宝福寺 (岡崎市)

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宝福寺
所在地 愛知県岡崎市梅園町白雲9-1
位置 北緯34度57分34.2秒 東経137度10分12.8秒 / 北緯34.959500度 東経137.170222度 / 34.959500; 137.170222座標: 北緯34度57分34.2秒 東経137度10分12.8秒 / 北緯34.959500度 東経137.170222度 / 34.959500; 137.170222
山号 白雲山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 1593年文禄2年)
札所等 三河三十三観音霊場 第1番
文化財 絹本著色般若十六善神像
法人番号 7180305000299 ウィキデータを編集
宝福寺の位置(愛知県内)
宝福寺
宝福寺
宝福寺 (愛知県)
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南側にある石屋町通り。この付近は近世より石の町として栄えた。

宝福寺(ほうふくじ)は、愛知県岡崎市梅園町にある曹洞宗寺院1957年昭和32年)開創の「三河三十三観音霊場」第1番目の寺である。

概要[編集]

元寺は投町(現在の岡崎市若宮町)にあった天台宗芳延寺と言われる。1593年文禄2年)春、繁林玄茂が中興開祖となり、曹洞宗の寺として創立された。1591年天正19年)、岡崎城主田中吉政によって没却され、現在地に再興された。

1601年慶長6年)2月11日伊奈忠次により寺領2石を与えられる。1728年享保13年)2月、竜海院19代絶方疑学和尚が本寺を再興し、法地開山となる。1755年宝暦5年)、本堂が再建された。

1959年(昭和34年)12月8日伊勢湾台風犠牲者岡崎市合同慰霊祭(死者26名)が行われた[1]

1960年(昭和35年)3月10日、本寺所蔵の絹本著色般若十六善神像が岡崎市指定文化財目録に指定された[2]室町時代のもので、兆殿司の筆と言われている。

1974年(昭和49年)4月、西三河で最初のユースホステルに指定された。庫裏を改装し、男子40畳、女子20畳、24人収容の宿泊施設や台所などをつくり、市の保健所から旅館および飲食営業の許可をとった[3]

境内の左手が墓地になっており、その入り口には文化年間(1804年~18年)の銘がある無縁仏が立ち並んでいる。

札所[編集]

交通手段[編集]

  • 名鉄バス:市民病院方面「中伝馬」停留所下車、北へ300メートル。

脚注[編集]

  1. ^ 「市政だより」1960年1月5日号、岡崎市役所
  2. ^ 岡崎市指定文化財目録 | 岡崎市ホームページ
  3. ^ 愛知新聞』1974年7月20日、1面、「禅道場がユースホステルに 岡崎の宝福寺 西三河第1号」。

参考文献[編集]

  • 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、328頁。 
  • 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、62頁。