源俊雅

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源俊雅
時代 平安時代中期 - 後期
生誕 嘉承元年(1105年
死没 久安5年(1149年
官位 正四位下、参議左大弁
主君 堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇
氏族 醍醐源氏高明流
父母 父:源能俊、母:源頼綱の女
兄弟 能賢、政明、俊雅、光隆、能智、能覚、能献
不明
俊定
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源 俊雅(みなもと の としまさ)は、平安時代の公卿。父は正二位大納言治部卿中宮大夫源能俊、母は三河守源頼綱の女。極位極官は正四位参議左大弁。参議に任ぜられてからわずか3ヶ月で死去してしまった。

経歴[編集]

以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ この年に父能俊が薨去している。
  2. ^ 石賀行幸による。
  3. ^ 朔旦による。

参考文献[編集]