岸田継手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岸田 継手(きしだ の つぐて)は、奈良時代貴族朝臣位階従五位下

出自[編集]

岸田氏は、蘇我氏の一族である皇別氏族蘇我稲目の子である小祚の孫・耳高の家が大和国山辺郡岸田村(現在の奈良県天理市朝和町岸田)にあったことから岸田を号したという[1]であったが、天武天皇13年(684年八色の姓の制定により朝臣改姓した。

経歴[編集]

聖武朝天平8年(736年駿河国司史生に任ぜられ、翌天平9年(737年)の駿河国正税帳に正月から4月までの給粮がされた記録がある(この時の位階従八位下)。天平10年(738年)前年に停止された防人を帰国させるための防人部領使に任ぜられて相模国へ派遣され、さらに俘囚部領使となり遠江国へ赴いている(この時の位階は従八位上)。

天平宝字8年(764年藤原仲麻呂の乱終結後に行われた叙位にて従五位下叙爵された。

官歴[編集]

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『新撰姓氏録』「右京皇別」
  2. ^ 天平9年「駿河国正税帳」『大日本古文書』2巻67頁
  3. ^ 天平10年「駿河国正税帳」『大日本古文書』2巻109頁

参考文献[編集]