太田資言
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太田 資言(おおた すけとき、明和6年(1769年)- 文化7年6月2日(1810年7月3日))は、遠州掛川藩の第4代藩主。掛川藩太田家8代。
第2代藩主・太田資愛の四男。母は側室と言われている。正室は牧野忠精の娘。子は娘(太田資始正室)。官位は従五位下、備後守。
通称は洋之進。兄で先代藩主である太田資順の養嗣子となり、文化5年(1808年)の資順の死去により後を継いだ。しかし2年後の文化7年(1810年)6月2日(または6月17日)に42歳で死去し、後を娘婿で養嗣子の太田資始が継いだ。法号:道円月成貝了院。墓所:静岡県三島市の妙法華寺。
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