川上典一
Norikazu KAWAKAMI | |
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基本情報 | |
名前 | 川上 典一 |
生年月日 | 1955年4月20日(69歳) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 沖縄県 |
経歴 |
川上 典一(かわかみ のりかず、1955年4月20日 - )は沖縄県出身のプロゴルファー。
来歴[編集]
1977年には九州アマチュアチャンピオンに輝き[1]、1980年には九州オープンでベストアマチュアを獲得[2]。
通っていた地元の練習場には1学年上の友利勝良がボール拾いのアルバイトをしており[3]、川上の上手さに舌を巻いた友利は九州アマチャンピオンだと聞いて感心し[3]、後には練習場支配人や友利とラウンドすることもあった[4]。
1987年の千葉オープンでは牧野裕・中村忠夫・長谷川勝治・中尾豊健・磯崎功に次ぐ7位タイ[5]に入り、レギュラーツアーではプロ8年目の1989年、シード権を賭けた最終戦の大京オープンで地元のプレッシャーを跳ね除け、強風に勝って[6]10位タイに入り初のシード権を獲得[7]。
1991年にはツアー最後の九州オープンで吉村金八の3位に入り[8]、1992年には後援競技となった九州オープンで友利・杉田勇・藤池昇龍を抑えて初優勝[9] [10]。
1992年のダイワKBCオーガスタではブラドリー・ヒューズ(オーストラリア)、陳志明(中華民国)との三国対決となったプレーオフ[11]を戦うが、1ホール目でヒューズと共にバーディならず2位タイ[12]に終わった。
1993年にはアジアサーキット・シンガポールロレックスマスターズで最終日に18番でブラント・ジョーブ(アメリカ)に並ばれるが、80mからのイーグルを決め、通算13アンダー271で優勝[13]。イーグルは枝に当たった2打目のボールがフェアウェイに跳ね返り、サンドウェッジを使ってボールを枝の上に飛ばし、ホールから数mのところに着地させてから転がり込んだ[13]。
帰国後は国内ツアー開幕戦となった第1回東建コーポレーションカップで初日に5アンダーの首位タイでスタートし[14]渡辺司・森茂則・牧野と並んでの4位タイ[15]に入り、クレインカップ真庭オープン[16]で優勝している[7]。
1999年のファンケル沖縄オープン[17]を最後にレギュラーツアーから引退し、2009年からはシニアツアーに初参戦[7]。日本プロシニアでは最終日ベストスコアの5アンダー66の好スコアをマークし、前日の9位タイから順位を上げて堂々3位に入る健闘を見せ、この賞金が大きく物を言って賞金ランク21位に入った[7]。
現在は沖縄プロゴルフ選手会副会長[18]。
主な優勝[編集]
- レギュラー
- 1992年 - 九州オープン
- 1993年 - クレインカップ真庭オープン
- 海外
- 1993年 - シンガポールロレックスマスターズ
脚注[編集]
- ^ 1977年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
- ^ 1980年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
- ^ a b あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.28 -友利勝良-
- ^ あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.28 -友利勝良-
- ^ 朝日新聞縮刷版p624 昭和62年7月15日朝刊20面
- ^ 川上典一 男子プロゴルファー “SPORTSプラスONE” 大京オープンゴルフ(著作権・スポニチ)
- ^ a b c d 2010年シニア選手紹介
- ^ 1991年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
- ^ 1992年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
- ^ 川上典一 男子プロゴルファー “九州オープンゴルフ” 最終日 (著作権・スポニチ)
- ^ 大会の軌跡|Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント2023
- ^ ダイワKBCオーガスタゴルフトーナメント 1992
- ^ a b “Kawakami's 80m eagle winner”. The Business Times (Singapore): p. 25. (1993年3月29日)
- ^ 川上典一 男子プロゴルファー “東建コーポレーションカップ” 第1日 (著作権・スポニチ)
- ^ 【東建ホームメイトカップ】1993年大会ダイジェスト
- ^ 会社案内 - ENA GOLF
- ^ 川上 典一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 会員紹介 - 【公式】沖縄プロゴルフ選手会HP