小笠原由祠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おがさわら ただし
小笠原 由祠
本名 小笠原 匡(おがさわら ただし)
別名義 小笠原 匡(旧芸名)
生年月日 (1965-08-27) 1965年8月27日(58歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
民族 日本人
職業 狂言能楽師
ジャンル 舞台
活動期間 1983年 - 現在
活動内容 狂言、狂言他舞台
配偶者 小笠原尚子
著名な家族 長男:小笠原弘晃
事務所 萬狂言
公式サイト 萬狂言公式HP[1]
テンプレートを表示

小笠原 由祠 (おがさわら ただし、1965年8月27日 - )は、狂言方和泉流能楽師、師匠は贈八世野村万蔵(五世野村万之丞)萬狂言関西支部代表、能楽協会会員、旧芸名及び本名は小笠原 匡(おがさわら ただし)。重要無形文化財保持者(総合認定)。

1983年に野村耕介(のちの五世野村万之丞→贈八世野村万蔵)の一番弟子として入門した。1986年、師匠の書生を2年半務めたのち、狂言・「舟ふな」のシテにて初舞台を踏んだ。

2000年1月に師匠が設立した「萬狂言関西支部」の代表に就任するなど、師匠の信頼も厚かった。

なお、2004年6月に師匠の五世万之丞(贈八世万蔵)が満44歳(享年46)で他界したのちは、支部代表として師匠・八世万蔵の弟の九世野村万蔵を支え、若手の狂言方の育成をするなど「萬狂言」の中核を担う狂言方として活動している。

なお、長男の小笠原弘晃(2001年生まれ)も狂言方の道を歩んでいる。また、弘晃の姉に当たる娘が一人いる。

年譜[編集]

  • 1986年、師匠の付き人を2年半務めたのち、狂言・「舟ふな」シテにて初舞台を踏む。
  • 1990年1月、「千歳」を披く
  • 1993年3月 、「奈須与市語」 を披く。
  • 1993年9月 、師匠・五世万之丞(八世万蔵)の学友である皇太子徳仁親王(当時)の「皇太子殿下 雅子妃殿下 御成婚祝賀記念式典(宮中)」において「萩大名」の太郎冠者を演じる。
  • 1996年1月、「三番叟」 を披き独立。
  • 2000年、師匠・五世万之丞(八世万蔵)が設立した萬狂言主催の「披の会」にて 「金岡」 を披く。同年、師匠・五世万之丞(八世万蔵)によって萬狂言関西支部代表に任命された。
  • 2003年、狂言方の大習(一人前の狂言方になったしるし)である「釣狐」を披く。
  • 2008年、「花子」を披く。

外部リンク[編集]

萬狂言公式HP[2]