沈惟敬

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沈 惟敬(しん いけい、拼音:Chěn wéi chìng(チェン ウェイ チン)、? - 1597年)は、中国明代使節

[編集] 人物

嘉興(浙江省嘉興市)の人。若いときから弁舌に巧みで、明に仕官した。

文禄の役に明の遊撃軍の将軍付きの使節として派遣され、小西行長宗義智らとともに和議交渉を持続したが欺瞞外交によって、アジア各国の混乱を大きくした。

明使として日本に来朝して大坂城豊臣秀吉に面会もしている。しかし、欺瞞外交が露呈して慶長の役の再出兵を招いたため、明に帰国後、万暦帝の勅命によって北京で公開処刑された。

[編集] 秀吉毒殺説

朝鮮の古文書『燃黎室記述』によると、「秀吉は沈惟敬によって毒殺された」と記述されてある。しかし、年代の辻褄が適合せず信憑性はかなり低いと伝わる。実際に沈惟敬が来日したのは慶長元年(1596年)であり、秀吉が死亡したのはその2年後(1598年)となる。

[編集] 関連

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