寇英傑

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寇英傑
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プロフィール
出生: 1880年光緒6年)
死去: 不詳
出身地: 清の旗 山東省州府陽谷県または武定府利津県の人[1]
職業: 軍人
各種表記
繁体字 寇英傑
簡体字 寇英杰
拼音 Kòu Yīngjié
和名表記: こう えいけつ
発音転記: コウ インジエ
ラテン字 K'ou Ying-chie
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寇 英傑(こう えいけつ)は、中華民国の軍人。北京政府直隷派に属した。弼臣

事跡[編集]

幼年時代から軍歴を重ね、河南省で長く職務にあった。

1924年民国13年)秋の第2次奉直戦争後、湖北陸軍第2混成旅旅長に就任する。同年12月には、第1師師長に昇進した。1925年(民国14年)10月、呉佩孚により第2路軍司令に任命される。1926年(民国15年)、豫軍総司令として、河南督弁の職務を担った。呉が国民政府軍に敗北した後、1927年(民国16年)1月に辞任、下野した。

その後、直魯聯軍を率いる張宗昌の下で第12軍軍長に任じられた。しかしまもなく国民政府に投降し、国民革命軍第44軍軍長に任命された。

後に寇英傑は、汪兆銘南京国民政府で参謀本部上将参議に任命されている。しかし、具体的な活動は不詳で、没年等も不明である。

脚注[編集]

  1. ^ 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』は陽谷県、徐友春主編『民国人物大辞典』は利津県とする。

参考文献[編集]

 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代:
岳維峻
(河南弁理軍務収束事宜)
豫軍総司令(河南督弁)
1926年3月 - 1927年1月
次代:
靳雲鶚
(河南保衛軍総司令)