張敦

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張 敦[1](ちょう とん、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家叔方揚州呉郡の人。子は張純[2]

生涯[編集]

同時代の呉郡の人物では顧邵陸績が特に名声高く、張敦・陸遜卜静がそれに次ぐ立場だったとされる。厚徳と度量があり、清廉かつ淡泊な性格で、また文章力に長けていた。

建安14年(209年)に孫権車騎将軍の官に就くと[3]、張敦はその幕下の西曹となる。その後、主簿を経て、海昏県令の官に就くと、甚だ恵みある政治を敷いた。歳32で没した。

三国志孫皓伝の注に引く陸機の『弁亡論』では、その才能によって要職に当たり、非凡な行動をした人物の一人として、虞翻・陸績・張温と共に名を挙げられている。

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『三国志』孫皓伝注の『弁亡論』などでは名を張惇と記す。張布の弟の張惇とは別人。
  2. ^ 『三国志』孫和伝注『呉書
  3. ^ 『三国志』呉主伝