白にGowithitjamさんが間違っています。2本のゲームをまとめて扱う記事から、「総称」という扱いをただ外すだけでは、間違ってはいないが出典がない記載から(公式や攻略本や雑誌の取り扱いを出典にできます)、明白に誤った記載への変更になります。これは、2本のタイトルをまとめて扱う記事であることの記載であったのに、それを除去してしまうことで定義部が誤った内容になるためです。このような場合は、ただ外すのではなく、『この記事では同時に発売された「X」と「Y」についてまとめて記載する』といった文章への差し替えが必要です。
メーカーと発売日は公式サイトなどで十分です。発売日は結構変わりますから出典は必要ですし、メーカーだけなら「見れば誰でも判る」も使えますが、時間経過による複数社からの発売や社名変更もありえますので、定義部に「WよりX年Y月Z日に発売された<ref>出典:**</ref>」としておくべきです。これで双方の出典を同時に満たせます。
(一般論ですが)差し戻しについては、問題になっている部分だけ差し戻すとか、作業の都合で一旦戻しても使えそうなところは拾うとか、もうちょっと丁寧にやると便利です。これは、LTAの編集でも「ここは正しい」ってケースで必要になる作業です。要約欄については、記事作成したら空欄ではなく何の記事であるか書いて欲しいんですが、それ以外は「何をやったか判る」のでこれは正しい使い方です。--Open-box会話2015年6月2日 (火) 23:27 (UTC)[返信]
発売日は結構変わりますから
発売前に発売日を載せないで下さい。WP:IINFOのみならずWP:FUTUREWP:NOT#NEWSにも違反することになります。サブカルだからではありません。
一次出典で満たせないのは
一次出典で満たせないのはWP:NだけではなくWP:IINFOもです。サブカルは関係ありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月3日 (水) 00:42 (UTC)[返信]
発売日の変更は上手く書けませんでしたが、発売延期を繰り返したら、それを追っていけるって事を書きたかったのです。
WP:IINFOは、情報を載せることを拒否できる材料ではありません。「情報を無差別に収拾すること」と、「記事として書くべきであると考えた情報を記載すること」は同一ではありません。故に、WP:IINFOを利用してもMaddestmagicianさんの意見は正当化できません。--Open-box会話2015年6月3日 (水) 00:56 (UTC)[返信]
(追記)それと、WP:IINFOは一次出典を拒否する材料ではありませんよ。検証可能な出典ではないことと一次出典は同一ではありません。--Open-box会話2015年6月3日 (水) 00:59 (UTC)[返信]
それと、WP:IINFOは一次出典を拒否する材料ではありませんよ
言い方が乱暴になりますが、極論を言うなら「WP:IINFOは一次出典(の大部分)を拒否する為のもの」です。「検証可能な出典があるなら何を載せて良い」わけではなく、同時に「一次出典しか無いなら例外無く全てを載せてはならない」わけでもありません。それを示すのがWP:IINFOです。
「情報を無差別に収拾すること」と、「記事として書くべきであると考えた情報を記載すること」は同一ではありません。
その通りです。同一ではありません。なので論理的に、
  • 「無差別」であり「書くべき」ではない(=そもそも誰も加筆しません)
  • 「無差別」でなく「書くべき」である(=加筆は歓迎されます)
  • 「無差別」でなく「書くべき」でもない(=誰も気付いていないのでしょう)
  • 「無差別」であり「書くべき」でもある
があり得ます。最後の場合以外は問題は起こりません。最後の場合に問題が起こります。つまり「無差別である」と指摘を受けた場合です。その場合には書くべきである理由(=百科事典に記載するに相応しい特筆性があると考える根拠)を説明して合意を形成して下さい、「一次出典だからサブカルだから」と相手を批難したり「信頼出来るんだ検証可能なんだ」と異なる論点を主張するのではなく。
それを追っていけるって事を
なるほど、WP:FUTUREやWP:NOT#NEWSに関してはとりあえず理解を戴けているようで何よりです。
ですが、発売日を「追っていく」ことは百科事典の役割ではないと考えます。確かにwikipediaは紙製の百科事典ではないのでそういったことも可能です。実際、発売日を載せるべき場合というのは充分に考えられますし、変更され続けた発売日が何等かの特筆性のある事件や社会現象に繋がった場合だってあるでしょう。或いは発売日以外の要因で特筆性のある事件や社会現象に繋がったゲームであるならば「その事件や社会現象を」調べる際には切欠となったゲームの発売日は有用な情報になるでしょう。ですがゲーム名鑑ではありませんので、「検証可能で信頼出来る二次資料」があるなら「記載を拒絶することは困難です」が、そうではないならば「書くべきである理由(=百科事典に記載するに相応しい特筆性があると考える根拠)を説明して合意を形成」しない場合には「そういった二次資料が無い=特筆性が無い=雑多な情報と看做される」ので、載せるべきではありません。
と、ぐだぐだと述べましたが、既に述べた通りこのあたりは「別にいいか、サブカルだし」という雰囲気があるのが現実です。酷い言い方をすると「他所に迷惑を掛けに来ない人種」なので、紙製の百科事典と異なりページ数の制限が厳しいわけではないwikipedia(ディスク容量の制限はありますが寄付することで解決可能)では、余計な面倒を起こさないなら放っておいても害は無いな、と。いや「そういう面倒を頻繁に起こす分野」が他にあるもんで。
言い換えると法的脅迫だのコメント依頼だの井戸端で暴れまわるだの腕尽くで解決だのといった強硬な態度に及ばない限りは、サブカルに関しては「大目に見られ」ているわけです。そしてこれからも穏便にしている限りは「大目に見られ」続けることでしょう。ですがそれに不満を持っている分野の人達(サブカルばっかり優遇しやがって不公平だ!)も居るので、やり過ぎないようにして戴きたいと考えます。そういった不満を持っている分野の人達とかが「腕尽くで解決」としてサブカル全排除運動なんぞを起こしたら、数の暴力に対して止めようが無くなりますからね。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月3日 (水) 08:57 (UTC)[返信]
>「WP:IINFOは一次出典(の大部分)を拒否する為のもの」です。
これは、議論の余地がない間違いです。そもそもたかがWP:NOTに一文を忍び込ませたところで、WP:Vに基づく一次出典の利用を否定することは許されませんし、ガイドラインで方針を上書きしようという時点で問題です。これは方針の誤った文章を乱用しているに過ぎず、方針の悪用になります。もっとも「誤った文章」とするのにも理由があり、これはMaddestmagicianさん一人の責任に留まりません。実は、導入に問題がありまして実はWP:IINFOは誤訳なんですよ。英語版では、現在では「パッチ」に付いての文章に差し替えられています。つまり、枝番を上げる程度の報道されないアップデートを逐一書くのは違う・どの程度を書くか競技して決めろというニュアンスです。日本語版なら、試合毎に逐一各選手の成績を更新しないぐらいまでは許されるでしょう。
発売日は、どんなものでも重要ですよ。これの変遷が百科事典の役割では無いと思ってしまうのは、それこそサブカルにはまってしまっています。産業レベルで考えると、発売日の変更ってのは、流通・報道・評判に影響を及ぼす事件ですからね。それは、サブカルであっても変わるところではありません。
サブカルに関しては大目に見られているなどと言うのは間違いです。そのような対応をしている時点でMaddestmagicianさんは、サブカルを中立的に取り扱うことができていないのですし、それとて個人的な事情に過ぎません。
実際には、サブカルだからといい加減に取り扱う人が、執筆者にも議論にも多いのが問題なんですけどね。--Open-box会話2015年6月3日 (水) 09:37 (UTC)[返信]
WP:Vに基づく一次出典の利用を否定することは許されません
極論は却って誤りを含みます。「許されません」とか言われても、既に許されている反例があるわけですから。何度も言いますが、「WP:Vを満たすものなら何でも書いて良い」わけではありません。それが百科事典に記載するに相応しい内容であるか否かの合意を形成して下さい、少数の方針の文言のみを根拠にし、他の方針は関係無いので無視して良いと主張するのではなく。
実はWP:IINFOは誤訳なんですよ
そう主張するのは自由ですが、単なる論点回避です。これは五本の柱の一つである「ウィキペディアは百科事典です。」に根差している論点です。百科事典に相応しくない内容は議論の余地無く「否定することが許されます」。ですがその内容が百科事典に相応しい内容であるか否かには議論の余地があり、意見が分かれるなら合意を形成しなければなりません、誤訳だから従わなくていいんだと主張するのではなく。
なお、誤訳というのが本当ならこんなところでぐだぐだ言っていないで該部分を正しい訳に修正するように該ノートページで提案した方がwikipediaにとって有益なんじゃないかと考えます。
サブカルを中立的に取り扱うことが
そんなことが出来る人は存在しません、全ての人は偏った観点に立脚していることが大前提です。だからこそ対話を行ない「中立的な観点に基づいた記述である」という合意を形成することが重要なのです。
発売日は、どんなものでも重要ですよ
いいえ、重要ではないものの発売日は重要ではありません。例えば「プレスゴッコ」の発売日は重要ではありません。それが重要であるものか重要ではないものかは普通、二次資料の多寡で判断されます。つまり二次資料が無いというのは「本人達しか注目していないことの証左だ」ということです。これは既に述べた通り「二次資料が豊富なものを記載拒絶することは余程特殊な場合以外は無理」を意味するものであり、「二次資料が無いものは一切載せてはならない」を意味するものではありません。「二次資料が無い/極端に少ない」場合には合意を形成する必要がある、ということです。そして合意を形成するにあたっては、疑いの目で見ている相手にも書くべきである(=百科事典に記載するに相応しい特筆性がある)ことを理解してもらえるような説得力のある根拠を相手に伝わるように説明する必要があります、WP:Vに基づく一次出典の利用を否定することは許されませんと主張するのではなく。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月3日 (水) 11:27 (UTC)[返信]
指摘に対して極論であると決めつける時点で材料が足りませんよ。過去に例があってもそれは既に許されているケースではなく、誤った運用による適用例に過ぎません。仮にルール全てを無視しなさいを適用するとしても、一次出典の排除を正当化する論理たり得るには、そのケースの特例が必要であり、一般化に適するものではありません。
百科事典にふさわしいとは、出典の出所に影響される事柄ではありません。主題に対して、何を書くかです。
文書間の矛盾を指摘し、その原因を明らかにすることを論点回避と主張するのでは、論点に対抗できていませんよ。
そもそも、誤訳の指摘はMaddestmagicianさんがそのような理解をしてしまった原因ですよ。それを解説することはすぐに終わりますが、時間の掛かる提案はまた別の問題です。
心証的には中立的であることは無理でしょう。ですが、実際の議論においては他の見地に配慮しなければなりません。相互の見地によって産み出されるものに期待するのは構いませんが、それは中立を心がける必要が無いとはなりません。
対象が重要であるか否かは、Maddestmagicianさんが決めることではありません。またそれは事物に対し、出典を付けて述べることができる事柄に対し排除する材料にはなり得ません。商品記事において発売日は重要な要素であり、これを欠く記事は問題があります。その変遷に対して特別な物以外に重要ではないという主張は無理があります。
二次資料については、そもそも二次資料がないと一次資料を使った方が適切・容易との混同ですね。一次資料が使用されていることを、単純に二次資料がないと結びつけていませんか? 二次資料がある「記載に値する物」について一次資料が適切なら、当然使用されうるのです。
執筆内容を制限したいのであれば、それこそ説得力のある内容で議論を提起しなければなりませんが、「重要じゃない」「一次出典」では、説得力がありません。そのような主張は、(サブカルに限らず)ただでさえ貧弱なものが多い記事をさらに劣化させかねません。必要であると執筆者が考え、出典を付記し記載したものを、個人的な主張で除去することは質的向上に資するものではありません。--Open-box会話2015年6月3日 (水) 12:10 (UTC)[返信]
五本の柱に言及されていますが、それを持ち出したところで根拠もなく百科事典にふさわしくないと主張することは許されません。それは、自分が気に入らない内容を排除するためのマジックワードではなく、トリビア的な些細な物を排除する、出典のない主観的記載を残さないといったものです。出典のある記載を独断で排除し、それを他人に強要する材料にはなり得ません。--Open-box会話2015年6月3日 (水) 20:38 (UTC)[返信]
そのケースの特例が必要であり、一般化に適するものではありません。
ブーメランですよ。「一次出典の排除のみに基づいた執筆を正当化する論理たり得るには、そのケースの特例が必要であり、一般化に適するものではありません。」
一次資料のみに基づいた執筆が正当化されるべき場合はあります。例えば二次資料の内容が誤っているという疑義を出された場合です。他にも、疑義が出されているわけではないが客観性を担保する為に用いる場合もあるでしょう。
そう言った事情があるのでなければ、既に述べた通り合意を形成しなければなりません。一般論だけで無批判に正当化出来るものではありません。
百科事典にふさわしいとは、出典の出所に影響される事柄ではありません。
既存の紙製の百科事典ではその通りです。ですがwikipediaでは明に「出典の出所に影響され」ます
文書間の矛盾を指摘し、その原因を明らかにすることを論点回避と
「どの文書」と「どの文書」が矛盾しているのでしょうか。少なくとも、私が提示した方針やガイドラインの文書間の矛盾ではありません。英語版とどれだけ異なっていても問題は全くありません。英語版と異なっていることが問題だと思うのならば、それを主張すべき場所で主張して下さい。無論、他言語版の方針やガイドラインを参考にすることは悪いことではありませんが、それはあくまで参考に過ぎません。それを以って「正当性がある」と主張することは出来ますが、「議論の余地無く正当性がある」と主張することは出来ません。
実際の議論においては他の見地に配慮しなければなりません。
本当にその通りです。どのように「他の観点に配慮」したら「そのような対応をしている時点でMaddestmagicianさんは、サブカルを中立的に取り扱うことができていないのです」などと言えるのか私には不思議でなりません。
相互の見地によって産み出されるものに期待するのは構いませんが、それは中立を心がける必要が無いとはなりません。
「必要が無い」と主張しているのは私ではありません。私は「対話を行ない「中立的な観点に基づいた記述である」という合意を形成することが重要」だと主張しています。それに反対しているのはOpen-box氏であって私ではありません。
商品記事において発売日は重要な要素であり
私は既に反例を述べました。反論無く同じ主張を繰り返しているのでしょうか?
これを欠く記事は問題があります
どのような問題があるのでしょうか?
五本の柱に言及されていますが~~と主張することは許されません。
主張することは許されますよ、その主張が無批判に正当化されることは無いだけで。合意を形成しなければなりません。
執筆内容を制限したいのであれば、それこそ説得力のある内容で議論を提起しなければなりませんが、「重要じゃない」「一次出典」では、説得力がありません。
「執筆内容を制限したい除去されたくないのであれば、それこそ説得力のある内容で議論を提起しなければなりませんが、「重要じゃないである」「一次出典がある」では、説得力がありません。」
自分が気に入らない内容を排除するためのマジックワードではなく
もちろん「自分が気に入らない記載したい内容を排除除去されないように防衛するためのマジックワード」でもありません。
出典のある記載を独断で排除し、それを他人に強要する材料にはなり得ません。
反していれば独断で除去(排除?)出来ます。反しているか否かに関しては、明確ではない場合には合意を形成する必要があります。
過去に例があっても~~
既にWP:NOTと、その中のWP:IINFOを示しました。
WP:NOTの前文にはこうあります。
なお、この方針を満たせば何でもウィキペディアに記載してよいわけではありません。記事は、この方針以外にも、内容に関する各方針、特に五本の柱で示されている方針に適合するものでなければなりません。 — Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか
そしてWP:IINFOの前文にはこうあります。誤訳だそうですが、全く問題があるとは思えません。
この方針の冒頭でも説明したように、単に真実であるだけでは、たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません。 — Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません
ついでにWP:GNG/Sにはこうあります。
独立記事として作成、収録するだけの価値があるか否かの判断における「情報源」は、二次資料でなければなりません。特筆性のもっとも客観的な証拠を提供するのは二次資料だからです。主題に言及している信頼できる二次資料が見つかるかどうかは、独立記事として作成、収録するだけの価値があるか否かを評価するためのよい指標になります。 — Wikipedia:独立記事作成の目安#情報源
これは一次資料の使用を制限しているのではなく、二次資料は特筆性を示す有力な証拠であることを言っています。裏を返せば、特筆性を示す証拠として一次資料は弱いことを言っているわけです。「一次資料がある」以上の論拠が無い場合、相手の理解を得ることは難しいでしょう。特に、「商品記事において発売日は重要な要素」などの一般論に頼らざるを得ない場合には。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月5日 (金) 14:00 (UTC)[返信]

返信 (レスラーワン氏宛) 第一義としてwikipediaは百科事典です。百科事典は三次資料であり、三次資料は二次資料に基づいて執筆されなければなりません。これは「一次資料に基づいて執筆してはならない」ことを意味しませんが、だからといって「一次資料さえあれば何でも執筆して良い」という意味ではありませんし、況してや「一次資料に基づいた執筆は、無条件で除去を拒否出来る」わけでもありません。そして残念ながら「とてもじゃなけどまともな中身なんて」と思ってしまう程に二次資料が少ないということはイコール「まともな中身なんて(ファン以外は)誰も興味が無いと『出版社や作家が』思っている」という現実を示しているのです。二次資料が要求されるのはサブカルいじめではなく、今日までwikipediaを守り、これからもwikipediaを守り育てていく為のものだということを御理解下さい。くれぐれも騙されて今後のレスラーワン氏のwikipediaライフに変な傷を負うことの無いよう、注意深く用心深く行動して戴ければと思います。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月5日 (金) 14:00 (UTC)[返信]