水内村 (岡山県)

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みのちむら
水内村
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 新設合併
日美村富山村下倉村水内村昭和町
現在の自治体 総社市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
吉備郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,295
国勢調査、1950年)
隣接自治体 富山村、日美村、下倉村、小田郡宇戸村川上郡玉川村
水内村役場
所在地 岡山県吉備郡水内村大字原
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水内村(みのちむら[1])は、岡山県吉備郡にあった。現在の総社市の一部にあたる。

地理[編集]

高梁川中流右岸と、同支流・影谷川流域に位置していた[2]

歴史[編集]

  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、下道郡影村、中尾村、原村が合併して村制施行し、水内村が発足[1][2]。旧村名を継承した影、中尾、原の3大字を編成[2]
  • 1893年(明治26年)洪水により大きな被害を受けた[2]
  • 1900年(明治33年)4月1日、郡の統合により吉備郡に所属[1][2]
  • 1952年(昭和27年)4月1日、吉備郡日美村、富山村、下倉村と合併し、町制施行し昭和町を新設して廃止された[1][2]。合併後、昭和町大字影・中尾・原となる[2]

地名の由来[編集]

日本書紀』記載の仁徳天皇時代の虬(みずち)退治の伝承による[2]

産業[編集]

  • 農業[2]
  • 産物:米、麦、竹材、マツタケ[2]

交通[編集]

橋梁[編集]

  • 1930年(昭和5年)水内橋が完成し総社からバスが1日2往復すると渡し船は廃止された[2]。1934年(昭和9年)室戸台風により水内橋は流出し、1938年(昭和13年)に復旧した[2]

教育[編集]

  • 1912年(明治45年)尋常維新小学校に高等科を併置し、1947年(昭和22年)維新小学校となる[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』769頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』1086-1088頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]