朴昌玉

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朴昌玉(パク・チャンオク、生年未詳 - 1958年9月)は、朝鮮民主主義人民共和国政治家。元副首相朝鮮労働党の党中央委員。ソ連共産党の影響を受けたソ連派の有力な幹部の一人であった。

経歴[編集]

若くしてソビエト連邦に渡航し、ハバロフスクの朝鮮師範大学を卒業。戦後、ソ連軍の北朝鮮進駐と共に帰国し、1948年3月に北朝鮮労働党第2回党大会で党宣伝部長に就任。その後、朝鮮労働党の党中央委員・副首相になるが、朝鮮戦争後の1956年2月にソ連フルシチョフによりスターリン批判が行われると、北朝鮮国内でも金日成独裁政治への批判が強まり、1956年8月に8月宗派事件と言われるクーデター未遂事件が起こる。朴らソ連派の幹部は延安派の幹部と共に役職を解任されて失脚、自身も投獄され1958年に刑死した。粛清から逃れたソ連派の幹部はソ連に逃亡する者もいた。

関連項目[編集]