安田堅親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安田堅親
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 弘治3年(1557年
死没 寛永16年4月23日1639年5月25日
改名 堅親、興親
別名 新太郎(通称)
戒名 覚法院晴月宗圓居士
墓所 山形県米沢市常安寺
官位 筑前守
主君 上杉謙信景勝定勝
出羽米沢藩
氏族 河田氏越後中条氏大見安田氏
父母 河田元親
中条藤資安田有重
兄弟 河田長親下条忠親堅親
安田有重妹
吉親安田家親室、家親
テンプレートを表示

安田 堅親(やすだ かたちか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将上杉氏の家臣。北越後の国人衆・揚北衆の一つ安田氏の当主。北蒲原郡白河庄の安田城主。

生涯[編集]

弘治3年(1557年)に河田元親の三男として誕生。

始め中条藤資の養子となるが、中条家家臣団との対立などから実家に帰る。後に安田有重の養子となり、天正年間に安田氏(同じ上杉家臣の安田能元を始めとする毛利安田氏とは別氏族である大見安田氏)の家督を相続する。以後、朝鮮出兵や上杉家の会津移封に従い、仙道に2500石の知行を得ている。

寛永16年(1639年)に死去、享年83。嫡男の吉親元和4年(1618年)に死去したため、娘婿の家親(福島秀重の三男)が家督を相続した。

参考文献[編集]

  • 『安田町史 中世編』(1996年