柴山博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柴山 博(しばやま ひろし、1897年明治30年)5月9日[1] - 1991年平成3年)12月29日[2])は、日本の鉄道内務官僚弁護士。官選鹿児島県知事

経歴[編集]

愛知県出身。柴山重幸の長男として生まれる[1]第八高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。鉄道省に入り鉄道局副参事となる。1924年内務省に転じ復興局勤務となる[1][3]

以後、宮崎県事務官、埼玉県事務官、新潟県書記官・学務部長、茨城県書記官・経済部長、徳島県書記官・警察部長、山梨県書記官・総務部長神奈川県書記官・総務部長、内務省勅任監査官などを歴任[1]

1943年4月、鹿児島県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1945年4月、知事を退任し翌月に退官[1]公職追放となり[3]、その後、弁護士を開業した[1]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『新編日本の歴代知事』113頁。
  2. ^ a b 朝日新聞』1991年12月30日朝刊の訃報より。
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』227頁。

関連文献[編集]

  • 柴山肇『内務官僚の栄光と破滅』勉誠出版、2002年。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。